砦の街〈バルグレア〉 02
夜が深まり、砦の街は静けさに包まれていた。
宿の窓から見える城壁は、魔力灯に照らされてぼんやりと浮かび上がっている。 彼女はベッドに腰掛けたまま、杖を膝に置き、じっと外を見つめていた。
黒猫が丸くなって眠っていたが、突然耳を立てた。
「にゃ……来たわね」
彼女は目を細める。 遠く、砦の東側から微かな振動が伝わってくる。 地鳴りのような、何かが地面を叩くような音。
次の瞬間、砦の警鐘が鳴り響いた。 甲高く、連続して打ち鳴らされる音。 それは、魔物の襲撃を知らせる合図だった。
黒猫が跳ね起きる。
「このスタンビード、何かに追われて、群れで逃げてきたの?で、目の前に人間の群れ。……南じゃない、東から来てる。数が多いわ!」
外では兵士たちが走り出し、城壁の上に火矢が灯る。 魔力障壁が展開され、街の空気が一気に緊張に包まれる。
彼女は立ち上がり、杖を手に取った。 窓の外には、森の方角から黒い影がうねるように迫ってくるのが見えた。
彼女は無言のまま、部屋を出た。 砦の石畳を踏みしめ、ギルドへと向かう。 その背後で、警鐘は鳴り続けていた。
警鐘が鳴り響いた瞬間、砦都市〈バルグレア〉は一変した。 静寂を破るように、兵士たちの怒号と足音が石畳を駆け抜ける。 魔力灯が一斉に赤く染まり、非常時を知らせる光が街路に揺れる。
「東門に魔物接近!スタンビード、群れで来てるぞ!」
「子どもと老人は中央区画へ!避難誘導班、急げ!」
通りには人々の叫び声が飛び交い、荷車がひっくり返り、逃げ惑う市民が押し合いながら避難路へと殺到していた。 魔力障壁が展開され、城壁の上では弓兵と魔術師たちが配置につく。
ギルド〈灰の角〉の扉が勢いよく開かれた。 中ではすでに緊急対応が始まっていた。
「全員、戦闘準備!東門防衛に回れる者はすぐに出ろ!」
「回復班は後方支援に回れ!ポーションの補充は地下倉庫から!」
受付前には冒険者たちが集まり、装備を整えながら次々と指示を受けていた。 重装の戦士、弓を背負った狩人、詠唱を始める魔術師たち。 その中に、彼女の姿もあった。
黒猫が肩の上で低く唸る。
「……この数、ただの群れじゃない。追われてる? 逃げ場がなくて、ここにぶつかってきた?」
彼女は黙って杖を握り直した。 ギルドの奥から、指揮官らしき男が現れ、声を張り上げる。
「東門が突破されたら、中央区画が危ない! 防衛線は三層構えだ!第一陣は門前、第二陣は広場、第三陣はギルド前! 各班、配置につけ!」
彼女はそのまま、第一陣へと向かう冒険者の列に加わった。 砦の石畳が、遠くから響く地鳴りで微かに震えていた。
街の灯りが揺れ、空気がざわめく。 スタンビードの群れが、砦の東門へと迫っていた。
砦の東門前。 地面が震えていた。遠くから響く蹄の音が、まるで雷鳴のように連なって砦へ迫ってくる。 魔力障壁が淡く光り、城壁の上では弓兵たちが矢をつがえていた。
「距離、あと三百!接近中!」
「魔術班、詠唱開始!第一波に備えろ!」
冒険者たちは所定の位置に散開し、武器を構えた。 彼女は列の後方に立ち、杖を地面に突き立てる。 魔力が静かに集まり、術式が空気の中に描かれていく。
黒猫が肩の上で低く唸る。
「……来るわよ。数、二十以上。先頭は突進型。後ろに跳躍型も混じってる。これって…」
彼女は頷いた。 詠唱は不要。魔力の流れを整え、術式を完成させるだけでいい。 彼女の周囲に、淡い光の紋が浮かび上がる。
「第一波、接触まで十秒!」
前衛の戦士たちが盾を構え、魔術師たちが術式を展開する。 空気が張り詰め、誰もが息を潜めていた。
そして――
森の影から、スタンビードの群れが飛び出した。 黒い体躯が地面を蹴り、牙を剥きながら突進してくる。 その数は、予想を超えていた。
「来たぞ!迎撃開始!」
叫び声とともに、砦の防衛戦が始まった。
スタンビードの群れが砦東門に到達した。 魔力障壁が軋み、城壁の上では矢が次々と放たれる。 火球が空を裂き、先頭の魔物が炎に包まれて倒れる。
だが、群れは止まらない。 次々と後続が突撃し、倒れた個体を踏み越えて進んでくる。 蹄の音が地面を叩き、砦の石畳が震えた。
前衛の戦士たちが盾を構え、槍兵が脇から突き刺す。 狩人たちは素早く動きながら、弱点を狙って矢を放つ。 魔術師たちは詠唱を重ね、術式を空に描いていた。
彼女は列の後方に立ち、杖を地面に突き立てる。 魔力が静かに集まり、空気の中に術式が浮かび上がる。 詠唱は不要。彼女の魔力が、直接式を描いていく。
黒猫が肩の上で低く唸る。
「……数、三十を超えてる。突進型だけじゃない。跳躍型、混じってるわ。」
彼女は黙って術式を完成させた。 杖の先端から放たれた光が、地面に紋を描く。 重力を操る術式が発動し、突進してきた魔物の足元を鈍らせた。
黒猫が肩の上で叫ぶ。
「今よ!」
前衛が一斉に突撃し、鈍った魔物を押し返す。
黒猫が肩の上でさらに叫ぶ。
「左翼、突破されかけてる!跳躍型が回り込んでる!」
彼女はすぐに術式を切り替え、空中に魔力を放つ。 風の刃が跳躍型の魔物を切り裂き、地面に叩き落とした。
だが、群れの圧力は衰えない。 倒しても、次が来る。 砦の石畳が血と魔力で濡れ、叫び声が夜空に響く。
「障壁、限界まで展開!第二陣、準備急げ!」
指揮官の声が飛び、ギルドの後方では次の防衛線が構築されていた。 彼女は息を整え、再び杖を構える。
黒猫が低く唸る。
「群れの中心、まだ姿を見せてない。 本命は、これからよ」




