#002-2 少女は、招いた。
「それじゃあタオル持ってくるから、ここでちょっと待っててください!」
山奥に建てられた立派な平屋。その縁側へとエルフらしき女性ヴェールを座らせた夏海は、てとてと足音を立てて廊下の先へと消えていった。その様子を微笑ましそうに見送った彼女は辺りを観察して溜め息を吐く。
「私も長いこと生きてきたけどこんな場所は見たことないわね。似たような山は見たことあるけれど、どれも似通っているから判断材料にはならなさそうだし。それに空気の質も、そこに含まれてる魔力の質も全然違っていて……全く違う世界に来たと言った方がしっくりきそうね」
優秀なエルフであった彼女はその頭脳をフル回転させて自分の身に起きていることの確認を行う。道中は寝起きだったためそこまで考えが回らなかったが、歩みを進めるにつれて現状の歪さが気になって仕方なかった。
自然に満ちているように見えてどこか汚れた空気、そしてその中に魔力が含まれているというのに一切使っている様子のない少女、それなのに彼女の家の表札には普段から読んでいる文字が書かれていた。元の世界とは絶対に違うのに、まるで元からここに居たかのような感覚。おかしい、夢を見ていると言われた方が納得できてしまう。
「夢を夢だと言うのは簡単だけれど、これは夢じゃないと証明するのは難しいわね……」
「お待たせしました! ちらっと聞こえちゃったんですけど、夢かどうかは頬をつねったら分かるらしいですよっ」
「へぇ、ここにはそういう言い伝えがあるのね。それじゃあ1つ……あら柔らかい」
「わ、わりゃしのじゃ、ないでふよー!?」
くすくすと笑ったヴェールに、優しく頬をつねられた夏海はむがーと怒ってタオルを押し付ける。しかしその勢いは決して強いものではなく、揶揄われたというのに自然な流れでヴェールの濡れた髪を優しく拭き始めていく。そんな少女の優しさが懐かしくて彼女は少しくすぐったそうにした。
「ありがとう。夢かどうかは置いておいて、今はここがどこなのかを知るべきね」
「えっと、エルフさんが知ってるか分かりませんがわたしが住んでるのは兵庫県にある阿衿村というとこです。あ、国は日本ですっ」
「ヴェールでいいわよ。だけど兵庫、阿衿、日本ねぇ……どれも聞いたことないわ」
顎に手を当てて数秒考えるも彼女の知識に引っ掛かるものはなかった。ぽんぽんとタオルで髪を叩いていた夏海はヴェールの反応に口を大きく開く。
「えぇっ!? ヴェールさんはこんなに日本語が上手なのに、聞いたことないなんておかしいですよー」
「日本語? 私が使ってるのは俗に言うエルフ語よ、夏海だって上手に使っているじゃない」
「違いますよー、これは日本語です。あっ、もしかしてまた揶揄ってるんですか? 全くもー、翻訳ほんにゃく食べたんじゃないんですから」
「ほんにゃく……? まぁいいわ、それじゃあ何か日本語が沢山書かれたものとかないかしら。エルフ語と違うものなのか確認したいの」
勘違いから頬を膨らませていた夏海だったが、聞き分けの良い性格なのかすぐに表情を戻して頷いた。タオルをヴェールへと手渡してまた廊下を小走りで去って行く。そして直ぐさま戻ってきた彼女の胸元には、今日の分の新聞紙が抱えられていた。
「新聞ならいっぱい載ってますよ! スマートフォンでもいいんですけど回線が弱いのでこっちがオススメです」
「すま? よく分からないけれどありがとう」
時折夏海の言葉に出てくる単語は、ヴェールにとって聞き馴染みのないものだった。しかし今はそれよりも現状を把握することが大事だと思い、手渡された新聞を開き小さな文字へと顔を近付けて読み込んでいく。
「うん、やっぱりどれも読めるわね。どうやら加賀野ちゃんの使っている日本語と私の使っているエルフ語は全くの同一言語みたい」
「えー? お婆ちゃんの方言ですら分からない時あるのにそんなことあり得るんですか?……はっ! もしかしてヴェールさんって、ただのコスプレだったり?」
「コスプレ? 何か分からないけれど幻術みたいなものかしら、私の存在を疑ってるのなら耳でも触ってみる?」
