最初の村 01
森を抜けるのに、丸一日かかった。
彼女は、黙々と歩いた。肩には黒猫が乗っている。猫は肩に乗ったまま一人で喋り続けていた。
「ねぇ、あんたさ。師匠の言葉、気にしてるでしょ。“人々の間でしか使えぬ魔法”ってやつさ。」
彼女は、何も言わない。返事はない。だが、歩調がほんの少しだけ早くなった。
「あんたが思ってる“魔法”ってやつじゃないと思うんだけど。たしかに、師匠も知らない、その土地に根付いた魔法はあると思うわ。でも、師匠の云いたいこととは違うと思うの。」
彼女は、道端の草を避けるようにして歩き、肩をすこし揺らした。
「未知の魔法を知れるって期待しているとこに水を差すなって?...ほんと、あんたって魔法バカよね。」
師匠から貰った、杖の先が地面を静かに突いている。
「にゃ~、別にいいけど。村に着いてもあんたは喋らないでしょ、わたしが通訳してあげるんだから感謝はしなさいよね。」
彼女は猫に視線を少し送る。
「いいのよ。だってわたしは“あなたの使い魔”だもん。」
夜は、森の外れで野営した。彼女は火を起こし、黒猫は丸くなって眠った。言葉はなかったが、火の揺らぎの中で、彼女の目はずっと空を見ていた。
時折、パキッと火の粉が舞った。それは小さな蝶へと変わり、夜空へと溶けていった。
翌朝、彼女はまた歩き出した。黒猫は肩に乗ったまま、あくびをしながら言った。
「にゃーん、今日こそ村に着くのね。人がいる場所。はじめてたくさんの人がいる場所にいくわ。楽しみね!」
彼女は、何も言わない。ただ、猫のしっぽはゆらゆらと揺れる。
そして昼前、丘を越えた先に村が見えた。
石畳の道。煙を上げる屋根。人の声。
彼女は、立ち止まった。
黒猫が、肩の上で小さく笑った。
「さあ、旅の始まりよ。沈黙の魔女さん。」
村の広場は、昼の日差しに照らされていた。空気は穏やかで、屋根の煙がゆっくりと空へ昇っていた。
彼女が歩くと、コツコツと音が鳴る。石畳の道に杖の先が触れているからだった。肩に乗った黒猫は、周囲の視線を気にすることなく、堂々と声を張った。
「こんにちはー。あたしは使い魔で、この子は魔法使いよ。喋らないけど、腕は確かよ。それにしても、この村、なんだが雰囲気が暗いわね。何かあったの?」
村人たちは戸惑いながらも、少しずつ距離を詰めてきた。
その中のひとり、恰幅のいい女性が声をかけた。
「村にある唯一の井戸の水が、最近出なくなってね。困っているのよ。遠い川まで水くみに行かなきゃなくなってね...」
黒猫が、肩の上でしっぽを揺らした。
「にゃにゃ。じゃあ、対価は?」
唐突な請求に女性は目を丸くした。
「対価...?」
黒猫は、主人の顔をちらりと見てから言った。
「お金はいらないわ。ただ、この子はね、魔法にしか興味がないの。だから、何か“魔法の価値があるもの”をちょうだい!たとえば、この土地に伝わる魔法の話とか、昔話とか古い記録とか。何かないかしら?」
村人たちは顔を見合わせた。やがて、年配の男性が口を開いた。
「...昔、この村には“水を呼ぶ歌”があった。今は誰も歌わなくなってしまったが、祖母がよく口ずさんでいたよ。」
黒猫が、満足げにうなずいた。
「それでいいわ。あとで詳しく聞かせて。じゃあ、沈黙の魔女さん、お願いね。」
彼女は、井戸の縁に歩み寄った。静かにそこを覗き込み、杖を地面に立てかけ、目を閉じる。
彼女の魔力が、静かに流れ始める。黒猫は主人の魔力の流れを読むことが出来るので、その行方を追った。
詠唱はない。手の動きもない。ただ、彼女の魔力が地中へと染みこんでいく。
(探索魔法ね。しかも木の根みたいに地中を広範囲に探るなんて、誰にも真似できないわよ。ほんと規格外なのよね。)
彼女の意識は、井戸の底からさらに深く、奥へと潜っていった。
水脈は...あった。だが、遠い。
かつては井戸の下に水源があった。だが今は、地殻の変化か、魔力の流れの乱れか――竜脈の移動によって、地下水は数百メートル離れた場所へ移動していた。
彼女は目を開けた。表情はない。肩の黒猫が渋面を作り、黙って見守っていた村人たちに答える。
「...水源がすごく遠くにズレてる。こりゃ水が出ないわけだ。」
彼女は、杖をそのまま立てかけたまま、魔力を集中させる。
地中に散らばっている水分を、魔法で一カ所に引き寄せる。井戸の底に、水が溜まりはじめた。ぽちゃん、と水音が響く。
村人たちが歓声を上げる。だが、黒猫が厳しい声で言った。
「歓声を上げるのは早いわよ。これはあくまで一時的なもの。魔力で周辺の水をここに集めただけよ。長くはもたないわ。根本的な解決が必要よ。」
彼女は、先ほどの年配の男性の方へ視線を向けた。無言のまま、じっと見つめる。
黒猫がやれやれと肩をすくめて代わりに言う。
「この子が言いたいのは、“水を呼ぶ歌”を聞かせてってこと。それが鍵になるかもね~」
村人たちは驚いた。昔の老人たちが「これは伝えなきゃならん」と若い世代に言い聞かせていたものが、まさか今になって必要になるとは。そして、そのことを来たばかりの魔女に看破されようとは思ってもみなかった。
黒猫が、肩の上でにやりと笑った。
「にー、魔法バカが動くわよ。さあ、“水を呼ぶ歌”とやらを聞かせて貰おうかしら!」




