魔術都市〈エルゼリア〉 01
石造りの門が、朝の光を受けて白く輝いていた。
魔術都市〈エルゼリア〉——魔法の技術が集まり、術者たちが腕を競い合う都。
空気は濃密で、魔力の流れが街の上空を渦巻いている。
門の前で、彼女は立ち止まった。
肩の上の黒猫が、しっぽを揺らしながら鼻をひくつかせる。
「にゃー...魔力が濃い。それに、プライドの匂いがぷんぷんするわ。鼻が曲がりそう。」
門番が一歩前に出て、無言の彼女を見下ろすように言った。
「この街に入るには、身分証の提示が必要だ。ギルド登録証でも構わん。」
彼女は黙ったまま、鞄の中を探る。当たり前だが、何も出てこない。 黒猫が代わりに答える。
「この子、山奥で修行してたから、そんなもの持ってないの。ギルドにも登録してないわよ。」
門番は眉をひそめた。
「未登録か。見習いか?」
黒猫がふんと鼻を鳴らす。
「見習いじゃないわよ。れっきとした魔法使い。ただ、登録してないのは事実だから、ギルドに案内してちょうだい。」
門番は少し考えたあと、ため息をついて言った。
「...わかった。ギルドで身分証を発行してもらえ。街の規則だ。案内人をつける」
彼女は何も言わずに頷いた。
黒猫は肩の上でしっぽを揺らしながら、満足げに言う。
「にゃっ、さっさと済ませて、街を歩きましょ。魔術都市に眠った魔法があるかもね?」
門をくぐった瞬間、空気が変わった。 通りには魔具店や研究所が並び、人々の声と魔力のざわめきが混ざり合っていた。 彼女は、静かにその流れを感じ取りながら、ギルドへと歩き出した。
ギルドの建物は、白い石で造られた荘厳な造りだった。
扉をくぐると、広いホールに魔術師たちの姿が見える。
談笑する者、魔具を調整する者、魔法陣を描いている者—— それぞれが自分の技術に誇りを持っているのが、空気から伝わってくる。
彼女はまっすぐ受付へ向かった。
黒猫は肩の上でしっぽを揺らしながら、周囲を見回す。
「にゃー...どこ見ても、偉そうな顔ばっかり。この街、ほんと疲れるわ。」
受付には、整った制服を着た女性が座っていた。
彼女は主人公の姿を見て、柔らかく微笑む。
「ようこそ、魔術師ギルドへ。いかがなさいましたか?」
彼女は黙ったままなので、黒猫が代わりに答える。
「この子、山奥で修行してたから、登録証なんて持ってないの。ギルドにも初めて来たのよ。」
受付の女性は少し驚いたように目を見開いた。
「そうですか。では、仮登録の手続きをしましょう。こちらに魔力を流していただければ、登録は完了します」
そう言って差し出されたのは、水晶のような魔力測定具。
彼女は黙ってそれに手をかざす。
瞬間、水晶がまばゆい光を放ち、周囲の空気が震えた。
ホールにいた魔術師たちが、一斉にこちらを振り返る。
受付の女性が、目を見開いたまま呟いた。
「...こんな反応、見たことがありません...」
黒猫がにやりと笑う。
「ふふん、当然でしょ。この子の魔力、あんたたちの常識じゃ測れないわよ。」
彼女は何も言わず、静かに水晶から手を離した。
その瞳は、都市の奥に渦巻く魔力の流れを見つめていた。
——そして、ギルドの片隅で、ひとり膝を抱える少女の姿が、彼女の視界に入る。
ギルドの片隅。 白い石の床に膝をつき、ひとりの少女がうずくまっていた。 周囲には数人の若い魔術師たち。彼女を囲み、嘲るような声が飛び交っている。
「また失敗かよ。何度詠唱しても魔法が出ないって、才能ないんじゃね?」
「魔力だけあっても意味ないんだよ。制御できなきゃ、ただの出来損ないだ。」
少女は顔を伏せたまま、震える手で杖を握っていた。 その周囲の空気が、微かに揺れている。 魔力は確かに存在している——だが、魔法という形にならない。
黒猫が彼女の肩から飛び降り、しっぽを立てて言う。
「にゃっ...出来損ない?あの子が?冗談じゃないわね。」
