乾燥にはご注意ください
冬は乾燥に気をつけて!そんな貼り紙を見るたびにどうして冬季限定みたいな言い方をするのだろうと思う。
インフルエンザじゃないんだからと面白くもないツッコミを毎度いれてはため息をこぼす。別に怒っているわけではないけれど、なんとなく主語に引っ掛かってしまうのだ。
それもそのはず、私は乾燥しやすい身体の持ち主で、華の女子高生ピッチピッチの17歳だが、潤いは皆無に等しい。
女子高生が輝くなんて嘘。定期的な皮膚科への受診、年中痒い(故にかきむしって荒れている)肌、肌見放さず持ち歩く痒み止めの薬と保湿クリーム。
輝くどころか、カッピカピに乾いておりますが?どんに磨いたってその摩擦で痒くなって荒れるだけだ。
私の苦しさがわかるか諸君よ。何が冬場の乾燥だ。喉が痛いから加湿器をつけろだ。唇が荒れてるからリップクリームを手放せないだ。そんな可愛い乾燥、家族全員が入った後に浴室のドアを開けっ放しだった時の風呂の温度くらい生ぬるいわっ!おのれ楽しそうな毎日だな。
この身体で生を受けたのが運のつき、肌をボリボリかくと表面から白い粉をふいてしまう私の小学生の時のあだ名は、除雪機だった。
それはいじめではないか?と感じるだろうが、幸いにも楽観的で明るい私は、冬のお助けマシーンじゃんと傷つきはしなかった。その他にもプールに入ることが出来なかったり、日差しや傷痕まみれの肌の露出を考慮して半袖が着れなかったりと色々大変なことはある。
しかし、それがいくら苦であっても仕方ないと割り切るしかないのだ。
わかりあえる人と普通の女の子のような青春をしてみたい。そう祈ってみる。こんな私だって、周りの普通の女の子たちが羨ましくて仕方ない。綺麗で潤っていて、透き通るような肌の子が多いのだから。思春期だからこそ、もう明るいだけでは心を留めることもきつくなってくる。
常に乾燥に気をつけなければならない私は、死ぬまでこの乾燥だけと二人三脚だ。
「ちょっと今回は首周りが荒れちゃったみたいだから多めに薬出しておくからね」
「はい、ありがとうございました」
担当医の先生に会釈し、診察室を出る。窓からは一面の白景色が見えた。来た時よりも断然ひどく吹雪いている。室内から出たくないなというけだるい怠惰が襲ってきた。
学校終わりの皮膚科はさほど混んではなく、穏やかに受診は過ぎた。予約をしないところであるため、混んでいる時は結構待ったりするが、今日はラッキーだ。
一時だけ外を踏ん張り歩き、皮膚科の隣にある薬局へと向かう。ちょっとしか外に出ていないというのに、すでに私の身体は真っ白に染められていた。
中では男性が一人だけ背中を向けて椅子に座っていた。男性が近々なってからあれ?と見覚えのある感覚が私をよぎる。私と同じ学校の学ラン、斜め方向から見える眼鏡、あの細い体格………
「熊谷くん?」
ボソッと名前を呟くと、勢いよく彼が振り返った。
「あれ、水川さん?」
あっやっぱり熊谷くんだ。そう思うのと同時に、どうしてクラスメートが同じ薬局にいるのかと困惑する。もし同じ皮膚科にいたのなら、今日は人が少ないし、その時に気づくはずだ。
疑問に思いながらも受付を済ませ、薬を待つために彼の隣に腰かける。
「熊谷くん、ここの皮膚科に通ってたの?」
「うん。僕アトピー持ちでさ。でも今日は受診とかじゃなくて、最近寒さで鼻水ひどくて鼻炎の薬服用するから、アトピーの薬と合わせて大丈夫か聞きにきたところなんだ」
「そうなんだ……」
皮膚科の待合室にいなかったのはそういうことか。まさかの薬局のほうで会うなんて、なんたる偶然だろう。
でも考えてみれば、熊谷くんは夏の時でも私と一緒で長袖を着ていた気がする。さらにうっすらと塗り薬を塗っていた記憶もあるが、いかんせんあまり話したことがないため、まったく同士だなんて思っていなかった。
しかも熊谷くんには悪いが、彼は普段目立たないというか、よく隅っこにいるような人のイメージがあるため、話しかけにくかったのも正直ある。
……こういうタイプって私のようなクラスの陽キャ(自称)苦手っぽいんだよな。グイグイいくと逃げてしまうかもしれないし、穏やかに話しかけるべきなのかな?
