互いに自分のために
そんなわけで。
見事なまでに守人に惨敗し、山へ入る機会を失った俺は、その日のうちにネコ里へ出戻りましたとさ。めでたしめでたし……じゃねえわ、バッドエンドもいいとこだわ。
「それで出戻りとは。……まったく、随分と愉快な土産を持ってきたニャン」
うるさいにゃあ。別に好きで戻ったわけじゃねえわ。
まあ、格好付かないのはその通り。
こちとら負けたからノコノコ引き返してるんだから、ニヤニヤしてるシガナシに返す言葉なんてない。だからこうして、また泊めてもらう礼に薪割りしてるんじゃないか。
「しかしネコランマかニャン。試練を負けてなお登りたいのなら、里長に頼まねばならんが……正直な話、我が輩が話を通した所で難しいだろうニャン」
カン、カン、カンと。
久しぶりだというのに体は覚えていたらしく、テンポ良く薪を割り続ける俺の後ろで、優雅に茶をしばきながら話してくるシガナシ。
「ジッハとネコランマはそれだけ神聖視されている場所、言うなれば猫の民にとっての聖地ニャン。里ならともかく、猫の民でないお前は観光などで山を登りたいと言えば、まずいい顔はしないだろうニャン」
まあ確かに、それはごもっとも。
大事な土地へ下手に人を入れて、その結果荒らされでもしたらたまったもんじゃないだろう。俺だって、信頼して車貸したのに事故車になって返されたらそいつ殺すと思う。
ねえシガナシさーん。この里、長以外のジッハっていないのー?
「いないニャン。猫演舞の覇者には里長の座とジッハの名が与えられるが、長らく長に変わりはないニャン。里の最強がそう容易く変わることなどない、そういうことだニャン」
なるほど。長らく長が変わらないのなら、当然ジッハも長以外いないってわけか。
まあGHでもジッハはニャルナとグニャーラの二人だけだったし落胆はない。ワンチャンないかなと思って訊いてみただけだ。
例外とすればやっぱりニャルナ・ジッハだが、里にいない女を考慮したってなぁ。
確か個別ルートのどこかで、里に未練はなく、一回も帰ってないしこれからも帰る気はないみたいな言及があったはず。例外があるとすれば、エピローグでニャルナの母の墓へ報告した所くらいか。
……まあ、期待したって仕方ない。
そもそも一度しか会ったことない仲だし、その程度で頼んだ所で断られてしまいだろう。
……ちなみにだけどさ。シガナシさん、実は意外とジッハだったりしないっすか?
「持ってないニャン。我が輩は所詮、誇る名など持たぬ老猫ニャン」
ですよね。
「ともかく、明日里長の所で頼んでみないことには始まらないニャン。空なんて切ってないで、今日は大人しく休むニャン」
空って……あ、もう全部割り終わってたわ。これは恥ずかしい、てへぺろっ。
そうしてまたしてもシガナシの家で一夜明け、翌日訪れたのは里で一番大きな里長の家。
ニャニャとニャタロウと軽く再会の挨拶をした後、シガナシと里長であるニャズル・ジッハの三人でネコランマへ入らせて欲しいとお願いした。
「申し訳ないがご客人、それだけは了承出来んニャズ。どこのモンかも分からぬ人族に、観光程度で聖地を踏ませるわけにはいかぬニャズ」
両手は床に添えながら、決して肘を地に付けず。
旋毛の後部が相手に見えるほどの角度で、背中の丸みは骨のみで。
足は指から膝までべったりと地に付けながら、尻は上げすぎずに楽をしない。
これこそ、前世で俺が辿り着いた謝罪の境地。
そんな前世仕込みの完璧な土下座を披露したものの、厳格な顔つきをした灰色の体毛の老いた猫の民は、丁寧に俺の頼みをばっさりと拒否してきた。
「何も意地悪で言っているわけではないニャズ。ネコランマは過酷な地。多少腕に覚えがあろうとも、十の人族が容易く踏破出来る場所ではないニャズ。軽い気持ちで命を落とそうとする若者を、みすみす受け入れるわけにはいかないニャズ」
うーんごもっとも。
例え入れたくない故の建前だとしても、真っ当すぎて返す余地がないくらいには正論ですわ。
「……それに儂もすっかり老いてしまったニャズ。最早助けなしでは頂上には辿り着けんだろうニャズ。ニャニャが十五になった今、長く座った長の席を空けるには丁度良い頃合いニャズ」
ニャズルは寂しげな口調でそう話した後、老人らしい、力ない笑いを僅かに零してしまう。
老いねえ。まあ確かに、生物である以上いつまで最強じゃいられないってわけか。
生憎前世は二十数年で死、今世も未だ十歳と老いさらばえには無縁だからな。理解は出来ても共感は難しい。
まあでも仕方ない。これ以上の無理強いは悪手だし、ここは大人しく引き下がるべきだろうね。
……でもさ? 言っちゃ悪いが娘さん、グニャーラには勝てないんじゃないです?
