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妖精のお願い

街の外れにある古い時計塔を過ぎると、道は徐々に細くなり、やがて森へと続く小径へと変わった。 木々の間から差し込む光は淡く、空気には微かな魔素の気配が漂っている。


彼女は黙って歩き続けた。

鞄の中には、月蜜のタルト、月の調べのオルゴール、月花の香油――三つの贈り物が静かに揺れている。


やがて、森の入り口にたどり着いた。 そこには、苔むした石の門が立っていた。

門には鍵穴も取っ手もなく、ただ中央に、円形のくぼみがひとつ刻まれている。


少年が地図を見ながら言う。


「ここが……“妖精の森”の入り口?」


黒猫が門の前で立ち止まり、尻尾を揺らす。


「にゃー……扉は、贈り物だけじゃ開かない。“誰が贈るか”も、試されるのよ。」


彼女は門の前に立ち、鞄からひとつずつ贈り物を取り出した。

タルトは甘く、オルゴールは静かに震え、香油は風に溶けるように香った。


だが、門は動かない。


少年が不安そうに言う。


「……足りないのかな。何か、まだ必要?」


黒猫が彼女を見上げる。


「にゃ……贈り物は揃ってる。でも、扉はそれだけじゃ開かない。 “どう贈るか”を、見てるのよ。」


彼女はしばらく門を見つめていた。

そして、そっと目を閉じ、両手で三つの贈り物を胸の前に抱えた。


風が吹いた。 門のくぼみが、淡く光を帯びる。


音もなく、石の門が左右に開いた。

その先には、霧に包まれた森の小道が続いていた。


彼女は一歩、足を踏み入れた。

贈り物を抱えたまま、静かに森の中へと消えていく。



森の中は、外の世界とはまるで違っていた。

光は葉の隙間からこぼれ、霧は音を吸い込むように漂っている。

風の音も、鳥の声もない。ただ、静けさだけが満ちていた。


彼女は黙って歩いた。

足元には白い苔が広がり、踏むたびにふわりと沈む。

腕に抱えた贈り物が、かすかに揺れている。


やがて、小さな泉にたどり着いた。

水面は鏡のように澄み、空も木々も、彼女自身の姿さえも映していた。


そのとき、泉の向こうに、ひとつの影が現れた。

人のようで、人ではない。

透明な羽を持ち、髪は風のように揺れ、瞳は月の光を宿していた。


妖精だった。


言葉はなかった。

けれど、彼女にはわかった。

“ここで、渡さなければならない”と。


彼女は泉のほとりに膝をつき、腕の中の贈り物をひとつずつ並べた。

月蜜のタルト。 月の調べのオルゴール。 月花の香油。

そして―― 懐に収められていた、銀の鎖の首飾り。


それは、どこか冷たく、光を吸い込むように沈黙していた。

呪われた首飾り。 彼女がこの旅を始めた理由。

それを、ここへ届けるために。


彼女はそっと両手を重ね、

胸の前で静かに祈った。 言葉はなくても、想いはあった。

“これを、終わらせたい。あなたに、返したい” その気持ちだけが、空気に溶けていく。


妖精は静かに近づき、首飾りだけを手に取った。

しばらくのあいだ、それを見つめると、何も言わずに霧の中へと消えていった。


その瞬間――


泉のまわりに、光がふわりと舞い上がった。

どこからともなく、たくさんの妖精たちが現れた。

羽音もなく、風のように集まり、贈り物のまわりに輪をつくる。


ひとりが月蜜のタルトを手に取り、嬉しそうに頬張る。

別の妖精がオルゴールをそっと鳴らすと、音に合わせて踊り始める。

香油の瓶のまわりには、談笑する妖精たちが集まり、香りに包まれて笑い声が広がった。


泉のほとりは、たちまち小さなお茶会のような光景に変わった。

月の光が差し込み、妖精たちの羽がきらめく。


彼女と少年と黒猫は、ただその様子を見つめていた。

驚きながらも、どこか楽しげに。 贈り物が、祝福に変わる瞬間を。


黒猫がぽつりとつぶやく。


「にゃ……贈り物効果って、すごい。」


