魔法を拒む理由
次の日
宿の一室は、昼下がりの陽光が窓から差し込んでいたが、彼女はその光を背にして机に向かっていた。
机の上には乾いた薬草、まだ摘み取ったばかりの青々とした葉、根を切り分けたばかりの土の匂いを残す束が、所狭しと並べられている。彼女は黙々と作業を続けていた。
薬草を一枚一枚手に取り、葉脈の走り方を確かめ、香りを嗅ぎ、乾燥具合を見極める。時折、刃物で根を切り分け、瓶に詰め、布で包み、並べる。その一連の動作は、まるで儀式のように整然としていた。
この街では魔法を使うことができない。彼女も初日に試みたが、体の奥から力が抜けるような「無力化の感覚」に襲われ、魔法を放つことはできなかった。
だからこそ、彼女は魔力を込めることを諦め、薬草の効能を確かめることに没頭していた。彼女は、ただ静かに己の興味に身を委ねていた。
少年はそんな彼女を見て、少し残念そうに笑った。
今日もデートが出来ると思ったが、この様子では外に出る様子は無い。
「邪魔になりそうだから街の散策してくるね」と少年が言うと、
黒猫は尻尾を揺らし、元気いっぱいに声を張り上げた。
「にゃー!わたしも行くわ!」と答え、二人は彼女を残して街へ飛び出していった。
彼女はその背中を見送ることもなく、ただ薬草に向き合い続けた。
街の広場は、昼下がりの陽光に照らされていた。
石畳の上を子どもたちが走り回り、商人たちが声を張り上げ、薬草の香りが風に混じって漂っている。
そんな賑わいの中で、少年と黒猫は一人の老人に出会った。
老人は深い皺を刻んだ顔に過去の記憶を宿し、ゆっくりと語り始めた。
「この街は昔、ただの小さな村だったのだよ。魔法を持たない人々が、近隣の魔法使いの街から迫害を受け、逃げ込んできた場所だった。魔法を拒む者たちが集まり、ここで暮らし始めたのだ。」
******
村はまだ街と呼べるほど大きくはなく、木造の家々が並び、畑を耕す人々の姿があった。
子どもたちは笑い声を上げ、川辺で遊び、穏やかな日々が続いていた。
だがその平穏は、突如として破られた。
空が赤く染まり、炎の矢が降り注ぐ。傲慢な魔法使いたちが村を襲ったのだ。
彼らは「魔法を拒む者など許されぬ」と叫び、村人たちの家を焼き払い、畑を踏み荒らし、恐怖を撒き散らした。
村人たちは泣き叫び、逃げ惑い、絶望が広がった。
その時、一人の大魔法使いが現れた。
彼の姿は静かで、しかし圧倒的な力を纏っていた。
彼は暴れる魔法使いたちを捕らえ、魔法を行使できないように封じた。
炎は消え、村に静けさが戻った。
大魔法使いは村人たちに問いかけた。
「この者たちは、やってはならぬことをした。もう魔法は使えぬようにした。煮るなり焼くなりして構わない。さらに、この村を守るために魔法を無効とする術を施すこともできる。どうする?」
村人たちは集まり、話し合った。
魔法使いが憎い。
魔法そのものが憎い。
誰もが恐怖と怒りに支配されていた。すぐに結論が出た。「魔法を無効とする術」を望んだ。
「魔法を魔法で縛るとは……皮肉なことだな」 一人の村人がポツリと呟いた。
大魔法使いは術を施した。村を覆う結界が生まれ、魔法はこの地で力を失った。
村人たちは安堵し、再び畑を耕し、家を建て直した。
だが、捕らえられた元魔法使いたちは殴られ蹴られ、ボロボロになった。殺されはしなかったが、奴隷のように扱われ、魔法を失った身で生きることを強いられた。
******
老人の声が再び広場に響いた。
「それが、この街の始まりなのだよ。魔法を拒むことで生まれた街。だが皮肉にも、その術は魔法によって施された。」
少年は深く頷いた。黒猫は尻尾を揺らす。
少年は老人の話を聞きながら、胸の奥に湧き上がる疑問を抑えきれなかった。
彼は一歩近づき、真剣な眼差しで老人に問いかけた。
「その……大魔法使いが残した術式は、いったいどこにあるんですか?」
老人は少年の問いに、しばらく沈黙した。深い皺に影を落とし、遠い記憶を探るように目を閉じる。
その沈黙は重く、広場のざわめきさえ遠ざけるようだった。
やがて老人は低く、しかし確かな声で答えた。
「術式がどこにあるかは、わしにも分からん。あれは街の心臓だから、誰にも教えられていないのだ。だが、もっと色々知りたいなら図書館へ行くといい。古いが、この街の歴史本がたくさん残っている。そこには、街の成り立ちや人々の誓いが記されているはずだ。」
黒猫は尻尾をぴんと立て、少年は胸を高鳴らせながら頷いた。
図書館は街の中央にあり、古びた石造りの建物だった。
扉を開けると、埃の匂いと紙のざらついた香りが漂い、静寂が支配していた。棚には分厚い本が並び、古い記録が眠っている。
少年は黒猫と共に奥へ進み、歴史書を手に取った。
少年の背中が壁の一部に寄りかかった瞬間、微かな動きを感じた。石造りの壁の一部が少年の重みでわずかにずれたのだ。
少年は息を呑み、力を込めて押すと、重い音を立てて壁が開いた。そこには隠し扉があり、暗い地下へと続く階段が現れた。
黒猫は目を輝かせ、声を張り上げた。
「にゃ! 隠し扉!?」
少年は胸を高鳴らせながら、暗い階段を見下ろした。
老人の言葉が頭に響く――「街の心臓」。その秘密が、今まさに目の前に姿を現そうとしていた。




