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夜市の灯火 02

朝の街は、夜とは違う顔をしていた。露店の準備が始まり、パンの焼ける香ばしい匂いが通りに広がる。人々の声は軽やかで、魔力の流れも浅く、穏やかだった。


宿を出てすぐ、彼女と黒猫は通りの角にあるパン屋に立ち寄った。石窯の奥から、焼きたてのパンが次々と並べられていく。黒猫が鼻をひくつかせながら、店主に声をかける。

「にゃー。朝食に、香草パンと果実パンをひとつずつ。あと、ミルクパンね」


彼女は黙って受け取り、パンをひとくちかじる。 外はぱりっと、中はふわりと甘い。ほんの少しだけ、目を細めた。


パンを受け取るついでに、黒猫が店主に尋ねる。

「にゃー。そういえば、街の廃墟ってどこにあるの?夜になると灯りがともるって噂の。」


店主は、パンを並べながら少しだけ眉をひそめた。

「ああ、あそこかい。街の中心から少し外れた場所さ。今は崩れかけた石の門が残ってるだけだけど、昔は劇場だったんだよ。ずいぶん前に閉鎖されてね。昼間は誰も近づかないけど、夜になると...灯りがともるって話があるよ」


黒猫が頷く。

「ありがとにゃー。やっぱり、噂は本当みたいね。」


彼女は、街の喧騒の中を静かに歩く。魔力の流れは、通りの騒音に埋もれている。 けれど、時折、風の隙間から“呼び声”のような震えが聞こえる。


やがて、廃墟が見えてきた。 崩れかけた石の門。かつて劇場だったという建物の残骸。 昼間の今は、ただの静かな空間。人の気配はない。


黒猫が肩の上で囁く。

「ここね。夜になると、灯りがともるって話。今は何もないけど、魔力が眠ってる感じがする。」


彼女は、門の前で立ち止まる。 指先が、微かに震えていた。魔力が、確かにここに“ある”。ただし、まだ目覚めていない。


黒猫が、そっと言う。

「今夜、来よう。あんたが探してるもの、新しい魔法が、ここにあるかもしれない。」


彼女は、ゆっくりと頷いた。 沈黙のまま、街の中に眠る異界へと、歩みを進める準備を始めていた。




「夜まで時間があるわ。気になるお店があったのよね、そこに向かうわよ、沈黙の魔女!」


彼女は黙って歩き出す。昨日の街歩きの途中、黒猫が何度も振り返っていた店があった。魔具と古道具を扱う、細い路地の奥にある店だ。


通りを抜け、石畳の隙間に草が生える裏道へ。店の扉は半開きで、風鈴のような魔具が軒先で揺れていた。


店内は薄暗く、棚には魔力の残滓を帯びた品々が並んでいる。 割れた水晶、封印された小箱、音を吸う鈴—— 黒猫が棚の間を跳ねるように歩きながら、目を輝かせる。

「にゃん。昨日見たときから気になってたのよ。変なモノたくさんね。」


その後も、街のあちこちを巡る。 魔法書を扱う古書店、香草を焚く薬屋、魔力で動く玩具の露店。 黒猫はあちこちで店主と話し、彼女は静かに見守る。


日が傾き始める頃、街の空気が少しずつ変わっていく。 通りの灯りがともり始め、魔力の流れが再びざわめき始める。


黒猫が、肩の上で耳を立てる。

「...そろそろね。廃墟の方、魔力が動き出してる。夜市、現れるかしら。」


彼女は、静かに歩き出す。 昼間の街の喧騒を背に、沈黙のまま、灯りの向こうへ向かっていく。



夕暮れが街を染め始める頃、沈黙の魔女と黒猫は裏通りへと足を向けた。


昼間に訪れた廃墟——かつて劇場だったという場所。今は崩れかけた石の門が残るのみ。


通りの喧騒はまだ続いていたが、廃墟の周囲だけは不思議なほど静かだった。


人々は近づかず、目を向けることさえ避けている。まるで、そこだけ街の地図から切り離されているようだった。


黒猫が肩の上で囁く。

「空気が変わってきた。魔力が、目を覚まし始めてる。」


彼女は、門の前で立ち止まる。 指先が、微かに震えていた。 魔力の流れが、街のざわめきの下で脈打っている。



そして——


石の門の奥に、ひとつの灯火がともった。誰もいないはずの廃墟に、光が差す。


黒猫が、低く息を呑む。

「...これが夜市。招かれた者だけが入れるって噂、ほんとだったのね」


彼女は、何も言わずに歩き出す。 灯火の先へ。魔力の震えが、足を導いていた。


灯火が浮かび上がる。 誰もいないはずの廃墟に、露店が並び始める。 空気は濃密で、魔力の匂いが満ちていた。 声はない。音もない。 けれど、確かに“何かを探している者たち”が、そこにいた。


彼女は、灯火の間を静かに歩いていた。 露店の品々は、どれも魔力の残滓を帯びている。

そのとき——



小さなランタンの灯り。

それを手にした“少年”が、こちらへと歩いてくる。


深い青の外套。

幼い顔立ち。

けれど、その目は、長い時間を歩いてきた者のように静かだった。


彼は、魔女の前で立ち止まり、そっと言った。

「……君も、探してるの?」


彼女は、何も言わない。 けれど、目を伏せて、ほんの少しだけ頷いた。


黒猫は、彼女の代わりに答える。

「にゃー。何を探してるのかって?この子は、知らない魔法があるかもしれないって、それだけで旅をして、ここにも来てるんだから。」


「で、あんたも何か探してるの?」


少年は、少しだけ考えるように目を伏せた。

「...わからない。でも、“声”を探してるってことだけは、覚えてる。僕にとって大事だったことだけは、確かなんだ」


魔女は、静かにその場所を指さす。 灯火の果て。 誰も踏み入れたことのない、沈黙の底。


少年は、少しだけ震える声で言った。

「ずっと、この夜市を探し回ってる。でも、あそこだけは...怖くて、近づけなかった。暗い場所って、苦手で。」


「...でも、君が一緒なら、行けるかもしれない。あの奥に、古い本があるって聞いたことがある。君が探してる魔法——そこに書かれてるかもしれない。」



黒猫が、彼女の肩で身じろぎする。

「にゃ。古い本? それって、誰が書いたの?」


少年は、首をかしげる。

「わからない。...でも、ずっと前から、そこにあるって言われてる。 僕の探し物とは関係ないと思ってたけど...今は、なんだか気になる。」


魔女は、何も言わない。 けれど、その目は、灯火の果てに向けて静かに揺れていた。


灯火が、ひとつだけ強く揺れた。夜市の奥で、何かが目を覚まそうとしていた。

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