第二十話 幼馴染の〝美織ちゃん〟
[奏視点]
「……負けました」
結衣が頭を下げながら投了を口にした。それに合わせて僕も頭を下げる。
「ありがとうございました」
道場に来て既に5戦5勝。
予想通り。結衣は早指しが苦手なようで、指し筋から焦りや迷いが窺える、そんな対局だった。
加えて、僕の定跡外しの攻めに終始翻弄されているようだった。
〝定跡に囚われない将棋〟――それを身に付けるまでの道のりはまだまだ長いようだ。
「――次!もう一回!」
「え?まだやるの?」
「もちろん!」
昨晩の分も合わせると既に10局。なのに、結衣は疲れひとつ見せず快活な声で次の対局を示唆すると再び駒の位置を初期状態へと戻し始めた。しかし、そこでハッと我に返ったように顔を上げた結衣は気遣わしげに首をことりと傾けて「……疲れた?」と、聞いてきた。
うん。可愛い。でも、疲れた。
だが、相棒がやると言うのなら、とことん付き合うのがまた相棒の務めだろう。それに何より、結衣の将棋へ対する熱意には心を突き動かされるものがある。
「いや、大丈夫!やろう!」
気合いを入れ直し、僕も自陣の駒を並べ始める。そんな僕を結衣は心配そうに見つめて、
「じゃあ、次の一局で最後にしようか」
と、その折衷案に僕は「うん。そうだね」と頷いた。
「こんにちわー」
将棋道場独特の古風な雰囲気の中、突如として快活な声が響いた。
「おぉ、美織ちゃん。学校お疲れさん!」
同時に、他のお客さん(おじさん)達がその声に応じる。
チラッと目を向けると、そこには女子高生の姿が。
結衣と対局を重なる間、いつの間にか放課後の時間となっていたらしい。
それにしても――はて。
美織……どこかで聞き覚えのある名前だが……。
「あれ?」
僕の方へ視線を固定させた快活な声の主――制服姿の〝美織ちゃん〟が、こちらへ歩み寄りながら「君……もしかして吉本、奏……だよね?」と遠慮がちに聞いてきた。
「うん。そうだけど……」
セミロングの金髪をポニーテールにした、赤茶瞳のカーディガンを腰に巻いたゆるふわ可愛い系のギャル美少女だ。
さすがに結衣まではいかないにしてもその整った顔つきの中に、僕の知る面影があった。
「――もしかして……矢田、美織ちゃん?」
そう続けて問うと、彼女の表情が明らかな喜色に染まった。
「そう!良かったぁ! 忘れられてなくて!」
矢田美織――彼女は僕と同じく、あの例の巨大鉄塔下の市営団地の住人だった同い年だ。つまり幼馴染というやつだ。
ただ、幼馴染とは言っても、美織ちゃんとは僕達家族が団地を引っ越した時以来、実に8年ぶりの再会になる。それでも僕の中で美織ちゃんとの思い出はそれなり濃い。だから、
「忘れるわけないじゃん」
と、久しぶりの再会に僕も自然と口元が綻ぶ。
そんな僕の返答に美織ちゃんもまた嬉しそうな笑みを浮かべた。
「いや〜、本当久しぶりだねー。ていうか、将棋、また始めたんだ?」
「うん。まぁね」
簡潔にそう答えると美織ちゃんは僕の顔を見ながら「ふぅ〜ん」と然り気なく唸る。そして、ふと表情を悪戯的な笑みへと切り替えると、
「なんかちょっと……イケメンになってるし」
と、揶揄うように言ってきた。
「な、なんだよ!急に……」
唐突にそんな言葉を投げかけないでくれ。反応に困る。
言われ慣れない言葉を受けて狼狽える僕に美織ちゃんはさらに笑みを深めると、
「チョットだけ、ね?」
と、更に揶揄うように続けてから「あははは!相変わらず揶揄い甲斐あるなー、奏は」と、笑いながら僕の背中をバシバシ叩いてくる。痛い。
それをひとしきり終えた後、美織ちゃんはおもむろに視線を結衣の方へと向けると、
「――で、この人は?」
そう口にした直後、口元に手をやり、ハッとした表情から「もしかして――」と続け、再度ニヤリと笑みを刻むと冷やかすように「彼女?」と……何とも畏れ多い事を口にした。
「――ち、違うよッ!!」
間髪入れずに否定する。その勢いも余って思いのほか語気まで強くなってしまった。まぁ、強く否定する意味ではこのくらいがちょうどいいだろう。
僕の彼女が結衣だなんて――そんな事、天地がひっくり返ったってあり得ないからな。
そう思いつつ、チラッと結衣の方を見やる。
結衣は静かに俯いていた。
表情は見えない。おそらく、至近距離で顔を見られる事で〝佐々木結衣〟なのがバレれるのを警戒しての事だろう。
「その必死な否定……怪しいなー」
美織ちゃんは、面白そうにケラケラ笑いながら不躾にも俯く結衣の事をあらゆる角度から眺める。すると次は直接顔を見るべく自身の頭低くし、無遠慮に下から結衣の顔を覗き込んだ。
「――ゔぇッ!?」
驚愕と戦慄の感情が入り混じった何とも例え難い声と共に美織ちゃんの身体がピタリと固まった。
――バレたか!?
