第二十一話 嫉み
[結衣視点]
まるで幸せを絵に描いたような奏君との二人きりの時間だった。
しかし、そこへ突如として現れた〝美織ちゃん〟。
会話からして、どうやら二人は久しぶりに会う幼馴染らしく、
――『忘れるわけないじゃん』
……奏君は成長した現在の彼女の姿から、記憶の中の幼い頃の彼女の面影を見出したのだろう。そう口にした。
『忘れるわけない』……奏君から私へ言って欲しかった、何よりも切望したその言葉を……私の目の前で、私ではない他の女子へと向けられた瞬間だった。
頭をトンカチで殴られたかのような衝撃が走った。心が痛く、辛い。悲しくて、悔しい……。
いや、これはもっと醜い感情だ。
――そう。これがたぶん〝嫉み〟というやつなのだろう。
胸の奥で黒くドロドロとした醜い感情が蠢いている。
目の前で交わされる気を許し合った者同士にしか出来ない砕けたやり取り……幼馴染の彼女へ向けた奏君の穏やかで自然な微笑み……(そっか。奏君って、こんな風に笑うんだ……)。
私の知らない奏君がそこに居て……それは私と向き合う時には決して表さない。
そう。これがきっと奏君本来の素の姿なのだろう。
私へ向けられるのはいつも、緊張でガチガチに固まったぎこちない笑顔と、どことなく余所余所しい言葉だけ……。
私だって、奏君になんとか心を開いてもらう糸口を掴もうと努力はしているつもりだけれど、前述した通り未だ心の距離は縮まっていない……。
奏君と笑顔でやり取りを交わす彼女の様子を見て思う事がある。
ひょっとしたら、私と同じく彼女もまた奏君の事が好きで……もし、だとしたら、私は幼馴染である彼女に勝てるのだろうか?
そんな不安や焦りが募り始めた頃、彼女がこう発した。
――「つまり、この子の事が好きなんでしょ?」
その美織ちゃんが言った言葉に、私は安堵した。
そうか。私の抱いた懸念は気のせいだったのだと。
この子にとって奏君はあくまで幼馴染。〝友達〟でしかないのだと。
私は咄嗟に顔を上げると彼女を見た。
――いや、違う。
同じ女だからこそ、彼女の顔を見て、その本心が分かってしまった。
美織ちゃんの作ったその悪戯的笑顔の奥に、私は、今の私だからこそ共感できる切ない感情を見たのだ。
でも、
「…………」
その投げかけられた問いに対して、奏君がピタッと固まり、
「あ。 もしかして、図星だった?」
そして、美織ちゃんの表情からも笑みが消え、一切の余裕が消え失せた。
同時に、私は期待した。
もしかしたら、奏君も私の事を……?
私は聞いた。
――「え? 奏君、そうなの?」
でも、
――「い、いや……そんなわけ、ないじゃん!」
一瞬でも期待してしまった夢はやはり幻想で……あれほど高鳴っていた胸の鼓動が嘘のように静まってゆく。
――「……そっか……そうだよね……ごめんね。変な事聞いて」
私は精一杯の笑顔を作った。辛い本音を必死に隠して。
本当なら、もっと冗談ぽく、フレンドリーに、もっともっと、砕けた感じに、美織ちゃんのような――まるで幼馴染同士が交わすかのような、気安い笑顔を作りたかったんだけど……。今の私にはどうしても無理だった。
[美織視点]
あたしの名前は矢田美織。高校二年の17歳。寝ても覚めても将棋の事ばかり考えてる生粋の将棋オタ……じゃなくて……いずれ女流棋士になって、その頂点――『清麗』のタイトルを取る金の卵だ!
そんなあたしが将棋に興味を持ったキッカケは将棋好きの父による影響だ。
物心ついた頃からお父さん子だったあたしは、毎週日曜日の朝になると、起きてすぐお父さんの布団に潜り込んではそのままお父さんの腕を枕にして一緒にNHK杯将棋トーナメントを見るのが恒例だった。
それが終われば将棋盤を引っ張り出して、先程のテレビの中の盤面をお父さんと研究する。
そんな幼少期を過ごしていたあたしの棋力は凄まじい勢いで上がっていった。
そして、最終的にはアマチュア五段の腕前を誇るお父さんを負かす程にまでなった。
だがしかし、私がここまで強くなったのは、何もお父さんとの日々の鍛錬によるものだけではなく、むしろそれよりももっともっと大きな要因があった。
それはまだ将棋を初めてばかりの小学一年の頃。住んでる同じ団地に、お父さんよりも将棋が遥かに強い人がいる――
吉本美香女流四段――奏のお母さんだ。
その事実を初めて知ったその日、あたしは奏のお母さんへ弟子入りを願い入れた。
『……弟子にして欲しい?……う〜ん。困ったわねぇ〜。私、そんな弟子を取れる程強くも偉くもないんだけどなぁ……まぁ、少し教えるくらいなら……』
『え!?本当ですか!?弟子にしてくれるんですか!?やったー!! これからよろしくお願いします!!師匠!!』
『――え?!ちょ、ちょっと!?』
一方的に話を進めるあたし。困惑する師匠。そんなやり取りを経てあたしは奏のお母さん――吉本女流四段の弟子になったのだ。
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