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全ルート潰しの王子は今日も現れる/転生ヒロイン、イベント完全制覇をあきらめない  作者: 妙原奇天


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第15話 真相の断片

 午後の光が斜めに差し、図書塔の閲覧室に細い紙埃が舞っていた。高い窓から入る光は本棚の背で切られ、床に長方形の明暗を並べる。空調のない塔はわずかにひんやりして、紙と革と糊の匂いが混ざる。昼休みを遅らせ、レーナは中央の大卓に古地図と事故記録の写しを広げた。定規で線をなぞる感覚が、今は一番落ち着く。線は嘘をつかない。引いた通りに交わり、引いた通りに曲がる。

「現在の導線、ここ。過去の導線、ここ」

 色の違う細い紐を地図の上で動かし、交差点に小さな印を置く。三箇所で重なった。塔の階段踊り場、学園と王城を結ぶ回廊の「影の角」、そして舞踏会場の裏口。どこも狭い。人がすれ違うときに肩が触れ、視線が集中し、歩幅が揃わなくなる場所。そういう場所では「上書き権」が発動しやすい。上位イベントを差し込む余地が生まれるから。王家特権の条文には、そう書かれていない。けれど、運用を眺めれば、行間が教えてくれる。

 レーナは赤鉛筆で三箇所を丸く囲み、印の外側に小さく注釈を書いた。丸の中を眺めていると、紙面から声が立ち上がった。

「影は、優しい。隠してくれるから。でも、閉じ込めるから」

 案内人の声。今日の声は紙の上から滲むように聞こえて、レーナは鉛筆の先を止めた。

「影は、私の味方にも、敵にもなるんだね」

「うん。影は、扉の後ろにできる」

 そこまで言って、声は消えた。呼べばまた出てくると知っているが、呼ばない。呼ばない練習も、今のレーナには必要だ。

 椅子が軽く引かれ、正面に誰かが座った。シオン・ミラスだった。手袋は外さず、背筋を伸ばして腰掛ける。視線は紙の赤い丸に落ち、口元だけがかすかに動く。

「君は“上書き”を、憎むべき機能だと思っている」

「違うの?」

「最初は、安全策だったのかもしれない」

 シオンの声は感情の上下が少ない。だから、逆に言葉の重さが分かる。

「大勢の中で、誰か一人の動線が逸れたとき、全体が危険になる。火の粉は群衆の目で見えにくい。だから『上書き』で導線を正した。……誰かが、とても、とても大切だったから」

 言葉の端に、冬の冷たさが混じっていた。レーナは頬の内側を噛み、紙の角に指を置いた。

「消えた子、だね」

 声が掠れた。言葉にすると、塔の冷気が胸に深く入ってくる。シオンは視線を落として、手袋の指で卓の端を一度撫で、次の文を置く。

「名前は知らない。けれど、記録の余白に残る筆跡は同じだ。王子の現・侍従長の若い手跡」

 シオンは事故記録の写しをめくり、欄外の削られた痕の脇を指で示した。薄いインクの筋が、斜めに走っている。そこに確かに、誰かの言葉があった気配。

「“間に合わなかった”。“もう間に合わせる”」

 短い文。短いのに、塔の高さを一段増したような重さ。過去の負債は、現在の誓いに形を変える。誓いは、誰かの自由を削る。

「間に合わせるために、上書きが制度になった」

「制度は信頼されると、習慣になる。習慣は疑われない。疑われなくなると、検証が止まる」

「止まったのを、動かしたい」

 レーナは自分に言い聞かせるように呟いた。定規の端で三つの丸をもう一度ずらっとなぞる。「影の角」の印のあたりに、薄い汚れが指先に付いた。誰かがここで長く紙を押さえたのだろう。跡は、消えにくい。