彼女は黙ったまま、少女を見つめる。 その瞳には、少女の魔力が“外へ出ようとしているのに、出口を見失っている”様子が映っていた。
黒猫が鼻をひくつかせながら言う。
「魔力は十分というか、ここでいじめてる奴の誰よりも多い魔力量じゃない。けど、術式に馴染まない。詠唱しても反応しない。あんたの出口が違うのよ。それに...このいい匂い。精霊が好みそうな匂いね。」
黒猫は少女の周囲を一周しながら、鼻をひくつかせる。
「…やっぱり。魔力の流れが、誰かを待ってる。あんた、自分の魔力で魔法を使おうとしてるけど、違うのよ。精霊の力を借りてるタイプなの。自分じゃなく、誰かと一緒に魔法を使う子。」
少女は顔を上げる。涙の跡が頬に残っていたが、瞳は揺れていた。
「...誰かと、一緒に...?」
黒猫は彼女の肩に戻りながら、しっぽを揺らす。
「使い魔を召喚してみたら?精霊に近い存在なら、魔力の出口になってくれるかもしれないわよ。」
少女は驚いたように彼女を見つめる。彼女は、静かに頷いた。
「...でも、私、召喚なんてやったことないし...」
黒猫がにやりと笑う。
「やったことないからって、できないとは限らない。あんたの魔力は、呼ばれるのを待ってる。試してみなさいよ。」
少女は、黒猫の言葉に戸惑いながらも、杖を握りしめたまま立ち尽くしていた。
だが、彼女は気にする様子もなく、静かにしゃがみ込む。
白い石の床に、指先でなぞるように描き始めたのは、召喚の術式だった。
それは都市の魔術師たちが使う幾何学的な術式とはまるで違う。
直線も円もない。まるで風が砂に描いたような、柔らかく、流れるような線。
黒猫がぽつりと呟く。
「この術式は、魔力を纏ってると干渉しちゃうからね。あんたの魔力残しちゃダメよ。代わりに、あの子に流させるのよ。」
彼女は、静かに頷く。
少女は目を見開いた。
「これに、わ、私の魔力を...?」
彼女は無言のまま、少女の手を取り、術式の中心に導いた。 その手は温かく、けれど不思議なほど軽かった。
「魔力を、流してみて」
黒猫が優しく促す。
少女は深く息を吸い、目を閉じる。心の奥にある、あの震えるような光を思い出す。 それを、そっと術式へと流し込む。
——瞬間、術式が淡く光を帯びた。
床に描かれた線が、まるで生き物のように脈動し、空気が震える。
魔力が術式に沿って流れ、中心に集まっていく。
そして、光が生まれた。
淡い緑の光。 小さな羽を持ち、風のように揺れる存在。
それは、少女の魔力に応じて現れた精霊に近い使い魔だった。
少女は、目を開けてその姿を見つめる。
その瞳に、驚きと、涙が浮かぶ。
「...来てくれた...」
黒猫が、そんな少女に誇るように言う。
「試しに、初級の魔法を使ってみなさい。風でも光でもいい。精霊が来てくれたなら、もう魔力は通るはずよ。」
少女は、精霊の姿を見つめながら、そっと頷いた。
小さな羽を持つその存在は、彼女の周囲をふわりと漂いながら、魔力の流れを整えているようだった。
彼女は、震える手で杖を構える。
今まで何度も試して、何度も失敗した動作。
けれど今は、胸の奥に、確かな“つながり”がある。
「...風よ、少しだけ、吹いて。」
声は小さく、呟きのようだった。 詠唱というより、願いに近い。
——次の瞬間。
杖の先から、柔らかな風が生まれた。それは、彼女の髪を揺らし、精霊の羽を優しく撫でる。 空気が震え、魔力が形になった。
少女の瞳が見開かれる。
「...出た...魔法が!!」
黒猫が満足げにしっぽを揺らす。
「ほらね。あんたの魔法は、精霊の力を借りるタイプだったのよ。術式も詠唱も、あんたには合わない。でも、こうして呼べば、魔力はちゃんと応えてくれる。」
彼女は、静かに少女を見つめていた。
その瞳には、初めて魔法を使えた者の輝きが映っていた。
ギルドの空気が、静かに変わる。 誰もがその光景を見つめていた。
少女の魔法は、小さな風だった。 けれど、それは確かに——彼女自身の魔法だった。