「くっ熊谷くんが皮膚科通ってるなんてまったく気付かなかったなぁ。肌弱い同士なら気付きそうだけど」
私は精一杯の作り笑いを向けて穏やかなイメージを醸し出してみる。自分でやっているのもあれだが、鳥肌がたちそうだ。
「ずっとここに通ってるけど、案外会わないものなんだね。僕はなんとなく水川さんは皮膚悪いのかなって感じてたけど、それでも全然気付かなかったよ。水川さんもアトピー?」
「いや、私は生まれつきただのひどい乾燥肌で皮膚も弱いんだ。だから保湿しても年がら年中痒くてさ」
「あーわかるよ。しかも今の時期だとひどくなるもんね」
「どこのこと?常にあちらこちらがひどくなるからどこなのかわからん……」
「ここだよ」
熊谷くんは学ランの一番上のボタンを外すと、首元を露にした。その仕草に少しだけ鼓動が速くなるが、真っ赤になった肌が現実を表していた。あと一回でもかいたのなら血が出そうなくらいに荒れている。見ているこっちが痛くて痒くなるようだ。
「首周り、水川さんもそうでしょ?」
彼の指と視線の先には私の首があった。同じく真っ赤にただれた、今にでもかきむしってしまいたい首元。熊谷くんの指先は私の首筋ギリギリまで近くなっていた。
「マフラー、辛いよね。寒いから巻くけど、すぐ痒くなるし首が本当ひどくなる」
「そうだね……」
「夏場は夏場で汗でひどくなるけど、冬のマフラーは僕嫌いなんだ」
「そう、だね」
話がまったく入ってこない。というよりかは、学校で会う熊谷くんと印象が違いすぎて風邪をひきそうだ。初めて深く話したからなのか、もともと静かな人とかではなくてこういう雰囲気の人なのか。
どのみちさっきから緊張が止まらない。早く薬もらって帰りたい。
そんな私を察したのか、熊谷くんは謎を含んだ笑みを浮かべた。
「僕の印象違いすぎて、驚いた?」
「……え?そ、そんなことございませんよ?」
「ははっ……水川さんって嘘下手すぎるよね。そういうとこ可愛いと思うよ」
こぶしを口に当ててクスクスと笑う彼は完璧に私の中の熊谷くんを覆していた。誰だ貴様は……。静かでもなく、暗くもない。少し、いやかなり距離感バグってるじゃないか。私のパーソナルスペースが狭いのもあるが、なんかこの人、危険かもしれない。
「そういうことで、同じ皮膚科通い同士よろしくね」
そう言って熊谷くんは私に握手を求めてきた。こんなに場所によって人格が違う人と学校でもよろしくやれというのか?全然上手く話せないのに?