 窓辺に立っていたノアが、腕を組んだままこちらを振り向いた。光に縁取られた横顔は、いつもより少し硬い。

「誰かを守るための仕組みが、別の誰かを狭くする。……なら、仕組みそのものに穴を開けるしかない」

 不器用な言い方。けれど、言っていることは正しい。レーナは頷いた。

「穴の開け方を考える。穴は、乱暴に開けたら、周りが崩れる。扉みたいに、蝶番を付けて、開け閉めできるように」

「蝶番は、外からも見えたほうがいい」

 シオンが静かに挟む。「内側でだけ回る扉は、閉じ込める」

「外にも見える蝶番」

 レーナはノートの端に小さく書いた。走り書きの横に、別の手が重なる。

「現場の安全は、現場で決めたい」

 壁にもたれていたカイルが、短く言った。彼の発言はいつも現場の手触りがある。言葉に砂と汗の匂いが混じる。

「危険を分類する紙は、役に立つ。でも、紙が人を守るわけじゃない。守るのは、守りたい人のそばにいる人だ」

「紙は、通路を作る。通路があれば、守りたい人のそばに行きやすくなる」

 レーナが返すと、カイルは頷いた。「通路は、塞がれやすい。塞がれたら、上から抜けられる穴が要る」

「上の穴は、王家の“上書き”そのもの」

「なら、下と横にも穴を」

「穴だらけの壁は、壁じゃない」

 ノアが苦笑した。「壁は壁でありながら、出入り口が多い状態を作る。……設計、楽しくなってきた」

 その軽口に、少しだけ空気が和らぐ。レーナはペン先で卓を軽く打った。目の前の線と、頭の中の線が、同じ場所で重なるのを待つ。

「まとめるよ」

 彼女は指を折り、要点を口にする。「まず、三つの狭い場所に“扉”を置く。誰かが“拒む”を使える場所を、最初から決めて掲示する。次に、上書き権の運用に“同意”の条を挟む。発動条件に“本人の拒絶が明示された場合は停止”を入れる。さらに、外から見える蝶番。止まる練習を私は続ける。王子にも続けさせる」

「王子、守るかな」

 ノアの問いは、揺さぶりではない。純粋な確認だ。

「守らせる。紙にして、掲示する。あの人は紙を破らない。それは、私が知っている“正しさ”の一つ」

 言い切ると、胸の奥の息が楽になった。断言は無謀だが、時々は必要だ。自分に責任を返す言い方は、体を前に進ませる。

 塔の上から、薄い紙の音が降ってきた。ページを捲る音ではない。紙が束の外へ滑り落ちる音。三人が同時に顔を上げる。シオンが立ち、踊り場へ続く細い階段を指さした。

「風だ。最上段の閲覧台、窓が開いている」

 レーナは地図を押さえて画鋲を打ち、事故記録の写しをファイルに戻した。こういうとき、片づけを雑にすると後で必ず痛むと知っている。背を向け、三段だけ一足飛びに上がった。

 踊り場は狭く、古い窓が半分開けっぱなしになっていた。外は晴れて、塔の影が細く地面を切る。閲覧台の上で、薄い紙片が二枚、風に遊ばれていた。レーナは走らない。走ると風が乱れて紙が外へ飛ぶ。足を小刻みに動かし、両手を広げ、紙が落ちる先へ先へと回り込む。紙はふわりと浮いて、彼女の指の間に収まった。

 一枚目は古地図の破片。過去の導線が赤で上書きされ、塔の踊り場と「影の角」に小さな星印。二枚目は、見覚えのある形の紙だった。先日、旧医務室の記録から許可の範囲で写し取り、レーナが追記した一行がある。

――上書きは、同意の扉の前で止まれ

 自分の字。けれど、右下に細い文字で別の手が書き足していた。

――同意の扉は、二人で蝶番を持つ

 誰の字でもなかった。ユリアンの整った字とも、シオンの細い字とも違う。筆圧が軽く、横画がほんの少し右上がり。レーナは軽く眉を上げる。案内人、なのか。あるいは、ほかの誰か。

「貸して」

 いつの間にか隣に来たシオンが紙に目を落とし、筆跡を見比べた。彼は几帳面に紙の端を揃えてから、短く胸で笑った。

「これは……子どもの頃に万年筆を覚えた人の書き方だ。線の始まりの癖と、終わりの甘さ。侍従長の若い頃の手跡に近い。だが、完全には一致しない」

「近い?」

「親しい人間の筆跡は似る。教えた人と、教わった人。……あるいは、親子」

 言葉が、塔の壁に静かに染みる。レーナは呼吸の速度を落とし、紙の文字を指の腹で確かめた。「二人で蝶番を持つ」。上から押しつける蝶番ではない。中と外、内と外。二人で同じ蝶番に手をかける。

