次は大きくなってから
赤いポスト前での一幕からネコランマ登頂まで、そう時間はかからなかった。
苦難の果てに辿り着いた頂上、祈りの場。
そこに建てられていたのは四つの砕けた石柱と石畳、そして中心点に設置された欠けた石碑。
実に簡素な祈りの場を到着したニャニャは石碑の前へと膝を突き、目を閉じて祈りを捧げる。
古代文字で記された席の言葉は、遠い昔、猫神様が残したとされている猫の民にとってそれはそれはありがたいものとのことだ。
もっともGH考察勢曰く『可愛い子孫共~、これからも頑張ってね~』くらいの内容しかないらしいが、まあ大事なのは信仰する側の気の持ちよう。余計なことを言わないでおくとしよう。
ニャニャが里の長として石碑へと祈りを捧げる間、俺はというと邪魔するのもあれなのでと、祈りの場から離れてぼんやりと景色を堪能していた。
北のほとんどを一望出来て、雲さえ見下ろせるその景色はまさに絶景と圧倒されてしまうほど。
何だかんだ言って、この景色こそが最大の宝だと言われても誤魔化されてしまうくらいだ。
惜しむとすれば、手元に即席麺やコーヒーがないことくらいか。
絶景の中、キャンプ飯と苦いコーヒーで一服、前世からの憧れだったからちょっと残念だ。
次の機会があったなら、その時までには代替品を見つけておこうと。
そんな決心をしながら祈祷を終えたニャニャと共に来た道を戻り、ゆっくり着実に下山していった。
ちなみに宝についても問題ない。
下山の最中に話し合った結果、「まあ三つもあるんだし、一つくらいはいいよ」であっさり解決した。良かった良かった。
「お帰りなさいニャナ。……また一段と、たくましくなられたようですねニャナ」
ニャニャは門の前にて、俺達が帰ってくるのが分かっていたように迎えてくれた。
本当に予想していたのか、それともずっと立っていたのか。どちらにせよ、ありがたい限りだ。
温かいスープを出してもらい、その日は門の中を借り、天井のありがたみを痛感しながら一泊。
やっぱり若いっていいね。前世の頃は不摂生もあって疲れ取れるの遅かったからさ、寝て起きたら復活するありがたみは何にも代えられない宝だよ。
──さあ、おまたせニャナナ。始めようか、散々焦らしたリベンジマッチをさ。
「ええ、見せてもらいましょうニャナ。シーク君、貴方のネコ里での日々の結晶をニャナ」
武舞台の上で向かい合い、互いに礼を交わす。
審判はなし。戦いを見届けるのはニャニャのみで、余計な音や情報はない。
まさに最高の舞台だと気を奮わせながら、上着を掴んで脱ぎ、相棒と共に武舞台の外へと投げ捨てる。
「おや、武器さえ捨てるのですかニャナ?」
ええ。相棒には悪いが、次にあんたと闘る時は素手でだって決めてたもんで。
前回から学んだのは、ニャナナみたいな達人が相手に余計な物は不要だってことだ。
服はどこからでも掴まれる弱点だし、相棒はあれば有利だろうが捉えられたら逆に不利になってしまう。何よりせこいだろ、前回はなりふり構わず使っちまったけどさ?