「え、えっと……」
「水川さーん、2番窓口へどうぞー」
握手するべきか悩んでいる間に、薬の受け渡しのために薬剤師さんから名前を呼ばれた。ナイスだ薬剤師さん。なんて素晴らしいタイミングなんだ。神様仏様、ありがとうありがとう。
「痒いから薬塗りますであります!ではまた学校で熊谷くん!」
彼に向かって敬礼し、薬を受け取ると私は勢いよく薬局を飛び出した。吹雪の中、マフラーをしていないと途中で気付いたが、痒くなるし暑いし、なんか寒さも感じないし、今はしなくていいやと思った。
手のひらでさする首元が、暑さの現況になっていることも知らずに。
「は?」
次の日学校に来て、私が一番に発した言葉だ。
「だから、普段何の保湿クリーム使ってるの?って」
目の前で同じことを質問してきているのは、昨日偶然薬局で会った熊谷隠れ無自覚人たらしくんだ。一昨日までは物静かで害がない男子であったはずなのに、実は皮を剥げば、なんというか……キラキラ属性だったのだ。
私が教室入って早々、「おはよう!」と眩しい笑顔で駆け寄ってきたのが数十秒前のこと。そしてふりだしに戻る。
「あの……熊谷くん。なんで昨日今日でこんなに距離が近くなっているのか不思議なんだけど……」
「皮膚科通い同士よろしくって言ったじゃん。僕、今まで仲間いなかったから嬉しくってさ。しかもその初めての仲間が水川さんのような面白い人ときたものだ」
「いや、私別に面白くないから。……やめてよねさらっと恥ずかしいこと言うの」
プイッとそっぽ向くと、彼が吹き出すのが聞こえた。まさか学校でまでこんなに話しかけてくるとは思わなかった。
普通にいつも通りの熊谷くんに戻って隅っこにいるんだろうとか勝手に信じ込んでいたけれど。
くっ……私ばっかり対応に困るなんて。正直今まで肌を馬鹿にしてきたのは基本男子だったから、その影響で男子と話すのだってゆるくないのに……。
目を合わせたら負けだと思い、横目で熊谷くんを見てみると、首をガシガシとひっかいている。昨日の状態を見るに、まだ皮膚は安定していないはずだ。荒れの治りかけが痒いのは痛いほどわかる。しかし、今かいたら余計治るのが遅くなってしまう。
「熊谷くん」
かくのを止めようとすると、不意に左手首を掴まれた。軽くソフトなぬくもりが手首の脈から伝わってくる。
「水川さん、今首かいてたよ。痒い?大丈夫?」
熊谷くんに言われて初めて、自分が右手で無意識に首をかいてるのを認識した。彼を止めるはずだったのに、私も同じことしてたなんて。じわじわと時間差で羞恥心が襲ってくる。
なんだこれ。恥ずかしすぎるし穴があったら顔から入りたい。仲良しか私たちは。
「……熊谷くんもかいてたよ。ダメだよかいちゃ」
「えっそうなの?全然気付かなかった。やっぱり仲間だなぁ。仲良しだね、僕たち」
少しだけ頬を赤らめて柔らかく笑う熊谷くん。眼鏡の奥の表情は嬉しさをこれ以上ないくらいに示していた。
「っ……」
本当にずっと仲間がほしかったんだな、彼は。クラスで一人でいたのは事実だったから。皮膚が弱い人はたくさんいるけれど、同年代、そしてクラスメート。同じ苦しみ。こんなことあまりないのは経験上わかる。
私だってほしくなかったと言えば嘘になる。この苦しみは一人で抱えていくものだと考えていた。ましてや異性のことなんて微塵も期待していなかった。
「……ピオレだよ」
「え?」
「だから、保湿クリームはピオレのを使ってる。ちょっと値段高いけど、個人的に使ったその日は潤いが他のやつより違うから」
熊谷くんは目を丸くしたあと、しゃがんで私と目線を合わせた。
「ありがとう。今度試してみるね」
「……うん。そうしてみて」
何故か甘ったるい空気が漂っていることに堪えられない。なんだこれ(2回目)。どっかで大きなベルが鳴ったみたいに脳にノイズが響く。
私のようなおとぼけ除雪機がこんな青春もどきみたいなことしていいんだろうか。
そんなことをうっすらと考えながら、登校後の日課である保湿クリームをポーチから取り出そうとする。しかし、保湿クリームは入っていなく、すっからかんとしていた。
「あれ?保湿クリームどっかいった!家に忘れたかも」
別に塗らなくてもものすごい支障があるわけではないが、学校は乾燥がすごいため、家に帰った後に粉がふいていることがある。それが割りと清潔感をなくすため、ちょっと嫌なのだ。
「僕のやつ使う?使いかけだから抵抗感あるかもしれないけど、もし嫌じゃなければ」
熊谷くんは学ランのポケットから保湿クリームを取り出し、差し出してくれる。ラベンダーの香りがする、新発売のやつだった。
「……嫌なわけないじゃん」
両手で保湿クリームを受け取る。優しい香りが私たちを包み込んだ。今度は私が使っているやつを彼に使わせてみたいと思う。
熊谷くんが嫌じゃなければ、だけど。
乾燥がつなぐもの、仲間と知ったのが運のつき。知らなかった部分を知って、ギャップに戸惑って。そして興味が惹かれる。
祈りが届いたんじゃないかと、そんな非現実的なことを私らしくもなく考えてしまうのだ。
二人だけの共有みたいなお話を書きたかったはずなのに。