真っ白い山
かくして壮絶だった猫演舞も終わり、新たな長を迎えたネコ里は日常へと戻った。
先代である祖父に教えられながら、長として未熟ながらせっせと学ぶニャニャ・ジッハ。
そんな彼女を見守りながら、俺は何していたかと言えば──まあ、なにすることなく療養に勤しんでいた。それだけだ。
流石に安静だと窘められ、碌にトレーニングすら出来ないまま過ごすこと半月ほど。
だらだらとしていた間、俺が気付く範囲で変わったことと言えば、グニャーラが武者修行の旅に出てしまったのとニャタロウが修行に本腰入れ始めたことくらいか。
リベンジを果たすために戻ってくる、とだけ書き残して去っていったグニャーラ。
いよいよGHの原作を完全にぶち壊してしまったが、今更だし気にするつもりはない。
グニャーラの過去なんてちょっと変わっても影響ないだろう。極論猫の民にはローゼリアみたいな世界に影響を及ぼす重要人物なんていなかったしな、問題ないって!
ニャタロウについてはほんとに未知数。
戦いは苦手とか抜かしていたのに、どうして心変わりしたのかと訊いても「内緒にゃ」としか答えてくれずあっかんべーとかしてきやがる。
まあでも、そもそもGHにいなかったから気にしても仕方ない。
ニャタロウはまだ九歳、反抗期さえ迎える前なのだからどんな心変わりが起きても何もおかしいことはない。例えシスコンを拗らせすぎてテロリストを志し始めていたとしても、俺は悪くねえ!
……知識なんてのは溜め込まず、むしろ使ってこそ輝くもの。
これからも自分の目的のため、まだ見ぬ百財宝獲得のためにいくらでも利用して、原作なんてお構いなしに壊していくつもりだ。
その結果世界が滅茶苦茶になったらまあ……そのときはそのとき、未来の俺に頑張ってもらおう。うん。
そんなこんなで完治までに半月、リハビリに半月と一ヶ月ほど費やした後。
ようやく完全復活を果たした俺は、心身共にネコランマ登頂への準備を間に合わせることが出来た。
「時期としてはギリギリかニャン。山に呑まれぬよう、くれぐれも気をつけるニャン」
おう。こっちもお世話になりました。前も言ったけど、次来るときまでにくたばらないでよ?
里の入り口にて。
やり取り自体にデジャブを感じながらも、改めてシガナシとがっしり別れの握手を交わす。
シガナシの言うとおり、山登るだけなのに結構ギリギリになってしまった。
もうすぐ寒季。前世で言えば秋と冬の合体みたいな季節で、北ではほぼ毎日雪が降るようになってしまう。
そうなるとネコランマの登頂はほぼ不可能と言えるほど難度が変わってしまうとのこと。冬の山が姿を変えるのは、前世も今世も変わりないらしい。
つまりここでしくじれば、次に登山チャレンジ出来る機会は寒期が明けてから、安全を考えると最低半年は立ち往生を強制されることになってしまう。
ただでさえ北は寒いのに、より一層冷えるであろう寒期なんて迎えたくない。さっさと山を登って今度こそ中央を目指したいね。
「お姉ちゃんは死ぬ気で守るにゃ。一人で戻ってきたら僕はお前を八つ裂きにゃ」
握手をしながら、いつも通りの眠そうな顔なのに、めっちゃ圧を放ってくるニャタロウ。
こいつ最後まで変わらんかった……いや、遠慮とかなくなった分距離は縮まった……のか?
「それと、まあ、シークも気をつけるにゃ。次会うときまでに、身長抜かしてやるにゃ」
……おう、お前も達者でやれよ。あと抜かされてやんないよーだ、べーっ!
「さあ行くニャ! あんまり遊んでると夜になっちゃうニャ!」
ニャニャの言葉にそうだなと頷き、軽く手を上げてから、彼らに背を向けて歩き始める。
ふと後ろを流し見て、小さくなっていく里にどうにも覚えてしまう物寂しさ。
流石に二ヶ月近くもいれば少しは名残惜しくもなるかと、心の中で納得しながら最後にもう一度手を振って、今度こそ振り返ることなく二人で歩いていく。
散々往復させられた、門と里を繋ぐ真っ直ぐな道。
飽きるほど歩いたとはいえ、最後だと思えば良い鍛練になったと感謝しなくもな……やっぱりなし、面倒だったことに変わりはないからな。
「お久しぶりですニャナ。お二方共に、以前とは見違えましたニャナ」
そんなことを考えてながら歩いていると、距離に合わずあっという間に到着してしまう。
これも鍛練の賜物かなと思いながら、笑顔で迎えてくれたニャナナに挨拶し、門の中へと通してもらう。
「用件は言われずとも、既に準備は整っておりますニャナ。それでシーク君、リベンジについてはどうしますニャナ? ご所望なら、今すぐでも──」
ああ結構です。
ちょっと急いでるんで、無事下山を果たしたときこそ、改めてこちらから申し込みますよ。
「……ふふっ、楽しみにしていますよニャナ。私もその日のため、体を温めておきますニャナ」
柔和な笑みながら、瞳に随分な闘志をぎらつかせてくるニャナナ。
……まいったな。前回と同じくらいのノリを期待していたんだが、そこまで本気になられるとただでさえか細い勝算が更に細くなっちまう。
