祭りの街
村を出て、三人は再び街道を歩いていた。 空は薄曇り。風は穏やかで、道端には秋の草花が揺れている。 彼女は黙って歩き、黒猫は肩の上でしっぽを揺らしながら景色を眺めていた。
少年は少し後ろを歩きながら、黒猫に声をかけた。
「……あの、黒猫さん。旅って、どんな感じなんですか? あなたたちは、いつから旅してるんですか?」
黒猫は耳をぴくりと動かし、ふふっと笑った。
「旅の話? いいわね、久しぶりに誰かが聞いてくれるなんて。 この子はね、森の奥で師匠と暮らしてたんだけど、追い出されちゃってね。 それから、ずっと旅してるの。 枯れ井戸を蘇らせたり、霧の峠を解決したり、夜市の真相を暴いたりもしたわね。 それに、魔術都市の古代遺跡も復活させたっけ。 こうして並べてみると、この子、化け物ね。 それでも、この子は“まだ知らない魔法”を純粋に求めて旅をしているの。」
少年は目を丸くしながら、彼女の背を見つめた。 その小柄な背に、杖と黒猫。 静かに歩くその姿が、急に遠く感じられた。
「……すごいですね。僕と同じ年ぐらいなのに、一人で旅をしてるなんて。 魔法もすごいし……本当に尊敬します。」
黒猫はくすっと笑って、肩の上で身じろぎした。
「この子、こう見えて成人してるのよ」
少年は足を止めかけるほど驚いた。
「えっ……!? え、でも、見た目は……」
黒猫は得意げにしっぽを立てて語り始めた。
「魔術師と違って、魔法使いって魔力に直接関わるの。 魔術師は術式や道具を使って魔力を扱うけど、魔法使いは体そのものに魔力を通す。 だから、体の隅々まで魔力が行き届いてるのよ。 結果として、老化が遅くなる。長寿になる。 この子は小さい頃から魔法使いになったから、成長もゆっくりなの。 見た目は子どもでも、年齢はとっくに成人。 ……まあ、本人は気にしてないみたいだけどね。」
少年は彼女の背中を見つめた。 今まで“同年代”だと思っていた存在が、実は自分よりずっと長く生きている――その事実に、言葉を失っていた。
黒猫がちらりと少年を見て、少しだけ声を落とす。
「にゃー驚いた? まあ、無理もないわね。 でも、あんたが見てたのは“見た目”だけ。 この人の時間は、あんたの何倍も積み重なってるのよ。」
少年はそれ以上何も言わず、少し距離を空けて歩き始めた。 彼女の背を追う足取りは、どこかぎこちなくなっていた。
黒猫が肩の上でため息をつく。
「にゃん。よそよそしくなったわね。 でも、まあ、時間が経てば慣れるわよ。 この人の旅は、急がないから。」
三つの影が、街道に静かに伸びていく。
「一年中、祭りをしている街があるらしいよ」
そんな噂を耳にしたのは、旅の途中のことだった。
彼女は地図を見つめながら、静かに頷いた。 黒猫は肩の上でしっぽを揺らしながら、興味深そうに呟く。
「にゃにゃ。普通の祭りじゃなさそうね。」
少年は目を輝かせていた。
「毎日が祭りって、すごいですよね!行ってみたいです!」
三人は谷間に沈む街〈クロノ・ヴェイル〉へと向かった。
街に入ると、色とりどりの旗が風に揺れ、広場では音楽が鳴り響いていた。 人々は笑い、踊り、食べ、歌っている。 屋台の香ばしい匂い、子どもたちの笑い声、街に浮かぶ提灯の光―― まさに、噂通りの“祭りの街”。
少年は屋台の串焼きを頬張りながら、満面の笑みを浮かべる。
「ほんとに毎日が祭りなんですね!すごいです!」
黒猫は肩の上で目を細める。
「にゃあ。確かに賑やかだけど、魔力の流れが妙に均一ね。 まるで、誰かが“時間”を整えてるみたい。」
彼女は何も言わず、街の空気を感じ取っていた。
その夜、三人は宿に泊まり、祭りの余韻に包まれながら眠りについた。
朝になっても、街は変わらなかった。 旗は昨日と同じ場所に揺れ、屋台も同じ品を並べている。 音楽も、踊りも、笑顔も――昨日とまったく同じ。
少年が首をかしげる。
「……なんだか、昨日と今日、まったく同じ祭りをしてる気がします。」
黒猫が低く呟く。
「“してる”んじゃない。“繰り返してる”のよ。 この街、時間が止まってる。魔法ね。しかも、かなり古くて、強い」
