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アガサのファイアーウォールを検証したところ、T社を完全に上まわっていた。いや別次元と言ってもよいくらいだった。そこで、山口エンタープライズ社はT社との契約を解除し、全てをアガサ・システムに切り替えた。と、言っても既に3年間、アガサのシステムはこの会社を守り続けていた。
社長の山口の悩みは一つ、アガサの年齢だった。彼女は既に60歳に近づいていた。専用のスタッフを集めたとしてもアガサの頭脳を引き継ぐことは難しかった。この世界は日進月歩で進化を続けている。常に最新版にアップデートしなければ、いつか突き破られてしまう。
その為に、アガサ自身にはある企み(たくらみ)があった。このファイアーウォールの世界に、リュージ・プログラムというAIソフトを組み込んで、自動でのメンテナンスとアップデートを行わせるという企みだった。現在のシステムにも、自動のアップデート機能は搭載されていた。しかし、まだ完全なものではなく、石黒真由美の助けが必要だった。
「なぜ、わざわざリュージ・プログラムというAIシステムを組み込む必要があるの?」
中村の質問に、アガサは夢見る様な瞳で答えた。
「このメタルフレーム空間に人口3万人程度のドーム都市を創造するのです。そこに住む人々は実際の人間と同様に、生まれ、成長し、老い、死に、そして生まれ変わっていきます。人口無知のプログラムではなく、それぞれがAIによって個性を持ち、善行や悪行に依って将来の運命が変更されて行くのです」
「しかし・・」
山口が理解できずに口を挿もうとしたが、アガサは続ける。
「その都市に住む人たちは、それぞれ生きる目的を持っています。竜司の役割は、その都市を外敵から守り存在させ続けることです。そして、現実の人間の社会においては、その会社のシステムを守り続けることなのです」
「つまり、竜司君に、存在する意義を持たせたいんですね」
中村の言葉に、アガサはにっこりと微笑んだ。
「ただ私のパソコンの中に存在するだけなら、リュージが存在する(存在し続ける)意味はありませんから・・・」
「となると、竜司君だけは、特別な存在なんですか?」
中村の質問に、アガサは少し困ったような顔をした。
「自動のメンテナンスとアップデートを担っている以上、頑強に守られなくてはなりません。でも、超人だったり、永遠に年を取らない存在であれば、この都市で生きている事にはなりません。仲間たちと冒険したり、恋をしたりもして欲しいのです」
中村は、直感的に、彼女はまだ悩んでいるのだろうと感じた。
「ゲームみたいにグラフィック化されるんですか?」
さらに中村の質問が続く。息子たちがやっているゲームの画面を想像した。
「拓馬の残した未公開ゲームにちょうど良い都市があるんです。核戦争後の近未来都市。ドームに囲まれていて、既に人々は平穏に暮らしています。キャラクターも決まっているので、いちいち創造する必要もありません。ただ、ゲームだけに厄介なキャラも存在しているんですけどね・・・」
つまりアガサは、たった10歳でこの世を去った竜司君を、仮想空間に創造された都市の中で再誕させ、普通の人間と同じ様な人生を送らせようとしていたのである。その為には、そこに暮らす人々が、人間と同じように考え、反応し、変化しなければならない。
この都市で生きる竜司と、アガサはどんな風に触れ合うつもりなのだろう?
アガサ自身も、AIとしてこの都市に創造されるのだろうか?
中村の中に幾つかの疑問が浮かんだ。しかし、それがとても無粋な質問に思えて、中村は何も聞かなかった。
アガサ・ファイアーウォール・システムの最初のユーザーは、中堅の保険会社だった。
山口自身は、自分の会社のファイアーウォールシステムの中にその都市を創造してはどうかと提案したのだが、システムの規模が小さすぎると、あっさりと却下された。
この保険会社は、山口エンタープライズの経理システムのユーザーでもあり、担当の総務部長とは長年の付き合いだった。全国に支店があり、アガサが希望する規模も満たしていた。
この会社もT社のファイアーウォール・システムを導入していたが、ハーダ(攻撃者)からのDDos攻撃に悩まされていた。大量のメールが送りつけられ、システムがたびたびダウンさせられても、T社の担当者には手の打ちようがなかったのです。
そのT社の担当者が、ふと山口エンタープライズのファイアーウォールの事を漏らした・・・。
その総務部長は、直ぐに山口に相談した。山口は、全てをオープンにはしなかったが、幾つかの問題については正直に話した。結果、T社のシステムはそのままにして、評価を兼ねてアガサのシステムを導入することになった。すると、導入後にDDos攻撃はピタリと止んだ。
この保険会社の仕事をした事で、アガサはさらに多くの事を学んだ。山口エンタープライズに比べると、圧倒的にユーザーが多かったからだ。いくら注意をしても、ウッカリ者のユーザーは絶対に現れる。ただ守るだけでは、どこからか破られてしまう。
根元から根絶させる為には、攻撃してくる相手の居場所を特定しなければならない。そして、逆に相手にマルウエアを埋め込んで、彼らの情報を入手すること。必要であれば、ウイルスに感染させて再起不能にすること。
アガサは、その為に多くの時間を使った。
それらの対応システムが完成し、いよいよシステムの中に電脳都市を組み入れようとした正にその時、防衛省の話が舞い込んで来た・・・。
拓馬と竜司が生まれた国を守る。
竜司が存在する意義として、これ以上のものはない。
アガサは、残りの人生をこの仕事に掛けると、二人の遺影に誓った。