まあ、ちょっと寒いが問題ない。
幸いにもここは屋内で風は吹かない。アップは済ませたんで温かいし、どうせ冷える暇なんて与えてくれないだろうさ。
……そういやGHには、猫の民の秘奥継承者七人を素手で倒すなんて実績もあったな。
奇しくも同じ状況か。ゲームの時と違って、セルフ縛りのハードモードでもないってのが現実の面白みってやつだな。
戦いの始まりを告げる音はなく。
軽く笑みを零してから、武舞台をゆっくりと歩いてニャニャへ近づいていき──射程範囲に入った瞬間放たれる彼の拳を、足を、尾を危なげなく対応していく。
ニャナナのそれは所詮様子見、小手調べに過ぎない。
けれど前回はこの小手調べにさえ、為す術なく倒されてを繰り返した。
だからこの小手調べを涼やかに捌ききってやることこそが、俺が以前とは違うと示す最高の挑発だ。
「やはり、素晴らしい体ですニャナ。それに私を倒すべく、相当研究したようですねニャナ」
そらそうですよ。
何せ猫演舞までの一ヶ月、教えどおり、ニャニャの修行に付き合うあなたを相当視ていましたからね。
そこにかつての知識を合わせながら現実として修正、更に対策としてひたすらイメージトレーニングを動きの矯正と並行した対ニャナナ戦スペシャル。ネコランマ登頂の達成感もあって、心身共に完璧以上に出来上がってると言っても過言ではないぜ。
これで勝てなきゃ今はまだ無理。大人しく北の大地から退いて、次の機会までに対策しますよ。
「その肉体、才を持ちながら武を修めていないのが本当に惜しいくらいですニャナ。今からでも遅くありません、ニャニャさんと共に武の道を歩みませんかニャナ?」
光栄だけどお断り。宝探しの方が大事なんで、弟子は一人で我慢してくれ。
「そうですか、それは残念ですねッ、ニャナ!」
俺の返答を聞いて残念そうに微笑んだニャナナは、ギアを一つ上げたとばかりに姿がブレる。
今までとまるで違う、槍みたいな鋭い蹴りから始まる、欠片の淀みもない徒手空拳の連鎖。
止まることなく繰り出されるニャナナの攻撃は変わりなく滑らかで、さながら天女の流麗な舞いのよう。
やはりスペックは前回と大差なく、真っ向から競えば、あちらが二桁段以上も格上だろう。
だが俺は変わった。はっきりと、今のニャナナの攻撃の軌道を認識出来ている。
認識さえ出来るのなら、それはもう理不尽などではない。
ゲームと完全に一致することはないが、細かな特徴やパターンが似通うのは墓守プルーフで検証済み。前世で何度も勝っているのだから、今この一回で勝つことも不可能ではないはずだ。
だがそれでも、防戦一方に変わりはない。
良くも悪くも紙一重。細い一本の白線の上から落ちないよう、必死に歩くことしか出来ないのが現状だ。
……やっぱり強いな、ニャナナは。
それでこそかつて苦汁をなめさせられた強敵。それでこそ、俺がリベンジしたいと思える強者。
だけど、だからこそ、俺だって負ける気なんて毛頭ない──ほらそこっ、取った!!
「なっ」
蹴りが伸びきってから次に移るまでの、刹那以下の攻撃と攻撃の繋ぎ目。
その合間を待っていたと足を弾いてずらし、僅かに生じた一瞬の隙の中で、ニャナナの胴に掌を打ち付け──衝撃で体を弾き飛ばす。
名付けるのならさしずめ偽、肉球弾きといった所か。
お前達の動きは散々見てきたんだし、ゲームにもあった憧れの技の一つなんだ。見様見真似の猿真似が出来るくらいには試してみるのが男の子ってもんだろう?
間一髪と、後ろに跳ぶことで回避を果たしたニャナナ。
想定していなかったであろう、半端ながら確かに猫闘術である掌底を食らいながらも、すぐに立て直そうと俺へ向き直す。
けれどこの一瞬。ほんの僅かな猶予こそが、俺が欲しかった本当の隙。
ここから畳み掛けるように、二度と主導権を奪われないよう、ひたすら連打を──。
「見事。だからこそ、今回も私の勝ちですニャナ」
しまっ──。
誘われたと、気付いた瞬間にはもう遅く。
込めた力が全部霧散する感覚がしたかと思えば、俺の自由は空によって奪われてしまっていた。
……抜かったぜ。秘奥食らったら流石に負け──なんて認めるわけねえだろ、ばーかっ!!
こちとら秘奥の存在なんざ、最近弟子になったニャニャよりずっと前から知ってんだ!
ゲームの中ではシステム的に為す術なかったが、もしも現実にあったとしたら、やってみたい対策なんていくつも思いつくのがゲーマーってもんだろう!?
落下の僅かな間で拳を握り、衝突と同時に武舞台へと叩き付けて衝撃を出来るだけ殺す。
どうせダメージを食らうなら一箇所で。それが不安定な姿勢で力を奪われ、制御さえ効かない急速落下の中、それでも出来る唯一の抵抗だった。
もちろん相手は秘奥。
完全に殺しきれるわけもなく、使った腕に力は入らないけれど。
それでも立ち上がれる。当たれば即死だったあの秘奥を前に、俺はこうして再起を果たせた。それは何者にも代えがたい価値だ。
「馬鹿な、まさか空落としを耐えるとは……」
一気に距離を詰め、驚愕するニャナナの顔面目掛けて、まだ生きている方の拳を振り抜く。
あー防がれた。超腕痛え、また骨逝ったかなぁ!?
