魔法を拒む未来
地下室に降り立った少年と黒猫の前に、巨大な石碑が立ちはだかっていた。
石碑の表面には「魔法を拒み、平穏を守る」という誓いの言葉が刻まれている。
だが、その奥深くに刻まれた術式は淡い光を放ち、まるで心臓の鼓動のように脈動していた。
少年はその光景に目を奪われた。
「……すごい。まるで生きているみたいだ」
彼の瞳には、術式の淡い光が神秘的な輝きとして映り、胸の奥が熱くなるような感覚を覚えていた。
黒猫はその光をじっと見つめ、尻尾をぴんと立てて声を張り上げた。
「にゃー。石碑が魔力を吸い込んでいる。だから街の中では魔法が使えなくなるんだよ。そして吸った魔力は地下へ流れ、大地を潤し、作物を育て、水を清め、街を豊かにしている」
少年は驚きの表情を浮かべた。
「魔法を拒んでいるのに……魔法で生かされているってこと?」
黒猫は大きく頷いた。
「にゃん。人々は魔法を憎んでこの術を望んだ。でも大魔法使いは、ただ拒むだけじゃなく、街を豊かにする仕組みを残したんだ。優しさなのか、同胞のお詫びなのか」
少年はしばらく黙り込み、石碑の淡い光を見つめ続けた。
胸の奥に複雑な感情が渦巻いていた。
「……なんだか、不思議だね。人は魔法を恐れて拒んだのに、結局は魔法に守られている。怖いものを遠ざけようとして、でもその力に支えられているなんて……」
黒猫は尻尾を揺らし、少し笑うように声を張り上げた。
「にゃにゃ。人間ってそういう矛盾を抱えて生きてるんだね。でも、その矛盾が街を生かしてる」
少年は深く息を吸い込み、淡い光を見つめながら小さく頷いた。
「……この街は、ただ魔法を拒んでいるんじゃない。魔法と人の願いが混ざり合ってできた街なんだね。」
少年は光を見つめ続けた。
彼の瞳には、ただの石碑ではなく「街の心臓」として脈打つ存在が映っていた。
少年は石碑の淡い光を見つめながら、胸の奥から自然に言葉がこぼれ落ちた。
「いつか……いつかこの街は魔法を許すことができるのかな?その時に、この石碑の役目は終わるんだろうね。そんな未来が来るのかな……」
その声は小さく、けれど確かな響きを持っていた。
彼にとって石碑はただの遺物ではなく、人々の恐怖と憎しみ、そして大魔法使いの優しさが混ざり合った「心臓」だった。
だからこそ、その役目が終わる未来を想像することは、街が本当の意味で恐怖から解放される瞬間を思い描くことでもあった。
黒猫は尻尾を揺らし、静かに答えた。
「にゃん……そうだね。人々が魔法を恐れなくなった時、この石碑はもう必要なくなる。魔力を吸い込んで街を守る役目を終えて、ただの石になる。けれど、それは悲しいことじゃない。むしろ、この街が本当に自由になる証なんだ。」
少年はその言葉を聞き、胸に温かいものが広がるのを感じた。
「……そうか。石碑がなくても街が生きていける未来。それはきっと、大魔法使いが本当に望んでいたことなんだね。」
地下室の静寂の中で、少年と黒猫はそれぞれに未来を思い描いていた。 石碑が役目を終える日――それは街が魔法を許し、人々が恐怖から解放される日。
矛盾と皮肉に満ちた街の歴史が、優しさと赦しへと変わる瞬間。
地下室で石碑を前にした少年と黒猫は、しばらくその淡い光を見つめていた。
黒猫が語った「魔法を拒みながらも魔法で生かされている街」という矛盾は、少年の胸に強く刻まれていた。
少年は深く頷き、石碑に背を向けた。階段を上り、再び地上へ戻る。
扉を閉めると、地下の静寂は闇に包まれ、街の心臓は再び人々の目から隠された。
彼らが戻ったのは宿の部屋だった。そこには彼女が静かに待っていた。机の上には薬草が並べられていたが、彼女はそれを片付けていた。
無言のまま、ただ二人を見つめる。その瞳には強い決意が宿っていた。
少年は彼女に向かって言った。
「僕たち、街を出よう。外には魔法がある。君の力も、そこでなら解き放てるはずだ。」
黒猫は尻尾をぴんと立て、声を張り上げた。
「にゃん! そうね、ここでは魔法は眠ってしまう。でも外に出れば、きっと新しい世界が待ってる!」
彼女は短く頷いた。それだけで十分だった。三人は荷をまとめ、宿を後にした。
街の門へ向かう石畳を歩くたびに、過ごした日々の記憶が蘇る。魔法使いの形を捨て、どこにでもいる街人になりきった彼女とデートのような散策をしたこと。老人の語り、図書館の隠し扉、地下の石碑。街の人々の笑顔や薬草の香り、鐘楼の音。すべてが胸に刻まれていた。
門を抜けると、眩しい陽射しが広がった。
街の外の空気は澄み渡り、魔力が流れているのを彼女は感じ取った。彼女は深呼吸をし、胸の奥に眠る魔力を確かめる。無言のまま、瞳は輝いていた。
少年はその姿を見て笑い、黒猫は声を張り上げた。
「にゃん! やっと自由だ!」
振り返れば、陽に照らされた街がキラキラと輝いていた。
街を出た彼女は、夕暮れの丘に立っていた。
背後には少年と黒猫が寄り添い、前方には沈み込む太陽と夜の狭間の空が広がっている。
街を覆っていた結界の外に出た今、彼女の魔力は解き放たれ、胸の奥から溢れ出すように脈動していた。
彼女は静かに目を閉じ、両手を広げる。 その瞬間、空気が震え、魔力が奔流となって駆け巡った。
――そして、空に色とりどりの光が咲き誇った。
赤、青、緑、金。幾重にも重なる光の大輪が、沈みゆく太陽と夜の狭間の空を彩る。
まるで花火のように、次々と咲いては散り、また咲いては広がる。
街の人々は驚き、家々から飛び出して空を見上げた。 魔法を拒む街の結界の中にいても、その光景ははっきりと見えた。 誰もが息を呑み、恐怖ではなく感動に包まれていた。
黒猫は尻尾をぴんと立て、声を張り上げた。
「にゃん!見てごらん!これが沈黙の魔女の魔法よ!」
少年は目を輝かせ、胸を震わせながら呟いた。
「……綺麗だ。魔法は恐ろしいものじゃない。人を喜ばせる力なんだ。」
光の大輪は夜空に広がり続け、街全体を照らした。
それは恐怖を拒むための魔法ではなく、人々に希望を示すための魔法だった。
老人も広場からその光を見上げ、深い皺に笑みを刻んだ。
「……いつか、この街も魔法を許す日が来るといいね。」
沈み込む太陽と夜の狭間に咲いた光の花は、街の歴史に刻まれる一夜となった。
それは街の人々にとって、魔法への恐怖を越え、未来への希望を抱くきっかけとなる――