少年が頷いた。


「誰かのために選んだものが、こんなふうに広がるなんて……」


彼女は黙って微笑んだ。

風が吹いた。 それは、どこか懐かしい香りがした。



しばらく、三人は泉のほとりに座り、妖精たちのお茶会を眺めていた。

月蜜のタルトを頬張る妖精たち。

オルゴールの音に合わせて舞う者たち。

香油の香りに包まれて談笑する輪。

贈り物は、祝福の場を生み出していた。


彼女は静かにその光景を見つめていた。

黒猫は尻尾を揺らし、少年は目を丸くしている。


だが、突然――


妖精たちの動きが止まった。 音も、笑いも、風さえも止まる。


森の奥から、ひとりの姿が現れた。


それは、人間の三歳ほどの男の子のように見えた。

けれど、違う。 その瞳は深く、歩みは静かで、空気が彼を避けるように揺れていた。


彼は泉の前に立ち、三人を見つめると、ゆっくりと口を開いた。


「エルフィン・グレイドへようこそ。まずは、盗まれた首飾りを取り戻して頂き、ありがとうございました。」


彼女は立ち上がる。 黒猫と少年も後に続く。


「あなたは……?」少年が尋ねる。


男の子は微笑む。


「わたしは、この森の妖精たちを束ねる者。妖精王と呼ばれています。」


彼女は黙ってその姿を見つめていた。

言葉はない。けれど、視線には問いがあった。


妖精王は彼女に向き直り、静かに言った。


「沈黙の魔女とお見受け致します。」


彼女のまぶたがわずかに動いた。

黒猫が小さく「にゃ」と鳴く。


少年が驚いたように彼女を見る。


「……なんでそれを?」


妖精王は、少しだけ笑った。


「妖精は、どこにでもいる存在。そして、噂好きです。 あなたの活躍は、風に乗って、わたしの耳にも届いています。」


彼女は何も言わない。 ただ、静かに立ち尽くしている。


妖精王は一歩、近づいた。


「折り入って、お願いがあります。」


その言葉に、彼女はまぶたを伏せた。 沈黙のまま、耳を傾ける。


風が再び吹き始め、止まっていた妖精たちの動きが、ゆっくりと戻り始める。

泉の水面が揺れ、月の光が差し込んだ。


――物語は、まだ終わっていなかった。





泉を離れ、森の奥へと続く道を歩く。

妖精王は先を行き、彼女と少年、黒猫がその後に続いた。 道は細く、霧は深く、木々は静かに揺れている。


誰も話さない。 けれど、妖精王は歩きながら、穏やかに語り始めた。


「この森の奥には、世界樹と呼ばれる大木があります。 妖精たちの命の源であり、森の中心にある存在です。」


彼女は黙って耳を傾ける。

その歩みは変わらず、静かだった。


「世界樹には、竜脈の流れを整える力があります。 地の底を流れる力を、正しい方向へ導く役目を果たしているのです。 ですが――最近、その世界樹が、枯れ始めているのです。」


少年が驚いたように声を上げる。


「枯れるって……そんなことがあるんですか?」


妖精王は頷いた。


「竜脈の流れが滞れば、地殻変動が各地で起こります。 山が崩れ、海が荒れ、空の気配さえ乱れる。 この森だけでなく、世界全体が揺らぐことになるでしょう。」


黒猫が低く鳴いた。


「にゃ……それは、確かに大変なことね。」


妖精王は彼女の方を振り返る。


「あなたに、どうにかしていただきたいのです。 沈黙の魔女として、あなたなら、世界樹の声を聞けるかもしれない。」


彼女は何も言わない。 ただ、まぶたを伏せ、歩みを止めなかった。


やがて、霧が晴れた。


目の前に、巨大な木が立っていた。

幹は空へと伸び、枝は雲を貫き、葉はほとんど落ちていた。

根は地を這い、ところどころが黒ずんでいる。


それが――世界樹だった。


風が止まり、森が息を潜める。


彼女は、世界樹の前に立った。 何も言わず、ただ、見上げていた。

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