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全ルート潰しの王子は今日も現れる/転生ヒロイン、イベント完全制覇をあきらめない  作者: 妙原奇天


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第2話 逃走経路の設計

 朝の鐘が三度、尖塔に鳴り、光が回廊の石目をやわらかくなぞった。

 レーナは机上にノートを広げ、紙端に細い線で校舎の見取り図を描く。渡り廊下、教務、用務員詰所、図書塔――矢印は最短距離ではなく、人波の“よどみ”をなぞっている。

(一限と二限の間。渡り廊下に渋滞ができる。ここで侍従の尾を切る。目的は図書塔の入塔権、そしてシオンの“書庫前ランダム遭遇”の発生)

 自分で書いた計画なのに、胸が少しだけ高鳴る。

 勝つための手順を、ひとつずつ積む。あの王子の“磁力”に吸われないために。

 授業のベルが鳴り終わり、人の流れがほどけるより一歩はやく、レーナは席を立った。教室から走らない速度で歩き、廊下の角では必ず一度だけ止まる。追跡者に「見失った」と勘違いさせるための、余計な静止。靴音をわざと二拍子に揃え、曲がるたびにわずかにリズムをずらす。

 窓の外、風が庭の銀杏を逆撫でしていた。黄がひらりと舞う。

(まず教務。研究目的の資料申請。申請理由は曖昧にせず、しかし核心は避ける)

 教務の扉を叩くと、帳簿の匂いと古紙のほこりが鼻に届いた。

 レーナは笑顔を整え、定型よりも半歩ていねいな言葉で切り出す。

「古代条約に関する過去の判例集を閲覧したくて参りました。具体的には第三次ローゼ法制期の、官吏任用と学園規定の重複についてです」

 事務官は眼鏡の奥の目を丸くし、「まじめだねえ」と書式を渡す。

 レーナはその場で書き込み、必要以上の根拠条文を淡々と引用した。書きながら、背後の気配を数える。二、三、四――右斜め後ろで足を止めた侍従の足音。王子の遣いは、もうついてきている。

(次。用務員詰所。庶務クエストは、王子の介入が入りにくい)

 続いて向かった先は校舎裏の詰所。

 木製の引き戸を開けると、掃除用具が壁に立てかけられ、石鹸の匂いがやわらかく漂っていた。

 ごつい手をした老人が顔を上げる。

 レーナは頭を下げ、真っ直ぐ頼んだ。

「落ち葉掃除、手伝わせてください。校庭の排水口が詰まると危ないので」

 老人は口角を上げる。「えらいなあ、嬢ちゃんは。貴族様は手なんか汚さんもんだ」

「私、自分の靴で滑るのが嫌なだけなんです」

 軽口で壁を一枚はがすと、老人は笑い、麻袋と箒を渡してくれた。

 詰所の奥、引き出しの金属がきしむ気配。そこに薄い、古びた鍵束が見えたような気がしたが、視線は滑らせた。焦らない。積み上げる。作業クエストの累積で――本来なら五話目で入手する“図書塔の合鍵”に手が届く、はず。

 中庭で箒を走らせる。黄の風が足元を泳ぐ。

 揺れる葉音、鳥の羽音、遠くの授業の声。

 レーナは一定のテンポで袋を満たし、詰所に持ち帰る。三往復。四往復。作業の時間は王子のストーリーと結びつきにくい。だからこそ、安全地帯。

 そして、ねらった“渡り廊下の渋滞”の刻がきた。

 細長い石廊に、人の波が折り重なる。日差しがガラスに跳ね、微細な光粒が宙を舞った。

 レーナは袋を肩に担ぎ、波に紛れて歩幅を小さくする。前後を学生に埋めてもらうことで、侍従の視線を遮断する。

 背後から、規律正しい靴音が近づいた。侍従だ。すぐ右側で、譲る気配。

「シュヴァルツ嬢、殿下からお言伝えを――」

 声は礼節に満ち、逃げ場を用意してくる。

 レーナは振り返り、あえて話を乗せた。

「ちょうど良かった。図書塔を利用する際の手続き、殿下にも共有しておいた方がよろしいですよね。閲覧者カードの申込には委員会承認が必要で、委員会は今学期から構成員が増えたので定足数の算出方法も変わって、それが王室規定第十二条の準用になりまして――」