彼女は何も言わず、街の奥へと歩き出す。 その先にあるのは、街の中心――巨大な時計塔。
街の奥へ進むにつれ、祭りの喧騒は遠ざかり、空気が静かになっていく。 彼女は無言のまま、時計塔の前に立ち止まった。 塔は古く、重厚な石造りで、壁には無数の歯車が埋め込まれている。 その中心にある巨大な文字盤は、針をゆっくりと動かしていた――けれど、どこか不自然に。
黒猫が肩の上でしっぽを揺らしながら呟く。
「にー。この塔が、街の“時間”を回してる。 でも、針の動きが妙に滑らかすぎる。まるで、誰かが“演じてる”みたい」
少年は塔を見上げながら、不安そうに言った。
「……この街、ずっと同じ日を繰り返してるんですか?」
彼女は答えず、杖を軽く地面に突いた。 その音が、塔の扉に響き、ゆっくりと開いていく。
塔の扉が開くと、冷たい空気が三人を包んだ。 中は薄暗く、壁一面に歯車が張り巡らされている。 その音は静かで、規則的で、まるで心臓の鼓動のようだった。
中央には、ひとりの女性が座っていた。 目を閉じ、動かず、祭りの装束を纏ったまま。 その姿は、まるで“あの日”から一歩も動いていないようだった。
黒猫が低く呟く。
「この人が、街の“時間”になったのね。 自分の魔力と記憶を、歯車に変えて。 残しておきたかった“何か”を、永遠にするために。」
少年は言葉を失い、ただその姿を見つめていた。 彼女は静かに杖を掲げ、魔力を流す。 塔の空気が震え、歯車がわずかに軋む。
その瞬間―― 街の外で、音楽が止まった。 人々が立ち止まり、空を見上げる。 誰かが、涙を流す。
そして、塔の中に、記憶の風が吹き込んできた。過去の映像が浮かび上がる。
****
それは、ある秋のこと。 街では収穫祭が開かれていた。 一日中、食べて、飲んで、歌って、踊って―― 街中が喜びに包まれていた。
魔法使いの女性も、愛する人と手を取り合い、祭りを楽しんでいた。 夜の広場で、灯りの下――彼は彼女にプロポーズをした。 それは、彼女の人生で最も輝かしい瞬間だった。
けれど、翌日。 祭りの片付けの最中、事故が起きた。 立てかけてあった大量の木材が崩れ、 彼はその下敷きとなり、命を落とした。
彼女の世界は、音を立てて崩れた。 その夜、彼女は時計塔へと向かった。 そして、禁じられた魔法を行使した。
――あの一日を、永遠に繰り返す魔法。
彼女は自らの存在を、時計塔の歯車の一つに変えた。 街は、あの日の収穫祭を、毎日繰り返すようになった。
****
塔の中央に座っていた魔法使いの姿が、風のように揺らぎ、 静かに、歯車とともに消えていった。
街の空気が変わる。 人々の目に、ようやく“今”が映り始める。 止まっていた時間が、再び流れ出した。
少年は静かに呟いた。
「……この街、ようやく時間が動き始めたんですね。」
黒猫が肩の上で、静かに目を細める。
「にゃん。ようやく、みんな前に進めるのね。 それが、時間ってものなのかも。」
彼女は何も言わず、塔の出口へと歩き出す。
彼女らの旅は、また一歩、未来へと進んでいく。
少年は、街の門を出ながら、ふと足を止めた。 振り返ると、街の広場が見えた。 提灯の灯りは消えかけていたが、空気はどこか澄んでいた。
人々は少しずつ動き出している。 誰かが歌い、誰かが語り、誰かが泣いている。 止まっていた時間が、確かに流れ始めていた。
少年は静かに息を吐き、目を細めた。
「……魔法って、こんなにも深くて、強いものなんだ」
あの魔法使いは、たった一日の記憶のために、 街ごと時間を止めてしまった。 それほどまでに、誰かを想う気持ちを抱えていた。
少年は、自分の胸に手を当てる。 沈黙の魔女――彼女は、いつも静かに佇んでいる。 何も語らず、けれど、彼をそばに置いてくれている。
「僕は……彼女にとって、記憶に残したいと思える存在になれるだろうか。」
問いは、風に溶けていった。 答えはまだわからない。 けれど、今日の出来事が、少年の心に小さな灯をともした。
それは、誰かの記憶に残るために、 “今”を大切に生きようとする、最初の一歩だった。
少年はもう一度、街を振り返り、 静かに微笑んだ。
そして、彼女と黒猫の待つ道へと、歩き出した。