「正々堂々ぶつかった結果であれば、それもまた仕方なし。猫演舞の本懐、それは武の競争ではなく我ら猫の民による猫神様への奉納。猫神様は如何なる長であれ、決して拒みはしないニャズ」
わお、手厳しい。
流石は里の長。公私混同のない立派な心持ち、根無し草の放浪者としては見習いたい所ですわ。
「聞き捨てならないニャ! お祖父ちゃん!」
「わたしじゃ、わたしじゃ駄目だって言いたいニャ!? お姉ちゃんみたいには出来ないって、村長の娘には相応しくないって、お祖父ちゃんもわたしを信じてくれないニャ!?」
「そうは言っていないニャズ。だがニャニャ、今のお前ではグニャーラには……いいや、猫演舞に参加する強き者達には及ばないニャズ」
「……ッ、もういいニャ! お祖父ちゃんなんて嫌いニャ!!」
皮肉なんてなしに、長年里を治めたニャズルに心の底から尊敬を抱いていたときだった。
我慢ならないと言わんばかりに襖を開け、声を荒げながら踏み入ってくるニャニャ。
何だと思いながら、止める理由もなかったので口論を傍観していれば、声を上擦らせたニャニャはそのまま部屋から走り去ってしまう。
……急に入ってきたかと思えば即退散とは、流石にじゃじゃ馬すぎるだろあの桃色猫は。
「……申し訳ない、少々見苦しい所を見せてしまったニャズ。長として、あの娘の祖父としてお詫びするニャズ」
部屋が静寂を取り戻した後、ニャズルは姿勢を正し、向かい合う俺達に深々と頭を下げてくる。
「少々勝ち気だが、悪い娘ではないニャズ。だが最近は少々……いや、随分と思い詰めてしまっているニャズ。すべては我々の不徳……お恥ずかしい限りですニャズ」
知ってますよ。
数日の付き合いですが、これでも一応、他人とは言いたくないくらいには仲良くなりましたので。
「……とにかく、許可は出せないニャズ。申し訳ないが、お引き取りをニャズ」
ええ。こちらも丁度用が出来ましたので、そろそろお暇させていただきます。
もう用は済んだと立ち上がり、礼をして、シガナシと共に長の家を出ていく。
外に出れば、温かかった室内とは違う北らしい冷たい風。
ひんやりとした風に顔を撫でられながら、ほのかに心地良さを覚えながら、ゆっくりと凝った体を解していく。
あー凝った凝った。息が詰まりそうだった。
堅苦しい、形式張った場ってのはどうしてこんなに疲れるんだか。だから面接とか発表の場って嫌いだったんだよ。
それに正座の痛みも前世で嫌というほど慣れてるけど、それでもやっぱり疲労自体は溜まるんだよね。長い話ってのは、やっぱり椅子ありきで話したいもんだよ。
「……行くのかニャン?」
体を解し終えた俺に、シガナシは背後から簡潔に問いかけてくる。
おー怖っ。どこへすら聞かないんだから、この醜いだけの心の中でも見られているみたいだ。
……まあ、ちょっと野暮用さ。そんなに遅くはならないと思うんで、夕食の準備よろしくです。
「……そうか、ならば頼むニャン。夕食は、少し多めに作っておくニャン」
気遣い完璧なシガナシに礼を言い、颯爽と走り出そうとしたがその前に考えてしまう。
自信満々に了承してみたが、実際どこへ向かえばいいんだか。
土地勘なんてないに等しいし、多少仲良くなったとてあいつが何処行くとか知らねえもんなぁ。こういうとき、現実だと次に向かう場所のナビがないのが辛いところ──。
「……こっちこっち、にゃ」
進路に悩む俺の手を掴んだのは、深い蒼色の体毛の、小さな肉球付きの手。
長の家の前だからおかしくはないが、一体いつからそばにいたのか。
まったく気配すら感じなかった、眠いのかなと思える垂れ目なニャタロウが、その小さな体に合わないほど強い力で俺を引っ張り出す。
家の裏へ周り、一切ペースを落とすことなく結構な段数の階段を上らされ。
そうしてあれよあれよと連れてこられたのは人気のない、丸い猫の石像がぽつんと置かれただけの崖であった。
あー良い景色。そういやゲームでもあったな、里を一望できるスクショスポットが。
そんでちょうど崖の先の方で体育座りしちゃってるのが目当てのお姉ちゃんか。たいして人も来ないだろうし、確かに落ち込むにはいい場所だな。
「んじゃあとよろにゃ。お姉ちゃん無駄に頑固だから、脳筋に任せるにゃ」
パッと手を放し、他人事のように手を振って近場の茂みに隠れてしまうニャタロウ。
後は俺一人でどうぞってか。まったく、姉の消沈に薄情な弟がいたもんだ。
一度背後を向いてみれば、親指を立ててくるニャタロウに小さくため息を吐きつつ。
仕方がないと多少身なりを整えて、ごほんと軽く喉を慣らしてから、体育座りで落ち込むニャニャのそばへと近寄っていく。
や、やあやあお嬢さん。
年頃の娘がこんな人気のない場所で一人とは物騒だね? 風が冷たいし風邪引いちゃうよ?