 条文の名を、わざとゆっくり、丁寧に、途切れなく。

 侍従の瞬きが増える。眉がかすかに寄っていく。

 レーナは声量を一定に保ったまま、さらに続ける。

「また、資料持ち出しの際は階段転落事故防止の観点から手荷物制限がありまして、落下時の衝撃を軽減するために袋はこのように口を縫い止めるか、もしくは――」

 眠気は礼儀を鈍らせる。理解は退屈に流される。

 侍従の視線が一瞬だけ遠のいた。その刹那。

「では、落ち葉袋だけ詰所に返して参りますね」

 レーナは麻袋を軽く掲げる。

 侍従は反射的に頷いた。

 人波の陰を縫い、階段ひとつ、渡り廊下一本。

 教務と反対方向へ――図書塔へ。

(切った。いまだけは、私の時間)

 図書塔の前。古い石の扉に、薄く磨かれた真鍮のノブ。

 扉の向こう側から、紙がめくられる音。

 レーナが手を伸ばした、そのとき。内側から静かな声がした。

「君が来る時間を、当てられるとしたら?」

 腹黒文官――シオン。

 扉が開く。黒髪が光を吸い、淡い瞳がレーナを映した。

 彼は王子のように露骨ではない。だが、たしかに先手を取っている。

「あなたは私の行動を読むのね」

「それが仕事だよ。申請の筆圧、落ち葉の袋の結び方、渡り廊下での足の運び。君はきれいに整える癖がある。整える人は、整った時間を好む。よって、二限と三限の間。しかも、侍従を振り切った直後」