これまで美しさに騙されていたが、1つ疑念が生まれると途端に夏海は怪しさを感じ始めた。そういえば都会では美人局とかいう詐欺もあると聞くぞと警戒する彼女だったが、ヴェールの言葉を聞いてそんな気持ちは一気に霧散した。
ぴくりと器用に動くエルフの耳。それを見て、夏海の目はキラキラと輝きだす。詰まるところ出会ってからずっと気になっていたのだ、この長い耳が本物なのかを。
「い、いいんですか?」
「別に問題ないわよ。若い子には触られることが苦手な人もいるけれど、別にただの耳だしね」
「それじゃあ、遠慮なく……ごくり」
目が見えるようになってきた赤子が様々な物へと興味を示すように、未知のワクワクで胸がいっぱいになった夏海はゆっくりと手を伸ばす。恐る恐る、しかし大胆に指先を触れさせて。
「……意外と普通の耳かも」
「どんな想像をしてたの? 確かに獣の血を持つ種族なら耳の触り心地もいいとは思うけれど、私たちエルフはあんまり人間と変わらないんだから」
以前夏海が見たアニメではエルフが耳を触られると、思わず見ている側が顔を真っ赤にしてしまうくらい可愛く……ちょっとエッチな反応をしていた。そういう知識があったからこそ何となく拍子抜けで、不完全燃焼な気持ちのまま指を離す。
夏海の好奇心はさほど満たされなかったものの、断りを入れて少々引っ張るなどの実験を行った結果、それは間違いなく本物の耳であった。そうするとガッカリしていた夏海の心はまたくるりと変わって、今後は本物のエルフと話しているという興奮がやってくる。
「ふふ、夏海ちゃんは見ていて飽きないわね。これで少しは信用してもらえたかしら」
「疑っちゃってごめんなさい! でもすごい、本物のエルフさんだっ。すごい、ごじゃヤバい!」
縁側をぴょんぴょこと飛び跳ねるだけでは飽き足らず、障子を開けて畳の上で謎の踊りをする夏海。喜び大爆発で方言らしき言葉も出てしまっている少女の姿に流石のヴェールも苦笑いを浮かべるが、ふと部屋の内装が目に入って今度はこっちの好奇心が疼き出していた。
「ねぇ夏海ちゃん、あの黒いやつは何かしら?」
「おお、漫画とかによくある流れだ! これはお父ちゃんが衝動買いして、お母ちゃんにすっごく怒られた薄型テレビだよ。このリモコンを押すとー」
ピカッとテレビの画面が付いて、そこにワイドショーが流れ始めた。人の気配すらしなかったその薄い箱の中で流れる映像に、ヴェールは目を丸く……させてはおらず。
「ああ、魔法画ね。私の世界にも似たようなものがあったわ」
「うぅ、思ってた反応と違うよー……」
意外と文明的だった異世界に肩を落とす夏海。しかしヴェールが濡れたままだったことを思い出し、慌ててその場で足踏みをした。
「ヴェールさんこのままじゃ風邪引いちゃう! 今すぐ着替えを……ああ、でもお母ちゃんもお婆ちゃんも小柄だから、着られるものがないかも。ちょっと麓に住んでるお姉ちゃんの所から借りて——」
「——夏海ちゃん、少し止まってくれるかしら」
必死に考えながら喋っていた夏海は、出会ってから一度も聞いたことのない真剣な声に口を閉ざす。焦って暴走しちゃったと悪戯をした子犬のような表情を浮かべてヴェールを見ると、彼女はいつの間にか居間へと上がってテレビの前に立っていた。
まだ服が乾いていなかったようで床が濡れてしまっている。タオルで拭こうとしたその時、テレビで流れていたミカネ屋という番組から臨時ニュースが聞こえてきた。
『えー、ただいま入った情報によると。東京新宿で、謎の武装集団が現れたとのことです。ただテロではなくどれもコスプレのような格好をしており、まるで映画のような光景が広がっていると……現場から中継です』
ヴェールと夏海が視線を向けた先。テレビの中には人でごった返す新宿駅と、そこで辺りを見回す妙な集まりがいた。
それぞれ5人ほどずつ、どこかで見たことのあるようなアニメライクなアイドルたち、頭にバイザーのような物を付けて浮く人型をした何か、銀色の鎧を身に纏い物々しく旗を掲げた軍、深くフードを被った漆黒の人々、そして背中には純白の羽を頭には輝く輪を掲げた天使。
そしてその集団の中に。
「……アルニア、貴女もここに」
ヴェールによく似た顔付きをした耳の長い人がぽつんと1人、存在していた。