プロローグ
暗闇の中で降りしきる雨。
乱暴な作りの第3ドームの隙間から入り込んでくる放射能を洗い流すため、毎晩繰り返される儀式。特に南部地区中小工業団地周辺の洗浄量は多い。ここに住む連中はそれを「浮浪者殺しの雨」とか「コックローチ・シャワー」とか呼んでいる。おかげでこの辺りにゴキブリはいない。
第1ドームの官庁地区、第2ドームの商業及び住宅地区、そして第3ドームの山岳地帯と農業地区では1年は4つに区切られ、春・夏・秋・冬と3ヶ月ごとに室温が変化していく。しかし、ここではそんな贅沢は与えられず、1年を通してほとんどが真冬の環境である。従って、その雨は残酷なほど冷たい。
原子力エネルギー省の幹部に言わせれば、「ただで換気を行っている上に、放射能の洗浄までしてやってあげているのだから、感謝されることはあっても苦情なんて受ける筋合いは無い。それがイヤなら、しっかり稼いで第2ドームに家を買えばいいじゃないですか」と言う事になる。
整然と立ち並ぶ工場群の影から、一台の迷彩飾の武装ジープが現れた。
雨でぬかるんだ土の道路に新たな轍を刻むように、その車はゆっくりと進んでゆく。
ヘッドライトの先にULTIMATE HEATER COMPANY LIMITED (最高級ヒーター株式会社) と書かれた工場の看板が見えた。既に閉鎖されてから何年も経っているのだろう。壁の石膏パネルのあちらこちらに穴が開き、それらを止めているネジの錆がいつしか円形の黒いシミとなってこびり付いている。
さらに毎日の雨と日光にさらされて、その錆が労働者たちの流した血の涙の様に、無数の線となって壁全体にドス黒くシミ込んでいた。工場の敷地には、かつてヒーターに加工されていただろうニクロム線のための巨大な木製の糸巻きが、そこかしこに放置されている。その労働者たちの子供たちが描いたのであろう他愛の無い落書きが、よりいっそうの悲哀を際立たせていた。
ヘッドライトの先に黒い髪の少女が映し出された。彼女は工場の壁に背中を付けて首をうなだれている。
長い髪の所為で顔は見えない。ここいらの不良どもにジャンパーを剥ぎ取られてしまったのか、身体にピッタリとした黒のタンクトップと黒の長ズボンだけを身に付けていた。足が細く異常に長い。もうとっくに息絶えてしまっているのだろうか、凍えるような雨に打たれているにもかかわらずじっと動かずにいる。
「居たぞ」
車のなかには、黒い防御スーツ姿の男たちが4人。その中の一人が叫んだ。車が止まると、4人は雨の中に出た。
「冷えるな」
エアコンの効いた快適な車内と比べ、その温度差は20度以上あった。4人は手の感覚を保つ為に、薄手のグローブの中の指をゆっくりと動かした。あんな小娘一人にこんな大勢で押し掛ける事など、とんだお笑い種だと全員が心の中で思っていた。それでなくても今日は月に一度の給料日だ。本来なら仕事帰りにみんなで一杯引っ掛けて帰るつもりだったのだ。
「さっさとケリを付けて、酒でも飲んで暖まろうぜ」
隊長の言葉に全員がニヤリと笑った。4人は彼女を取り巻くように近づいていく。いつの間にか、全員が電子銃を手にしていた。
ウウウウーーーー。
突然、犬の唸り声が聞こえた。隊員の一人が目を凝らすと、20メートル程先の軒下に野良犬を発見した。子犬が産まれたばかりなのだろう、母犬らしい一匹が子犬を守ろうと警告の声を発したのだ。
「うるせー犬だ」
その隊員はいきなり電子銃を犬に向けて発射した。
キャイン、キャイン・・・・。
電子ビームが、母犬の左後ろ足を吹き飛ばした。可愛そうに、母犬はビッコを引きながらその場から逃げ出した。3匹の子犬たちがその後を追いかける。しかし、その子犬たちを他の隊員たちの電子ビームが襲った。
キャイーーーン。
子犬たちは胴体を引き千切られて即死した。飛び散った血が、そこいらじゅうを赤く染めていく。
クイイーーン・・・。
引き返してきた母犬は、その子犬たちを起こそうと舌で舐め続けた。しかし、それは全く無駄な作業だった。
「ふん」
その母犬のことをあざ笑うかの様に、隊長が鼻を鳴らした。そして、その母犬の首に狙いを定める。
ビビビビーーー。
電子銃から放たれた赤い光線が母犬の首をぬるりと撫でた。母犬は一瞬だけ目を見開いた。何が起こったのか分からない表情のまま、彼女の頭が胴体から切り離されドサリと水溜りに落ちた。そして、その後からゆっくりと胴体が崩れて行った。その残忍な行為に、少女の身体がピクリと動いた。
