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世界樹

彼女は世界樹にそっと触れた。

幹は冷たく、乾いていた。 その奥に、かすかな鼓動があった。

けれど、それは、終わりに向かう命の音だった。


彼女は静かに首を振る。 黒猫が、ぽつりとつぶやいた。


「……寿命なのね。」


その言葉に、妖精王たちは息を呑んだ。

森の中心が、静かに消えようとしている。 誰もが、言葉を失った。


彼女はもう一度、世界樹に触れた。

沈黙の中で、微かな悲しむ声が届いた。 それは、世界樹の思念だった。


――本来なら、次代の種が生まれてくるはずだった。 けれど、力を使い果たしてしまい、それができない。 子を産めずに枯れ死んでいくことに、深く嘆いていた。


彼女は、心の中で問いかける。

『どうしたらいい?』


世界樹は、静かに答えた。

――ほんの少しだけ、力が欲しい。


彼女は目を閉じ、魔力を流し始めた。

けれど、それは足りなかった。

世界樹は、わずかに震えたが、芽は生まれなかった。


そのとき、彼女の記憶の奥から、師匠の声がよみがえった。


「魔法使いは、魔力を全身に巡らせて魔法を使う。 それでも余る魔力は、髪に宿る。 だから、魔法使いの髪は、ただの飾りじゃない。 一本一本が、命を繋ぐ力を持っている。 お前も、髪は大事にしなさい。」


彼女は鞄を探った。 あった。ナイフだ。


迷いはなかった。

彼女は髪を束ね、静かにナイフを振るった。


腰まであった美しい髪が、肩の上まで切り落とされた。 風が、切り口を撫でる。


黒猫は、目を細めて彼女を見つめた。 そして、ふっと笑って言った。


「その髪、魔力のかたまりなのに……ま、らしいけど。」


彼女は何も言わず、髪の束を世界樹の根元にそっと置いた。


すると――


髪は、根に吸い込まれていく。

光が走る。 幹が、わずかに輝いた。


だが、何も起こらなかった。


世界樹は、最後の力を使い果たし、枝を落としていく。

葉が舞い、幹が崩れ、塵となる。


静かに、静かに、命が終わっていく。


残ったのは、大きな切り株。


そして――


切り株の中心から、小さな芽が、静かに顔を出した。


それは、まだ弱々しく、けれど確かに生きていた。 世界樹は、新たな命を残し、静かに消えていった。


彼女はその芽を見つめていた。 何も言わず、ただ、風の音に耳を澄ませていた。


その横で、少年が頬を朱くしながら、ぽつりとつぶやいた。


「……か、かわいい……」


黒猫がちらりと彼を見て、ため息をついた。


「……あんた、今それ言う?」


妖精王は小さく笑った。


彼女は気づいていないのか、気にしていないのか、ただ静かに立っていた。 その背に、風が吹いた。


新しい物語が、芽吹こうとしていた。




切り株の中心に芽吹いた小さな命を、彼女は静かに見つめていた。

風が吹き、森が息を吹き返す。

その空気の中で、妖精王が一歩、彼女に近づいた。


「あなたの力が、森を救いました。 いや――森だけではない。 竜脈の流れが整ったことで、世界もまた、崩壊を免れたのです。 心より感謝を申し上げます、沈黙の魔女よ。」


彼女は何も言わない。 ただ、まぶたを伏せて、その言葉を受け止めた。


妖精王は、芽を見つめながら続ける。


「けれど、まだこの芽は弱い。 大きな地殻変動は起こらないでしょうが、しばらくは小さな災害が各地で起こるかもしれません。 それも、時間が経てば収まるでしょう。 旅を続けるなら、どうか気をつけて。」


彼女は静かに頷いた。


妖精王は、微笑みながら言った。


「もし、助けが必要なときは、語りかけてください。 妖精は、至るところにいます。 あなたの声――沈黙の声でも――きっと届く。 そのときは、力を貸しましょう。 あなたは、我らの恩人ですから。」


黒猫が尻尾を揺らしながら言う。


「にゃん。頼もしいわね。妖精ネットワーク。」


少年は笑いながら頷いた。


「それなら、どこに行っても安心だね」


そのとき、森の奥から、音楽が聞こえてきた。 笛の音、鈴の音、葉を叩くリズム。 妖精たちが、祝宴の準備を始めていた。


月蜜のタルトが並び、花の香油が焚かれ、光る果実酒が注がれる。 オルゴールが鳴り、妖精たちが舞い始める。


彼女はその光景を、静かに見つめていた。 黒猫が彼女の肩に飛び乗る。


「にゃ、あんたも少しは楽しみなさいよ。髪も軽くなったことだし。」


その横で、少年が少し照れたように微笑みながら言った。


「……とても、かわいらしいです。」


黒猫がジト目でちらりと彼を見た。



彼女は何も言わない。 けれど、ほんの少しだけ、口元が緩んだ気がした。


森は祝福に包まれていた。 命の終わりと始まりを見届けた者たちが、静かに、そして賑やかに夜を迎えていた。




朝の光が、森の入り口を柔らかく照らしていた。 一行は、妖精王の案内でそこまで歩いてきた。 世界樹の芽は、遠くに小さく見える。 けれど、その命は確かに根を張り始めていた。


妖精王は、振り返って微笑んだ。


「また、いつでも遊びに来てください。 森は、あなたを歓迎します。」


黒猫が、じっと妖精王を見つめる。


「にゃー、種明かしをして。 あんた、一体どこから私たちを呼んでたの?」


そう―― 船の上で見た海図。呪われた首飾り。 リュミエールの街にあった書店、菓子屋... 巡ったはずの場所は、きっともう存在しない。


すべては、妖精王の掌の上だったのだ。


妖精王は、首を傾けて笑った。


「さー?偶然でしょう。」


黒猫は、深いため息をついた。


「はぁー……妖精のいたずらって、ほんとたち悪いわね。」


少年はキョロキョロと黒猫と妖精王を交互に見やる。 何がどう繋がっていたのか、まだよく分かっていない様子。


彼女は、ただ静かに先の道を見ていた。 森の外へと続く、柔らかな光の道。


一歩、森の外に出ると―― 入る時にも、出る時にもあったはずの石の門は、もうなかった。 そこには、ただの森が広がっていた。


黒猫がぽつりとつぶやく。


「ま、世界樹の危機は本当だったみたいだし。 あんたを無理にでも招きたかったんでしょうね。」


彼女は振り返らない。 風が、短くなった髪を揺らす。


その背に、森の気配が静かに遠ざかっていった。

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