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術式の灰

魔術都市〈エルゼリア〉を離れて、まだ三日。


彼女は肩に黒猫を乗せ、街道沿いの森を歩いていた。 風が枝を揺らし、葉がささやくように音を立てていた。都市の喧騒は遠く、今はただ、静けさだけが足元に広がっていた。


黒猫は彼女の肩で丸くなりながら、耳をぴくりと動かす。

「...静かね。あんたの師匠と暮らした日を思い出すわね。」


その瞼の裏に、懐かしい声がよみがえる。



——森の奥、湿った土の匂いが漂う小屋の前。


師匠は薪を割りながら、ぽつりと呟いた。


初めて魔法を使った日のことだ。


初めての魔法で、無詠唱魔法を完成させてしまった。


「お前は喋りたくないから魔法を完成させたのか、完成させてしまったから喋らなくなったのか……まあ、どっちでもいい。天才だよ、お前は。」


その言葉に、彼女は何も返さなかった。 ただ、焚き火の揺らぎを見つめながら、魔力の流れを指先でなぞっていた。


師匠は、彼女が何も言わないことを責めなかった。 むしろ、その沈黙の中にこそ、魔法の本質があると信じていた。


「言葉は、魔法の補助だ。だが、お前は最初から完成形を持ってる。俺が教えることなんて、もうないかもしれんな。」




そしてある日、師匠は言った。


「召喚術をやってみろ。お前なら、詠唱なしでも呼べるかもしれん。」


彼女は頷き、静かに魔力を集中させた。


術式も言葉も使わず、ただ空間の“向こう側”に手を伸ばすように。


次の瞬間、黒猫がふらりと現れた。

「ふーん...このわたしを召喚するなんて、やるじゃない。見込みはあるわね。」


師匠はその言葉に笑った。


「お前は、どこへ行っても目立つ。だが、黙っていればいい。魔法は語る。お前の代わりに」


その言葉が、今も彼女の背を押している。


彼女はふと空を見上げた。 師匠の声が、風に乗って耳元で囁いた気がした。


——「見せてやれ。お前の魔法を」




そのとき、道の先に一人の青年が立っていた。

旅人のような格好だが、服は少しだけ都市風。 彼女の姿を見るなり、地面に膝をついた。


「あなたの魔法に、心を打たれました。弟子にしてください!」


彼女は立ち止まり、青年を見つめる。


そして、ゆっくりと首を振った。はっきりと、静かに、断る仕草だった。


青年は一瞬、言葉を失う。


黒猫が肩から飛び降り、青年の周囲を一周する。

「にゃん?この子も弟子はダメなのね。あなたのお眼鏡にかなう子は、一体誰なのかしらね。」


彼女は術式の紙を一枚だけ取り出す。

それは、精霊との共鳴を促す簡易術式だった。


彼女は紙を青年に手渡す。その仕草は、魔術都市で出会った少女に術式を渡した時と、よく似ていた。


黒猫が小さく笑う。

「弟子にはしないけど、魔法は見せる。都市のあの子のこと思い出してる?」


彼女は何も言わず、背を向けて歩き出す。


青年は深く頭を下げ、感謝の言葉を繰り返した。その声は熱を帯びていたが、顔を上げたときの目はとても冷めていた。





翌日。


近隣の村から、魔力暴走の報せが届いた。


術式が暴走し、空間が歪み、精霊が苦しんでいるという。


彼女は現地に赴き、術式を確認する。


それは、彼女が渡した術式を改造し、魔力を強制的に引き出す“吸収式”に変えられていた。


精霊の声が、空間の裂け目から漏れていた。 苦しみと怒りが混ざった、風のような叫び。


黒猫が目を見開く。

「これ...あの時の術式じゃない。まさか...!」


彼女は、空間に手をかざす。術式の“接点”を断ち切る。魔力が静まり、精霊は逃げるように風に溶けていく。


青年は捕らえられ、村人に責められる。

「僕は、ただ、強くなりたかっただけなんです...! あの人の魔法を見て、僕にもできると思ったんだ!」


黒猫は冷たく言い放った。

「あんたは失敗したけど、この子の術式を改編することができた。それは、すごい事よ。道を間違えなきゃ、あんたは名を残せる魔術者になれたかもしれないわね。」


それを聞いた青年は、自分の過ちに気がついたのか、頭をがっくりと落とし、村人たちに連れられていった。


彼女はその後ろ姿をじっと見つめて、来た道へと戻る。



黒猫はしばらく黙っていた。 そして、ぽつりと呟く。

「弟子入りは断った。けど、術式は渡した。 あんた、疑わなかったんだね。信じたんだ。」


彼女は何も言わない。



その夜、彼女は術式の束を手に取り、焚き火にくべる。炎が紙を包み、灰が夜風に舞う。


黒猫がぽつりと呟く。

「...次は、ちゃんと“心”を見る。私も、あんたも。 魔法を渡すって、そういうことなんだね。」


彼女は何も言わない。ただ、火の揺らぎを見つめていた。

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