さすがに至近距離だと眼鏡のみの変装じゃ足りなかったか……。
「……か、可愛い……」
だが、美織ちゃんから零れ落ちたのはそんな呟き。
一瞬、この場が騒然となる覚悟をしたが、どうやら美織ちゃんは結衣の正体を見破ったわけではなくて結衣のあまりの可愛さに驚いただけらしい。
ただ、その衝撃はあまりにも大きかったらしく、美織ちゃんは覗き込む体勢のまま未だ固まったままだ。
人をここまで硬直させてしまう程の美少女っぷり……改めて〝日本一可愛い女の子〟……恐るべし。
――いや、でも美織ちゃんの美少女っぷりだって相当なものだ。一般的なクラスであれば間違いなく1、2を争えるくらいには可愛い。
でも所詮は素人。あくまで一般人を基準にしたその可愛さは、結衣の持つ常軌を逸した可愛さには遠く及ばない。
それなりに自信を持っていただろう自分のルックス。しかし、結衣の持つ圧倒的美貌を前にして女としてのプライドをへし折られた――そんな心情の全てが美織ちゃんの覗き込む形のまま固まった後ろ姿が物語っていた。
5秒程の硬直を経て、ようやく美織ちゃんは覗き込んだ姿勢から背筋を真っ直ぐに戻すと、気を取り直すように「こほん」と小さく咳払いしてから、まるで悟りでも開いたかのような静かな真顔で、
「……うん。なるほどね。 確かに、この人は奏の彼女じゃないね」
と、言った。
心底納得した顔で、悪気なく、むしろ確信を得た口調で。
「――やめて?!急に納得しないで!お願い!悲しくなるから!」
まぁ、分かるけどさ……。
「いや、だって、この子可愛い過ぎるもん。どうせアレでしょ?状況から察するに、この子との関係性は将棋を通じたもので……って――、はは〜ん。なるほどねぇ〜。そういう事かぁ〜。また奏が将棋を始めるようになったのって――」
と、美織ちゃんはさも意味ありげに目を細めてニヤニヤしながら僕を見る。
「……な、何だよ」
そんな分かったような目で見るなよ……。
「つまり、この子の事が好きなんでしょ?」
――ギクリ。
核心を突かれ、思わずそれが顔に出てしまったらしく、
「――あ。 もしかして、図星?」
美織ちゃんの冗談めいた笑顔が崩れ、替わりに一歩引いたような真顔で『これ相手に本気になる?正気の沙汰じゃないんだけど』と言わんばかりの静かな口調で言った。
「――え? 奏君、それ、本当?」
久しぶりに発せられた凛とした心地良い声音が鼓膜を震わせた。
その方を見ると結衣が顔を上げていた。
真剣な面持ちで、少しだけ潤んだ焦茶の瞳でこちらをじっと見つめていた。
その姿を見ながら再び固まる美織ちゃん。口をあんぐり開けて。
「い、いや……そんなわけ、ないじゃん!」
口では否定できても、その口調や態度にはどうしても本心が出てしまうもので。
バレたか?と、一瞬焦った。しかし、その心配は不要だったようで、
「……そっか……そうだよね……ごめんね。変な事聞いて」
と、真剣な表情から一転、結衣ははにかんでそう言った。
ただ、その笑顔は心なしか切ないものにも見えた。
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