「この紙、どこから?」

 ノアが低く問う。レーナは窓の桟に目を向けた。そこに小さな金具の欠片が転がっていた。長く使われた真鍮の色に、最近折れた傷が光る。窓枠に付いていた開閉留めの破片だ。誰かが開け閉めを急いで、壊したのだろう。風が強いわけではない。壊した手の焦りが、ここに残る。

「誰かが、ここまで紙を持ってきて、落とした」

「誰かが、見せに来た」

 シオンがまとめる。カイルが踊り場の入口に立ち、外を一度だけ確認してから、短く言った。

「追うか?」

「追わない」

 レーナは首を振った。「今は、紙を読む。追うのは扉が増えてからでいい。追って捕まえるより、扉で迎えたほうが話が短い」

「話が短いの、好きだ」

 ノアが口角を上げ、片手で窓を閉めた。金具が壊れているので隙間が少し残る。そこに布の切れ端を挟み、空気の流れを弱めた。こういう雑事に強いのがノアの良さだ。派手ではないが、現場を細く守る。

 閲覧室へ戻ると、紙の匂いが濃くなった気がした。窓を閉めたせいだけではない。思考が熱を持ち、匂いを拾いやすくなっている。レーナは拾った紙片を薄いクリアのケースにしまい、古地図と並べた。

「三つの狭い場所に、扉を置く。第一は塔の踊り場。階段の途中に『拒む』位置の標示を出す。第二は回廊の影の角。王城側と学園側の双方に、止まるラインを引く。第三は舞踏会場の裏口。上位イベントの差し込み点に、同意の掲示を事前設置する」

「掲示を…事前に?」

「うん。上書き権の運用通知の横に、同じ大きさで」

「王家の掲示の横に、君の掲示?」

「私のじゃない。学生会の。『安全委員会指示』の形式で出す。安全は王家と学生会の共通利益。王子は反対できない」

 ノアが指を折り、確認する。「それ、通すのは誰?」

「書記を通して、教務へ。教務の形式審査を通したあと、王城の庶務官に回す。庶務官は形式が整っていれば押印する。押印された紙は、王子が破らない」

 シオンが薄く笑った。「よく見ている」

「見て学んだ。……王子の正しさを使って、王子の正しさに穴を開ける」

 言いながら、自分で少しだけ笑ってしまった。矛盾は嫌いではない。矛盾を越えるための設計は、やる気が出る。カイルが壁を離れ、卓の端で拳を軽く握った。

「現場の準備は引き受ける。踊り場の標示は俺の班で。回廊は見張りを薄くしないように配置を組む。舞踏会場の裏口は……」

「私が行く」

 レーナは先に言った。三つの中で、いちばん難しいのは裏口だ。ここは上位イベントが差し込まれやすい。王家の侍従がいつでも通れる通路。そこに「拒む」を置くのは、失礼の寸前だ。だが、置く。置いて、見せる。

「舞踏会の音が止まる瞬間、裏口に“同意”の紙を掲示する。掲示台は移動式。舞台の袖に置いて、曲間に出す。司会の合図は私が出す」

「司会、できるの?」

「できる。やり方は知ってる」

 やったことはない。けれど、できる。そう言っておけば、体が追いつく。ノアが肩で笑い、頷いた。

「俺は表を見てる。匿名品の出入りも、オークションも。『中央磁場』の動きが変わったら合図する」

「合図は笛で」

「笛、持つ?」

「持つ」

 木の笛。幼い日の合言葉を取り戻した道具。あの音は、騒がしい場所でも届く。届く音は、扉を見つけやすくする。

 案内人の声が、紙の上で跳ねた。

「合言葉、覚えてる?」

「忘れない」

 レーナは答え、笛の指の位置を空で軽くなぞった。音は鳴らさない。鳴らせば今は集中が切れる。鳴らさない音の形だけを、指に通す。

「もう一件」

 シオンが小声で言い、机の下から薄い封筒を出した。宛名は「学生会安全委員 各位」。差出人は王城庶務。丁寧な文字で短く書いてある。

――回廊の「影の角」について。過去の事故を踏まえ、警備を強化していたが、現場からの報告により視認性の改善が必要と判断。灯りの追加設置を許可。

 レーナは封筒の中身を読み、顔を上げた。「灯りの追加、許可が来た。影の角に、灯りが点く」

「影は、優しいけど、閉じ込める」

 さっきの案内人の言葉が、頭の中で線と重なる。影を薄くする灯りは、過去のやり方なら上からの指示でしか置けない。けれど、今は現場からの報告が動かした。動くなら、押す。押して、通す。