でもいいや! それでも耐えきった、さあ勝負はこっからだぜ! ハハッ、ハハハハッ──!!
「……いえ。この勝負、貴方の勝ちですニャナ」
……はっ?
無理矢理だが秘奥を乗り越え、これからだと笑みを抑えられないまま構える。
だがそんな俺に冷や水を浴びせるかのように、ニャナナは勝負は終わりだと俺を弾き、ホッと一息はいてから戦意を解いてしまう。
……いやいや、いやいやいやいや。
なんで勝手に終わっちゃうの? 勝負はまだこっからだってのにさ?
それに勝敗つけるなら、どう考えても俺の負けでしょ。千歩譲っても引き分け、勝ちだけは例え神様が肯定してもあり得ないよ。
「十の子供に第七の秘奥を耐えられ、あまつさえ反撃を許してしまうなど継承役としてはあまりに未熟。もしも師が生きていれば、腹を切れと怒鳴られていますニャナ」
ふざけんな。決闘の中でそんな子供扱い、あまりに俺への侮辱──。
「何より猫の民として、この門の前で体を壊し合う闘争を認めるわけにはいきませんニャナ。そこまで追い込んだ貴方の勝利ということで、どうか退いてはくれませんかニャナ?」
納得出来ないとニャナナに掴みかかるが、彼の答えは変わってくれず首を横に振るだけ。
ニャナナは自身の信念において負けを認め、それが覆ることはないのだろうと。
窘めような口調のニャナナに俺は手を放し、叫ぶ代わりに大きな深呼吸を繰り返して、無理矢理にでも自分を落ち着けた。
……ふうっ、ま、すっきりしないけど今回は終わりにしてやるよ。
けど勘違いするなよ。今回のはノージャッジ、一時中断であって、勝敗は俺の負け越し。それだけは絶対に譲らないからな。
「……ならば約束をしましょうニャナ。私が門の役の務めを終え、貴方も大人になった頃、それでも決着を望むというのであれば、その時はこの続きを行いましょうニャナ。今度は片方が壊れるまで終わらない、醜くくも血湧き肉躍る闘争を」
……おう。
約束だと。
差し出されたニャナナの手を握ると、燻っていたもやもやが消えてくれて、満足した。
「すごい、すごいニャシーク! 師匠の秘奥に耐えるとか、すごすぎてキモいニャ!」
武舞台から下り、上着を着直そうとした俺へ、興奮したように飛びついてくるニャニャ。
今回限りは褒められても嬉しくない。大体キモいって褒め言葉じゃないだろ馬鹿ニャニャめ。
あー腕痛え。まあ感覚的には多分折れてなさそうだ、良かった。
直ってすぐの骨折とかいよいよ骨歪みそうで怖いしね。体は資本、まだまだ成長期だし大事にしていきたい。
さて、
「もう旅立つのですニャナ? もう一日くらい、ゆっくりしていけばいいと思うのですがニャナ」
まあね。
とりあえず、今北でやりたいことは全部やりきったし、寒期の北とか耐えきれる気がしない。
今ニャナナと顔合わせてたら一応納得したこころに不満が湧いてきちゃいそうだし、一日でも早く退散させてもらうさ。
そんじゃあな、ニャナナさん。それとニャニャ・ジッハ。
お前と会えて良かった。再会のとき、お前が変わらず長であることを心の底から祈ってるよ。
「んニャ! シークも元気でニャ! 友達として、いつでも歓迎するニャ!」
ともあれ流石にきつかったので、ちょっと休憩してから門を出て。
ニャニャと握手を交わし、別れの挨拶と共に門へと背を向けて、軽く手を振りながら歩き出す。
今回の一件で、十歳ボディにこの地は少々過酷すぎると切に痛感させられた。
俺はまだまだ弱いし幼い。例え前世がどうであろうと、十の子供では足りないものばかり。
次に北へ来るときはもっと準備を整えて、十五を超えて大人になってから。
ニャナナへの真のリベンジも、まだ眠っているはずの百財宝の獲得もその時までお預けだ。
そんなわけで、ひとまずはさようならだ北の大地。
この後味悪い悔しさを噛み締めて強くなって戻ってくるから、その時を楽しみに待っていろよ。




