魔法瓶
とある雪の降る、冬の寒い夜の事だった。アパートの居間のこたつで、俺は雑誌を見ながらくつろいでいた。ふと、喉が渇く。
俺は紅茶を飲もうとして、魔法瓶の中身をカップに注いだ。中は砂糖たっぷりの甘いホットレモンティーだ。しかし、カップがひんやりしていることに気づく。おかしい。お湯は冷めている。一時間前に、やかんで沸かしたばかりだというのに。
この魔法瓶は壊れているのだろうか。今日、街のバザーで安く手に入れたものなのだが。外見は新品同然の、ごく普通の魔法瓶。
俺は毒づくと、魔法瓶の紅茶をやかんに移し替えて沸かし直そうとした。その時だ。カップからつんと鼻を突く芳香がした。アルコール、甘いスピリッツの匂い。
何故だ? 驚いて一口含む。美味い。間違いなく酒、上物のウォッカレモンティーリキュールの味だ。ごくり、と音を立てて呑んだ。思わずひたすらすすり、たちまちカップを空にする。
しかし俺はふと気づいて、愕然とする。ひょっとしたら、メタノールかもしれない。だったら毒じゃないか……あわててパソコン検索する。メタノールは10mlで失明する『目散る』アルコール、致死量はたったの40ml……それならもうとっくに死んでいるな。この芳醇な味と香りは、飲める酒だ。
魔法瓶を開けてみる。やはり、匂いがする。誰かが魔法瓶の中に悪戯をしたのだろうか。一人暮らしの俺に、ありえないが。
理由はわからなかった。しかし、大酒呑みの俺は誘惑に耐え切れなかった。もうどうせ呑んでしまったのだから、と飲み始める。美味い酒だ。ちびちびやっていくうちに、俺はすっかりいい気分になっていた。
この寒い夜、俺は熱い紅茶割りが飲みたかったので、やかんにお湯を沸かした。魔法瓶の酒は、適当な空き壜に移し替えた。お湯が沸くと、ティーバックと砂糖、レモンを加え魔法瓶に入れ直す。
俺は一人酒盛りを始めた。
一時間もたったころだろうか。妙な事に気づく。魔法瓶のお湯が冷めてきている。それに、お湯割にしているのに味が強い。開けて調べてみると、それは酒になっていた。
移し替え、再び紅茶を魔法瓶に入れてみる……一時間後、やはりそれは酒になっていたのだ。
俺は魔法の魔法瓶を手に入れた! これさえあれば、いくらでも酒が飲み放題だ。元手只だから、商売にもなりそうだな。
俺は有頂天になり、愉快な気分で酒を飲み続けた。いつの間にか、酔い潰れて眠った……。
……
……
それから一カ月。俺は渇いていた。水が欲しい。酒なんて、一滴も欲しくない。水だけでなく、食料の配給も滞り始めた。
魔法瓶の事件があったのは、俺だけではなかった。あの日以来、全世界で一斉にそうなっていたのだ。なにも魔法瓶に限らず。
非常事態宣言が出ていた。テレビは連日、そのニュースを報道している。
自然発生したものだろうか。それとも、どこかの軍隊の作った生物兵器。もしくはマッドサイエンティストの悪意の無い発明品なのか。
水と糖分と熱さえあれば、なんでも短時間でアルコールにしてしまうという酵母菌。どんなソフトドリンクであれ、残らずアルコールに変えてしまうというシロモノだったのだ。
各国の研究所では、この酵母を死滅させる対抗菌の開発に必死になっているが、間に合うものだろうか。全生命が中毒死する前に。もし温かい春を迎えたら……




