第十六話 初デート? え?違う?
「ふん♪ ふふん♪ ふん♪ ふーん♪」
現在、結衣は鼻歌交じりの上機嫌でクローゼットにある服を厳選中である。
「どれを着て行こうかな〜♪ あ、コレかなぁ〜♪ どう?奏君」
そう言って手に取った服を身に当てて見せてくる。淡い黄色のワンピース。春の季節を思わせる爽やかで明るい印象だ。
「うん。可愛いと思う。ていうか、結衣が着れば何だって可愛いんじゃないかな?」
「もう! 奏君ったら〜」
そう言いながら結衣は体をクネらせ、何だか嬉しそうにしている。
これまで散々『可愛い』と言われてきただろうに、今更僕なんかにそう言われて何故そこまで嬉しそうなのかは謎だけど、でもその一つ一つのリアクションが女に疎い僕には新鮮で、こちらまで嬉しい気分にさせられる。
だがここでハッと我に帰る。
そうだった。結衣は元アイドルだった、と。
あまりに近い存在(?)になり過ぎていつの間にか頭の片隅に追いやられていたけれど、彼女は不特定多数――もとい、日本国民(特に男)を魅了してきた言わばプロフェッショナルだった。
故にその頃に身に付けたスキルが思わずとも発動してしまうのだ。そして、その〝スキル〟を別で言い換えるピッタリの言葉――〝神対応〟。
この洗練された〝神対応〟もまた、彼女をトップアイドルへと押し上げた一つの要因なのだろう。
恐るべし……。
「じゃあ私、着替えてくるから」
結衣はそう言うと隣りの部屋へ行った――と、見せかけ、再び扉が開くと顔だけ覗かせ、
「覗いちゃダメだよ?」
と、一言。
「覗かないよ!!」
「ベッドの下とか物色して、下着泥棒とかもダメだからね?」
「しないってば!!」
「よろしい」
そんなやり取りを最後に、ぱたん、と、扉は閉まり、今度こそ結衣は着替えに行った。
――さて。
結衣が居なくなり、一人。
ふと、壁際のベッドの下の収納カラーボックスに視線が行く。
いや、決して、結衣の下着を物色しようとか、そんな事を思ったんじゃないよ?
でもほら。ダメと言われると逆に気になってしまうというか……。
だって、明らかにあそこに入ってるでしょ?結衣の下着が。
じー、と。
悶々としながら例の収納カラーボックスを凝視していると、
「お待たせ!」
「――ぬぉあッ?!」
着替えを終えた結衣が戻ってきた。
下着入り(仮)カラーボックスに集中して視野狭窄に陥っていた僕は思わず奇声を上げてしまった。
恐る恐る顔を上げると、そこには着替えを済ませた結衣の姿が。
髪型は簡素なポニーテールから手の込んだハーフアップに変わっている。でも、眼鏡はそのまま。なるほど。出掛けるにあたり、アイドル佐々木結衣の印象から遠ざけているのだろう。
――私服、ハーフアップ、眼鏡。
この姿もまた、僕が知り得る結衣の印象とは一風違った雰囲気である。
「このワンピース、この間買ったばかりなんだー!今日初めて着るの。どうかな?」
結衣が居ない間、下着入り(仮)カラーボックスを凝視していた事がバレたかと一瞬焦ったが、その様子は無く、くるりと一周回りながら例のワンピースの感想を求めてきた。
とりあえず、ほっと胸を撫で下ろす。
「……う、うん。す、凄く、似合ってる」
「あれ?どうかした?なんか口調が辿々しいね?」
「…………(ギクリ)」
ほっとしたのも束の間、僕の動揺は口ぶりに反映されていたらしく、それを不審に思った結衣が、ジト目で僕を見つめる。
すると、その視線はスッとベッド下へと逸れ、
「もしかして……見た?――もしくは、取った?」
僕は即座にブルンブルンと首を振り、
「み、見てない!!取ってもいない!!」
と、必死に身の潔白を主張した。すると結衣は、
「…………ッチ。(取れよ、意気地無し)」
何故か悔しそうに舌打ちをした。
あと聞き取れなかったが何か小言も吐き捨てたような気がしたけど……。気のせいか。
とりあえず、僕はそんな彼女へ一つ問いたい。
――君は一体、僕に何を望んでいるのですか?と。
まさか、美人局ッ!?とも思ったが、もしそうなら、僕みたいな高校生をターゲットにはしないだろう。
だが、改めて思い返してみると、やはりここまでの一連の流れはあまりに現実味が無く、不可解で、『ペア将棋』の口実だけではそれらの疑問を消化しきれていない。
故に何かペア将棋以外に、良からぬ裏があるのでは?と、勘繰ってしまいそうになる。
――いや。この際勘繰った方がいいかもしれない。
こんな、何者にも満たない僕に対してハニートラップとも考えづらいけれども、警戒心だけは持っておこうと思う。
◇◆◇
「よし、と。準備完了!」
女子は外出する際は何かと時間が掛かるもの、というイメージだったが、結衣の支度は想像よりだいぶ早かった。
「さぁ、行こう!早く行こう!!時間は有限だよ!楽しい時間なんて特に短いんだから!」
さぁさぁ、早く早く、と急かされながらアパートを出て、路側帯を男女肩を並べてを歩きだす。
先日一緒に登校した時もそうだったが、その時とは状況が違う。今日はお互い私服で、昼前の時間帯だ。
まさにデートのようなシュチュエーションに僕の心中は穏やかではない。
そんな時、
――確かこういう時って、男が車道側を歩くんだっけ?