山を下りるまでにもう一つくらい策を講じておくしないけど……うん、思いつく気がしないなぁ。
「ニャニャ・ジッハ及び付き人シークの通過を、今代門の役ニャナナが、この名において承認しますニャナ! 聖なる山を登らんと勇む幼子達よ、どうかご武運を!」
ニャナナの宣誓が響いた後、大きな門は、誰に押されることもなく独りでに開き始める。
先には真っ白な、門という額縁を填められた一枚の絵とさえ思える純白な景色。
ごくりと唾を呑み、ニャニャと顔を見合わせ、頷き合ってから門を越えてその地へと踏み込んでいく。
「……静かニャ」
ばたん、と閉まる門。
音すらない、何もないまっさらな世界となったこの場所での呟きは、雪の中へ消えてしまう。
この空気……嗚呼、実に懐かしい。
そうだ、これだ。この緊張感こそネコランマ。
GHにおいてもBGMのない、異様な迫力を醸す観光名所。
門を一つ隔てただけだというのに、別世界とさえ思えるほど何もかもの異なる猫の民の聖地だ。
雄大で、荘厳なネコランマ。
ゲームの頃とまるで変わっていない、いやそれ以上の迫力を前にして、全身に鳥肌が立たせながら気圧されてしまう。
けれどニャニャはそんな俺の背を叩き、「行くニャ」と臆すことなく山の道を歩き始めた。
……随分頼もしいじゃん。やっぱりすごいやつだよ、お前はさ。
褒めはすれども、絶対口には出してやらないと心に決めつつ。
ニャニャに置いていかれないよう、軽く頬を叩いて気合いを入れ直してから一歩後についていく。
獣の臭い。鳥の囀り。草花の姿。
凡そほとんどの山にありそうな要素を一切欠いた、ひたすらに続く、白いだけの山道。
何もない。変わることがない。変わっているとしても気付けない。
進んでいるか、止まっているかさえ曖昧になりそうな中で、足音だけを導としながら上がっていくも、段々と退屈さが強くなってきてしまう。
そういやここ、ゲームでも一切敵が出ないんだよな。
単純で、退屈で、どうしようもない過酷な、けれど登る価値のある場所。山とはそういうものであって欲しいと、開発スタッフを取材記事が組まれた際に、一人が熱弁していた気がする。
というかそもそも、GHってそういう敵なしの場所多いんだよね。
世界観重視のせいか明らかに配分が偏っている。ここや前の隠し墓のように一切敵の出ない場所から、普通のRPGだったら許されないような出現数のダンジョンがいくつもあったりと。
百財宝のコンプを狙うトレジャーハンターとしては、いつかそういったダンジョンにも入らなきゃいけないと考えると……今からでも身震いしちゃうね。
ねーニャニャ。ずっと同じ景色ばっかでつまんない、何か面白い話ないの?
「んなもんな……ああ、じゃあこんなんどうニャ? ネコランマの山道は長やジッハが心を戒め、更なる境地へ至るための修練場。故に自戒の試練と、そんな呼び名で呼ばれたりもすることもあるらしいってお祖父ちゃん言ってたニャ」
一応、突然の襲来に気をつけてながらも、前を行くニャニャに話を振ってみる。
最初は一蹴しようとしてきたニャニャだったが、途中で思い出したのか話し始める。
自戒の試練……ああ、そういやゲームでもそんな呼ばれ方してた気がする。
しかし自分達の神を祀っているような山をそんな風に言っていいのか? 罰当たらないの?
「ジッハを得るほど技を磨こうが、自然の、拾い世界の中では変わらずちっぽけな存在。だから決して驕らず鍛練に励むべしと、一度でも登れば身に染みるらしいニャ。……ああちなみに、一番近いのだと前の前の前の長は山から戻ってこられなかったらしくてニャ? 男女で仲睦まじく登ろうとするような不届き者には、酷い祟りを与えようとしてくるらしいってもっぱらの噂ニャ」
からかうような口調で話した後、くつくつと、堪えきれなくなったように笑うニャニャ。
ゲームでも聞いたことないような小話に、なんだそりゃと笑い返してやろうとした。
──だが直後、がさりと、俺の背後で何かが雪を踏む音が鳴る。
気配すら感じなかったと、相棒を手に取りながら振り向くも、そこには誰の姿もない。
けれど誰かがいたのだけは分かる、俺達とは異なる、揃えられた両の足跡がそこにはあった。
「な、なんニャ!」
今度はニャニャが声を荒げ右を見るが、やはり姿はなく同様の足跡のみ。
雪を踏む音は止むことなく、俺を、ニャニャを、二人共に誇示するかのように徐々に大きくなる。
がさり、がさり、がさりがさり、がさり──がさっ!!
「……た、祟りニャー!」
二人で顔を見合わした直後、聞こえてしまう聞き間違えようのない音。
滑る危険さえ抜け落ちたまま、俺とニャニャは我先にと、一目散にその場から駆け出してしまう。
そんなもの、いるはずがないと思いながら。
それでも振り向いたらまずいことになると、恐怖に駆られながらひたすらに、がむしゃらに。
──背後から、けたけたと、笑うような声が聞こえた気がしたから。