「今日の夕刻、見に行く。設置の位置を細かく決める。光が強すぎると、逆に眩しくて目が効かなくなる。弱すぎると、影が濃くなる。『読みやすい光』にする」

「光の読みやすさって、何で決まる?」

 ノアの問いに、レーナは即答した。「歩幅」

「歩幅?」

「歩く人が、自分の歩幅で石の継ぎ目を見られるかどうか。見えると、人は無意識に歩きやすい道を選ぶ。歩きやすい道ができると、群衆は流れる。流れができると、上書きの余地が減る」

 カイルが目を細めた。「それ、現場で試す価値がある」

「試す。今日、線を引いて、君に見てもらう」

 話が具体になると、紙の匂いが薄くなり、代わりに道具の匂いが濃くなる。金具、油、布。現場へ出る準備だ。

 そのとき、閲覧室の入り口で靴音が止まった。侍従服の少年が一礼し、手にしたトレイを差し出す。トレイの上には、薄いメモが一枚。

「王子より、学生会安全委員様へ。掲示予定の文案、確認済み。修正なし。庶務へ回付済み」

 レーナは受け取り、目で礼を返した。少年は余計な視線を向けず、静かに去る。メモの端に小さく、今日の日付と、見慣れた整った字。

――本日、扉の前で止まる練習をする(宣言)

 紙は薄いのに、手の中で重かった。シオンがそれを読み、眉をわずかに上げる。

「蝶番は、外からも見える」

「見えるうちは、真似できる」

 ノアが笑い、窓の鍵の壊れた金具を指先でもてあそんだ。「真似されるなら、こちらの速度で真似させればいい」

 レーナは卓上の紙を揃え、ファイルに戻し、封を閉じた。塔の空気は相変わらず冷たいが、胸の奥の温度は一定に保たれている。止まることにも速度がある。今日は、その速度を自分で決められている。

「行こう。まずは『影の角』。灯りの位置を決める。その次に舞踏会場の裏口を確認。設置用の掲示台は、工房に頼めば夕方までに間に合う」

「俺は工房に先行する」

 カイルが扉へ向かう。ノアは窓際の古い紐に手をかけ、簡易の旗を下ろした。学生会の「現場作業中」の合図だ。シオンは紙片の入ったクリアケースを自分の手帳の間に挟み、手袋の裾を整えた。

「舞踏会は明日夜。中央磁場の中心に、君の掲示が入る。王子は、見ないふりはしない。見て、止まる練習をする。そのとき、君は何を言う?」

「言わない」

 レーナは扉の前で振り向いた。「合図だけ。『拒む』の位置に立って、笛を持つ。言葉は、王子に作ってもらう。定義は、二人で書くと、二人の言葉になる」

 案内人の声が、ほんの少しだけ弾んだ。

「覚えてる」

「忘れない」

 塔を出ると、午後の光は角度を変え、回廊の影を濃くしていた。狭い角に足を踏み入れる前に、レーナは立ち止まる。ここに灯りを置く。置く場所を選ぶ。選び方を、紙に落とす。紙に落としたら、誰でも真似できる。真似できるように、短く書く。

 壁の石は冷たく、目地は少し欠けている。指でなぞると、粉が手に付く。これが現場。現場で決める。現場の決定を、紙にする。紙を持って、舞踏会場へ行く。舞踏会場の裏口に、扉を置く。扉の前で「拒む」を言えるように、蝶番を見せる。

 レーナは振り返り、仲間の顔を順に見た。ノアは短く頷き、カイルは軽く拳を握り、シオンは目を細めた。案内人は何も言わない。言わないことで、背中を押す。

 歩き出す。影は優しい。けれど、閉じ込める。閉じ込めない影を作るには、灯りが要る。灯りは強すぎると眩しい。弱すぎると見えない。読みやすい光を、置く。読みやすい光は、選べる道を増やす。選べる道が増えれば、上書きは止まる。止まれば、誰かの自由が戻る。

 明日の舞踏会は、宣言と拒絶がぶつかる場になる。中央磁場の真ん中で、紙と笛と扉で勝つ。勝つとは、誰かを負かすことじゃない。勝つとは、約束を増やすこと。レーナは胸の中でゆっくり言い、歩幅を半歩だけ広げた。速度は、自分で決める。

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