と、ふと気が付いた。
現在車道側を歩いているのは結衣の方だ。
前方、突き当たりを左に曲がる際、そこで入れ替わろうと算段を積もる。
とにかく自然な流れで、さり気なく――、そのつもりで左折に差し掛かる。
いざ、方向転換のタイミング。
サッと、素早い動きで車道側を確保!
だが、思いの外素早い動きになってしまって、まるで僕の打算の全てが赤裸々に物語ったかのような、そんな動きになってしまった。
わざとらしくなってしまった……。
と、内心恥ずかしく思っていると、結衣がクスリと小さく笑った。
「ありがと」
そう言って穏やかな微笑みでこちらを見る結衣の顔を見た時、そのまま直視できずに視線をあちこちに散らして「あ、いや……うん……」と、言葉にならない何とも情け無い反応になってしまった。
本当に、ほんの些細な事をしただけ。
でもそこには僕なりの努力があって、それを褒めて貰えた事がもの凄く嬉しくて、でも恥ずかしくて。
何だかムズ痒いような、とにかく複雑で居た堪れない気分になった。
たった一言の『ありがとう』。それだけで僕は瀕死を負ったのだ。
しかし、そこは元トップアイドル。
「……奏君のそういう所、すごく良いと思う」
と、今度は思わせぶり系の〝神対応〟に僕は悶絶したのだった。
「で。今から何処に連れて行ってくれるのかな?」
言ったのは結衣だ。
いやいや。
元はと言えば付き合って欲しいと言い出したのは結衣の方だ。故に、当然行き先は結衣に付いて行くつもりでいた僕は、まさに鳩が豆鉄砲を食ったような気分で結衣を見た。
「え?……行きたい所があるんじゃなかったの?」
「ううん。特に無いよ?私は折角天気が良いんだから何処か行こう、って言ったんだよ?」
という事は、やはりこれは……〝デート〟というやつではないのだろうか?
いや、しかし、デートの定義がはっきりしない以上はその判断は早計だと、さっきも思ったばかりだ。
改めて、僕――しっかりしろ!と、己を叱咤する。
「……そう、なんだ……(という事は僕が行き先を決めなきゃな……)」
少し思案する。
そもそもこの外出が何に当たるのかによって行き先の候補は変わってくる。
もし、仮にデートという事ならば、水族館とか、遊園地とかが候補に上がってくるのだろうが、
しかし、結衣がこのお出掛けに対してどういったベクトルでいるのかが不明な以上、前述した候補はおのずと外れてくる。
う〜む。と悩む僕に結衣が声を掛けてくる。
「私は何処でもいいよ?奏君と一緒なら何処でも……」
「…………」
目を瞑り、考えるフリをしながら『落ち着け、僕』と、飛び跳ねる鼓動を鎮めに掛かる。
――何?それってどういう意味?!
答えは当然の如く分かっているつもりだ。
そう。単なる思わせぶりだ。
思わずとも無意識の内に、アイドル時代に培った〝神対応〟が零れ落ちてしまうのだ。
そして僕はまんまと鼓動を高鳴らせ、幸福感に包み込まれる。
例えそれが幻想だと分かっていながらも、
――この子、もしかして僕の事好きなんじゃないか?
と、馬鹿げた事を思わせるこれは……なるほど。確かにクセになりそうだ。
世の熱狂するアイドルオタク達の気持ちが分かった気がする。痛い程に。
と、浮かれている場合ではない。考えるフリして今の僕の頭の中はお花畑だった。
再び意識を目的地決めに戻す。
――優柔不断と思われたくない。
こんな時、陽キャ男子であれば、サクっと行き先を決めてしまうのだろうが、生憎僕にはその思い切りは無い。
センスの無い行き先を提示して幻滅されるのが恐い。だから、慎重になる。
刻々と時間が過ぎていく中――
いよいよ重苦しい空気が流れ始めた頃、ようやく閃いた。
「……じゃあ……将棋道場とか、どうかな?」
〝将棋〟は今の僕らを結び付ける一番のトピックだ。
とはいえ、昨夜から既に将棋漬けだ。いくら将棋好きの結衣と言えど、そろそろ嫌気が差す頃合いかもしれない。
――もしかしたら選択を誤ったかもしれない。言った直後に後悔しつつも、結衣の反応を窺い知る為、恐る恐る結衣の方を振り向く。すると、
「お!いいね、それ!ナイス発想!」
結衣はパンっ!と手を叩き、目を輝かせていた。
(……良かった)
と、ほっと胸を撫で下ろしている僕へ、結衣が続けて口を開いた。
「――で、今から連れて行ってくれるのは奏君の行きつけかな?」
「うん。そうだね。昔僕がよく通っていた将棋道場、そこに行こうかな?」
「やった!奏君の行きつけ!楽しみ〜」
というわけで、僕達は将棋道場を目指す。
続きが気になる。面白いと思われましたらブックマークと⭐︎評価の方をしてもらえると幸いです。




