潮風の序章 02
その次の日は、一行は市場を見て回り、観光を楽しんだ。
それから、翌日
朝の港町は、潮の香りと焼き魚の匂いが混ざり合っていた。 宿のテラスで黒猫が伸びをしながら言った。
「にゃー……今日は釣りでもしない?」
少年が目を丸くする。
「釣り、ですか?」
「そうよ。あたし、魚が食べたいの。市場のもいいけど、たまには自分で釣ったのを食べたいじゃない。」
彼女は黙って黒猫を見つめた。 その視線は「面倒くさい」と言っているようだったが、黒猫は気にしない。
「にゃ。あんたも、たまには魔法じゃなくて、糸で魚を呼びなさいよ。」
宿の主人に頼むと、快く釣り竿を貸してくれた。
「港の西側にある岩場が、よく釣れるよ」と地図まで描いてくれる。
三人は釣り竿を抱えて、岩場へと向かった。 波が静かに打ち寄せ、潮風が心地よい。
少年は竿を構えながら言った。
「釣りなんて初めてですけど、なんだか楽しいですね。」
黒猫は岩の上で尻尾を揺らしながら見守る。
「にゃー。魚が釣れたら、あたしが食べてあげるわよ。」
彼女は黙って釣り糸を垂らした。 その姿は真剣そのものだったが――まったく釣れない。
少年の竿がぴくりと揺れる。
「……あ、来ました!」
彼が引き上げると、小ぶりながらも銀色に輝く魚が跳ねた。
「わっ、釣れた! すごい!」
黒猫が笑う。
「にゃー。あんた、才能あるわね。 それに比べて……沈黙の魔女は、釣りも沈黙のままね。」
彼女は無言で竿を持ち直す。 その目が少しだけ鋭くなった。
隣で少年が何匹も魚を釣り上げている。ようやく、彼女の竿が大きくしなった。
「……!」
黒猫が目を見開く。
「にゃっ!? それ、来たんじゃ無い?」
彼女は慎重に糸を引く。 水面下で何かが暴れている。 少年も息を呑んで見守る。
その瞬間――
「にゃーーーーっ! やった大物よ、沈黙の魔女!」
黒猫が思わず叫んだ。
その声に驚いたのか、魚が急に暴れ、針を外して逃げてしまった。
水面が跳ね、静かになった。
彼女は竿を見つめたまま、何も言わない。
黒猫は気まずそうに尻尾を下げた。
「……にゃ。ごめん。ちょっと、声が出ちゃった。」
少年は笑いをこらえながら言った。
「でも、あれは確かに大物でしたね。惜しかったです。」
彼女は竿を置き、海を見つめた。 その背中は、少しだけ悔しそうだった。
その日の夕方、少年が釣った魚は宿の厨房で焼かれ、三人の夕食に並んだ。 黒猫は魚を頬張りながら、何度も「にゃー、うまい」と言った。
彼女は黙って魚を一口食べ、そして、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
港町セレヴィアでの滞在も四日目を過ぎた頃、黒猫が突然言い出した。
「にゃー……魚、飽きた」
少年が振り返る。
「えっ、昨日まで“最高”って言ってませんでした?」
「言ったけど、毎日魚じゃ飽きるのよ。 それに、船旅が始まったらまた魚づくしになるでしょ?今のうちに、肉を摂取しなきゃ!」
彼女は黙って黒猫を見つめる。 黒猫は尻尾を立てて言った。
「というわけで、森に行くわよ。肉を狩るの。 ついでに、少年の剣捌きも見てあげる。魔物は出るけど、強いのはいないって宿の人も言ってたし」
少年は少し緊張しながらも、剣を背負って頷いた。
「……わかりました。行きましょう。」
森は港町の外れに広がっていた。 木々は密ではなく、陽の光が差し込む静かな場所。 けれど、ところどころに魔物の痕跡が残っていた。
「にゃ。あんた、あの茂みの向こうに何かいるわよ。」
黒猫が耳を立てる。 少年は剣を抜き、慎重に茂みへと近づいた。
そこにいたのは、小型のバトルラビット――素早く跳ね回るが、牙と爪を持つ危険な種。
少年は何度も剣を振るが、なかなか当たらない。 ようやく一撃が決まり、魔物が倒れる。
「……やった。」
少年は息を切らしながら剣を収めた。
その頃、彼女は少し離れた場所で、静かに魔物を狩っていた。 彼女の周囲には、すでに五匹の魔物が倒れていた。 その中には、体格の大きなボアも含まれていた。
黒猫が目を丸くする。
「にゃにゃ。今夜は肉ね!大量のお肉よ!」
彼女は何も言わず、ただ魔物の体を確認していた。
少年が戻ってきて、彼女の成果を見て言葉を失う。
「……僕、まだまだですね。」
彼女は少年を見つめ、ほんの少しだけ頷いた。
その日の夕方、宿の裏庭で少年は剣の素振りをしていた。 夕陽が差し込む中、黙々と剣を振る姿は、少しだけ逞しく見えた。
黒猫が窓辺からそれを見て、尻尾を揺らしながら言った。
「にゃ。まぁ、頑張りなさい。 あんたが強くなれば、彼女も少しは楽になるでしょ。」
彼女は窓の外を見つめながら、鞄の中の花冠にそっと触れた。 その花は、今日も枯れることなく、静かに光っていた。
そして、港町での滞在は、最後の夜を迎えようとしていた。