「……何ニャ。脳筋もわたしを馬鹿にしにきたニャ?」
そんなつもりはないよ。
ああ、勝手に隣座るね……ちべたっ!? 雪がないとはいえ、やっぱり北の地面は人族にはきっついわぁ。
それで? 一丁前にふて腐れちゃって、そんなにお祖父ちゃんのマジレスが嫌だった?
「……分かってるニャ。お祖父ちゃんの、グニャーラの言うとおり、わたしじゃ猫演舞の初戦すら勝てない、純然たる事実ニャ」
ニャニャは俺の方を向くことなく、ずっと正面を見つめながら淡々と話していく。
……いや違うか。淡々としようとしているだけで、言葉の至る所に悔しさを抑えきれていないな。
「でもお祖父ちゃんには、わたしを信じて欲しかったニャ。お姉ちゃんみたいにやれるって、嘘でも気休めでも言って欲しかった……ふふっ、自分でも女々しすぎニャ」
血でも出そうなほど強く拳を握りながらも、自嘲ように言い終えてから力を緩めてしまう。
ニャニャはまだ十五。この世界ではもう成人だが、それでもやはり十五の少女でしかない。
そんな彼女が家族に、それも長である祖父に認められたいと思うのは当然だろう。
俺はまだ見たことがないが、それほどまでに優れた姉がいるのなら劣等感、承認欲求が育つのは当然だろう。……どんな姉なんだろうな、一目で良いから見たいな。
──じゃあさ、取引しようぜ落ちこぼれ。
この一月、俺が特訓に付き合ってやるからさ。そんでお前が優勝してジッハを得たら、俺をネコランマの上に連れて行ってくれよ。
「……馬鹿なこと言うニャ。落ちこぼれと脳筋が組んだって勝ち目あるわけないニャ」
わざとらしく両手を上げ、自信満々に提示してみせた案。
だがニャニャはやはりこちらを向くことなく、この完璧な名案をばっさりと否定してくる。
まあそうだろうな。
何せ俺はニャニャにすら勝てない雑魚。立場が逆だったら何言ってんだって殴りたくなるもん。
けど俺もリベンジしなきゃ気が済まないやつが出来たし、このままじゃ山へ登れずじまい。
一方お前も崖っぷち。断言してやるけど、このまま今年の猫演舞でボロ負けしたら二度と立ち直れずに無様な負け犬……いや、負け猫人生を送るだろうさ。
互いに後はない。なりふり構わず、ひたすら足掻いてみるのも悪くはないぜ?
落ちこぼれと敗北者、泥臭く、誰にだって笑われるほどみっともなくな背水の陣がお似合いだろう?
それともなんだ、天下のニャニャ様が怖いのか?
誇り高き猫の民が、こんな余所者の、年下の、人族風情に好き放題言われて、はいそうですって恐れをなして、猫らしく炬燵で丸まって泣き寝入りしちゃうかい?
「こたつ……? ……それで頑張って、それでも勝てなかったら、どうすればいいニャ?」
さあ? 挑む弱者側なんだし、そんなの負けたら考えればいいじゃん。
……まあでも、そんときは焚き付けた責任とって、来年まで付き合ってやるとも。
為せば成る、ネバーギブアップ、ひたすら努力。
そんな根性論は世界で三番目くらいに大嫌いだけど、負けたままってのはもっと嫌いだからな。
「……むかつくやつニャ。……おかげで、ちょっとやる気出てきちゃったニャ」
しばらくして、何かを決意したように頷いたニャニャは少し口元を緩め、ゆっくりと立ち上がる。
俺を見下ろすその目には、先ほどまでのナヨナヨしていた雌猫の面影はない。
この数日で散々見てきた、むかつくほど勝ち気で歳上と思いたくない、けれどそれが味であるニャニャがそこにはいた。
「このニャニャ様を焚き付けたこと、後悔するなよニャ? 逃げたら地の果てまで追いかけて、必ず喉元引き千切ってやるからニャ?」
望むところだ落ちこぼれ。
こっちだって打算と目的ありきの大本気なんだ。勝手に折れて拗ねて拗らせてでもしたら、その時は俺が相棒で、その小ぶりな尻にケツバットしてやるからな?
「除け者扱いは寂しいにゃ。姉が欲しくば、先に弟を攻略してからにゃ」
差し出された手を掴み、立ち上がろうとしたときもう一つの手が俺とニャニャの手へ被さる。
まったくニャタロウめ。いいとこにだけ割り込むとか、実に要領の良いクソガキだよ。
だがまあいいさ。どうせ巻き込むつもりだったし、
さあやってやるぞ猫姉弟! 猫人同盟三人で、猫演舞もネコランマ登頂も総なめにゃあ! えい、えい──
「えい、えい、ニャー……えっ?」
おー……って何それ、まったく合わないんだけど。不安になる開幕にゃあ……。