「おっと、あいつまだ生きているみたいだぜ」
隊長はそう呟くと、左手を上げた。
ビビビビーーー。
隊員たち全員の電子銃の光線が少女目掛けて集中する。
グオオオオーーーン。
彼女の後ろの壁に大きな穴が開いた。長年の間に積もり積もった壁の内部の誇りが舞い上がったのだろう、一瞬辺りは煙に包まれた。4人の男たちの手には確かな手応えがあった。
「一丁上がり」
隊員の言葉に、全員が声を出して笑った。
「こんなに簡単なら、せめてオネーちゃんの顔ぐらい見とくんだったな」
一番若い隊員が、そう言って煙の中を覗き込んだ。他の連中は既に車の方に向かって歩き出していた。
「なっ、なんだ」
その隊員の声に、他の連中が振り返った。埃が治まりかけた同じ場所で、彼女はまるでホノグラムの映像のように、そのままの姿で漂っていたのである。
「しまった、罠だ」
再び全員が電子銃を発射した。しかし、今回は明らかに光線が彼女の身体をすり抜けて行くのが見えた。少女の向こう側の壁が柱から破壊され、ガラガラと崩れ落ちていく。
「一体、どうなってるんだ」
若い隊員が叫んだ。すると、その声が聞こえたかの様に少女が顔を上げ、すっくと立ち上がった。その顔を見た途端、隊長の顔が恐怖に引きつった。
「アガサ・・・」
その声に少女はニヤリと唇だけで笑った。そして、次の瞬間、忽然と姿を消した。
「ど、どうなってるんだ?」
男たちが振り返って周囲を見渡す。雨音と闇だけが辺りを包んでいた。男たちの表情から先程の余裕が消えていた。それどころか額と首筋には恐怖の汗が染み出している。
「隊長、アガサって・・・。まさか、この都市の創造主のことですか」
隊員の言葉に、隊長はコクリと頷いた。
「2年前に亡くなられるまで、所長室の壁に肖像画が飾られていた。年齢こそ若いが、あの方に間違いない」
隊長の顔が真っ青になっていた。彼は知っていたのだ。創造主がこの世を去った1年後に発生したあの反乱の事を。勿論、彼はその当事者ではない。しかし、その当事者達の命令の下にその反乱に加担していた。
「もし、創造主が戻られたとすれば、我々にはどの様な罰が下されるのだろう・・・」
2人の仲間が無残な姿で発見されたのは、昨夜のことだった。警備隊の中でも取り分け屈強な男たちだった。それが、ほとんど無抵抗のまま死に絶えていた。
「まさか、あの方が復活された・・・」
隊長がそう呟いた時、ぼーーっという感じで、車の陰からその少女が再び姿を現した。当にあの肖像画通りの美しい顔だった。隊員の一人が弾かれた様に電子銃を撃った。またもや光線は、彼女をとおり抜けて行く。
「くそっ」
工場の屋根に一人。そして、別の方向にもう一人の少女が現れた。男たちはパニックに陥った様に電子銃を撃ちまくった。しかし、全てが同じであった。
「どうなってるんだ」
叫んだ若い隊員の足元の地面から美しい手が浮かび上がってくる。その手には刃渡り20センチくらいの美しい形のナイフが握られていた。
「後ろだ」
少女の姿が完全に現れた時、別の男が叫んで電子銃を撃った。
「ギャーーーー」
光線はまたもや少女の身体を通り抜け、その先にいた隊員の腹に穴を開けた。そして、もう一人の隊員の顔が吹き飛ばされた。
「撃つな!」
隊長が、生き残っているもう一人に叫んだ。男が引きつった顔で頷く。彼らの傍らにはそれぞれ一人ずつ、ナイフを持った少女のホノグラムが揺れながら漂っている。
「この野郎。騙されてたまるか」
隊長が銃でホノグラムを叩く。しかし、手は何の感触も残さずに素通りしていく。別の隊員も手で確かめようとした。しかし、素通りする事を予想していた男の手を、少女の冷たい手が掴んだ。
「うそだろ?」
男は恐怖に駆られて電子銃を向ける。そのとき、美しいナイフが手首を撫でた。
「うわああーーー!」
男の手首から先がスパッと切れて落ちた。隊長が慌てて電子銃を彼女に向けて撃つ。
「ギャーーーー」
しかし、ビームは彼女をすり抜けて男に命中した。防護スーツの胸の辺りにぽっかりと穴が開き、男はその場にもんどりうって倒れこんだ。
「何でだ?」
今度は隊長の後ろにいた少女のナイフが、電子銃を切り裂いた。金属製の銃身が何の抵抗もなくスパリと切り離された。そのステンレス製の硬い銃先は、ゆっくりと空中を彷徨い、ドサリという鈍い音と共に地面に溜まっていた水をそこらじゅうに跳ね飛ばした。
次の瞬間、男の目の前にナイフの先が突き出された。
「一緒に来なさい」
少女の命令に隊長はコクリと頷いた。