 鳥肌が立った。

 読み飛ばしではなく、“観察”。

 彼はレーナを見るのではなく、レーナが作った“余白”を見ている。

「でも、私は“読むあなた”を読むわ。予測の予測は、外れることもある」

 言い切ると、シオンの口角がわずかに動いた。

 扉の隙間から冷たい紙の匂いが流れる。

 足を踏み入れようとした瞬間、塔の外階段に別の足音が響いた。

「図書塔の梯子は危険だ」

 ユリアン。

 日差しの落差も、影の角度も、彼が来るのに合わせて整ってしまう。

 王子は侍従を伴わず一人で現れ、空間にぴたりと“人と人の距離”の輪郭を描く。

 近くはない。触れられるほどの距離ではない。

 けれど、並んで上る階段の一段ごとに、彼の呼吸と心拍が、こちらの耳に“ちょうどよく”届く。

「安全配慮、という名の介入かしら」

「介入ではない。……心配だ。君が怪我をするのが、嫌だ」

 ユリアンは正面を向いたまま言い、足音を一段、間を置いてから重ねる。

 心理の距離だけが、なぜか近づく。

 レーナは手すりに指を添え、視線を前に固定した。

「殿下。私は資料を読むだけです」

「なら、私も読む。隣で」

 塔の中は涼しい。

 光は高窓から、細い帯になって降り、埃の粒だけを照らす。

 書庫前。重い扉に、鉄の南京錠。

 レーナが申請書を差し出し、シオンがそれを受け取る。

 彼は書類を一度だけ透かして見て、レーナの横顔に視線を戻した。

「君は“合鍵”を欲しがっている。五話目以降のアイテムだ。早いね」

「作業の積み上げで、前倒しできるかの仮説検証よ」

「そうだろうと思った」

 シオンは鍵束を扉の前で鳴らし、しかし扉は開けない。

 ユリアンが半歩寄る気配。

 レーナは一歩下がり、空間の角度を作る。

 その均衡が、塔の上階から降りてきた鐘の音で破れた。

 補講の開始を告げる鐘。

 ユリアンが薄く目を細める。

「時間だ。エスコートしよう」

 レーナは舌の先で、わずかな悔しさを押しつぶした。

 収穫ゼロ。

 塔を降りる階段、足音が三つに増え、一つが途中で消える。シオンが別の階へ消えたのだ。

 最後まで、優雅に、何も与えない。

 夕景。

 西の空は薄い桃色で、学園の影だけが長く伸びる。

 レーナは塔の外に出て、深呼吸をした。

 ノートに赤いペンを走らせる。

予測型シオン安全配慮型ユリアン=二重封鎖。正面突破は消耗が大きい〉

 ペン先が止まる。

 ふと視界の端、詰所のほうから誰かが手を振った。

 用務員の老人だ。周囲に人の気配がないことを確かめ、近寄ってくる。

「嬢ちゃん。昼の働きっぷりが、ようけ良かったでな」

 老人は掌をそっと開き、古い金属の冷たさをレーナの手に滑り込ませた。

 薄く、使い込まれた鍵――“図書塔の合鍵の写し”。

 老人は片目をつむる。

「困った時は、人に頼みな。鍵は、ひとりで開けるより、誰かに開けてもろたほうが安全じゃ」

 レーナは息を飲み、深く頭を下げた。

 仮説は半分、当たっていた。積み上げは、たしかに道を作る。正規の鍵ではないが、十分だ。

 小さな勝ちが、胸の奥に灯をともす。

 寮へ向かう帰り道。

 白い小道に、夕陽の縞模様。

 隣に並ぶ足音が、また自然に重なった。

「君は、よく笑う」

 ユリアンの声は低く、柔らかい。

 レーナは答えない。すぐには。

 足の運びを半拍だけ遅らせ、石畳の継ぎ目で言葉を置く。

「……誰に笑いかけたいのか、よく聞かれるの」

「それで? 誰に?」

 レーナは前を見た。西日がまぶしい。

 塔の影が背後に長く伸び、二人の影がそこで重なる。

 胸の内で、さきほど受け取った鍵が冷たく光った。

「まずは、自分に」

 ユリアンは一瞬だけ黙り、視線を少しだけ落とした。

 次に上げたとき、瞳には決意と、それでも抑えきれない甘さが同居していた。

「では、私にも」

 それは囁きのように、風に紛れて落ちた。

 レーナの心拍が、意地悪く一拍だけ乱れる。

 彼女は笑って、しかし言葉にはしなかった。

 寸止め。

 それが、いまの自分の最善だ。

 寮の前で別れ、扉の向こう、冷たい廊下の匂いに包まれながら、レーナはノートを開く。

 今日の収支――大きな目的は空振り。しかし、写しの合鍵は手の内。

 ページの隅に、もうひとつだけ赤で書き足す。

〈二重封鎖の隙間は、人の善意〉

 窓に、自分の顔が映る。

 その黒の底に、昨日と同じ、微細な光ノイズが走った。

 案内人の声は、まだ沈黙を守っている。

 それでも、レーナは息を整え、笑う。

(次こそ、仕掛ける。フラグは奪い返すもの)

 鍵の重みが、掌に確かな未来の形を刻んでいた。

 夜のはじまり、塔の頂きに一本だけ灯がともる。

 その灯は、誰のものでもないふりをして、彼女を待っている。

 レーナはノートを閉じ、ベッド脇のランプを消した。

(明日は、もう少し速く歩く。もう少し遅く笑う)

 そんな小さな調整こそが、恋と戦いを両方勝ち取るための、いちばん現実的な魔法だと知っているから。

 月が上り、雲が薄く擦れていく。

 眠りに落ちる直前――彼女の耳は、遠くで紙がめくられる音を聞いた。

 シオンの指かもしれないし、物語そのものの手かもしれない。

 どちらでも構わない。

 レーナは目を閉じ、指先の鍵を、もう一度だけ握り直した。

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