その業の名は『親殺し』
「ただいま」
放課後になり、聖を家まで送り届けて、帰宅した。
「お帰り、アクト。ちょっと、こっちまで来てくれる?」
母が玄関で出迎えた。今まで余りなかった事なので、少し驚いた。
「なんだよ?」
「いいから」
「……まぁ、いいか」
母に催され、ダイニングテーブルに向かい合って座った。
「それじゃあ、まずこれ」
そう言うと、母は二枚の封筒を手渡してきた。
それぞれ、『1』と『2』の番号が振られていた。
「なんだよ、これ?」
「一枚目の封筒はこの後、あなたに行って欲しい場所への行き方よ」
「二枚目は?」
「……。ねぇ、アクト、何故この世からヒーローが消えたのかについて話した事覚えてる?」
「覚えてるもの何も、ずっと聞かされてきて忘れる訳ないだろ?『悪』が減った事で『善』の力が世界に還元された。親父達の持論だろ?」
「持論……確かにそうね。発表したところで、世界に受け入れられる内容ではないもの」
母はかつて、悪に堕ちたとされるダークヒロイン、今は亡き父は悪の科学者でとある組織の幹部でもあった。要するに、この身は『悪』のサラブレッドという訳だ。
「世界には『善』と『悪』の力がある。それは生物がそこに在るだけで生み出される概念の力それが、世界の許容量を守る為に、人にその力を与えたものがヒーロー達と悪の者達、たしかにこの時点で持論と言われればそれまでだけど、実際に純粋な『悪』の力を操れるあなたは否定できないんじゃないの?」
「それは、なぁ」
「あなたにその才能がなければ……」
「え?」
「いえ……話を戻しましょう。爆発的に『善』を減らしても、『悪』との均衡は未だ取れていない。それなのに、今でも『悪』の残党狩りは続いている」
「……まぁ、それが通説にはなってないからな」
「世界の均衡を保つ為に『善』を減らし、『悪』を減らせなんて、容認出来る者はそうそういないわ」
「まぁ、確かに」
「でも、だからと言って世界の均衡を崩したまま放置する訳にはいかない」
「だから、俺を『悪』として育てたんだろ?」
「……そうね、でも、ただ存在するだけではダメなの」
「……」
「あなたは戦わなければならない。そのための訓練はもう十分よ」
「……成る程」
ふと、合点がいった。
これはアレだ。
スタンダードなRPGでいうところの“旅立ちの日”のようなものだ。
あなたも今日で○歳になったのだから勇者として云々~というモノの『悪』バージョンだ。
「ただ、戦闘技術はともかく、あなたには覚悟と能力の底上げが必要ね」
「それって、どういう……」
その時、爆発音がした。
それと同時に部屋を取り囲むように炎があがった。
「なっ!?」
「あなたはまだ誰も殺していない。でも、いつかは殺さなきゃならない」
「母さん!?なにを……」
「わたしを殺しなさい、アクト」
「は、はぁっ?!」
「わたしを殺しなさい、でなければ死ぬのはあなたよ」
「なにを言って……」
「さっきの爆発には三つの仕掛けを発動させるものよ」
母は三本指を立ててこちらに突き付けてきた。
「一つめは勿論この炎。このままでは焼け死ぬ……前に煙による中毒症状で死ぬわね」
「……」
キッチンの方を見やる。通常ならば、消火活動に使えそうなものはあるはずだが……
「無駄な事は考えない事ね」
「……だよな」
このような事、余程用意周到に準備を済まさないと起こさないはずだ。
「二つめは出入口や窓の閉鎖。空気の循環さえ出来ないくらいに、ね」
下手に消化しようとしたところで、煙の逃げ道がなければ中毒症状は必至、という事も意味するのだろう。
「三つめは結界。あなたの力を抑えるための、ね」
「…………」
「無理矢理出入口を開く事や、わたしを殺さずに抑えつけるだけにしないように、という事よ」
「……抑えつける?」
母はどこからかパスポートほどのサイズのカードを取り出してみせた。
「お父さんが遺した転送装置。唯一の脱出方法よ。殺して奪いなさい」
「……」
「身体能力も『悪』の力も弱体化しているでしょうけど、掌から波動を出せるくらいは出来るはずよ?無抵抗でいるからそれで私の命と『悪』を奪いなさい」
「『悪』を奪う?……いや、そもそもなんなんだよ、これは……っ!」
「……そうね、少し説明が足りなかったみたい。あまり時間がないけど……教えてましょう。あなたが知らないあなたの事を」
「俺が知らない……?」
「まずは……そうね、あなたの能力について。あなたが生まれた時、わたしとお父さんには決まり事があった。仮にあなたに『悪』としての素質がなければ普通の子のように育てよう、と」
「……なんだよ、それは」
「結果は知っての通り、あなたは『悪』を操るという『悪』の人間としては素晴らしい能力を持っていた」
「それで、俺の運命は決まったって?馬鹿げてるな」
「そうね、あなたにとっては不幸かも知れない」
「……ハ」
今更だな、と感じた。
「……だけど、『悪』を操ると言ってもそれを貯蔵する事は上手く出来なかった」
「ん?」
「道理ね。幼い子供は多少無邪気の中の残酷さは持っていても、生まれながらに邪悪である事なんて、通常あり得ないもの」
「『悪』を操ると言っても内にある『悪』を操る以上、大きな力は望めないって事か」
だからと言って才能がないと見放した訳ではないのは現在を見れば分かる事だ。
それにそれはなんらかの解決策を見出したはずだ。
現に二神アクトは、物心ついた頃か『悪』を操り、貯蔵する事を目の前の母親から義務づけられてきた。
「だから、あなたに業を、咎を、罪を背負わせる事にした。重い業があれば、それに引っ張られて『悪』は安定して貯蔵できるようになるのはお父さんの研究で分かっていたから」
「……は?」
「要は大きな業を飲み込む事によって、その重みでキャパシティを広げた。例えるなら、性能はいいけど記憶容量に問題のあるマシンに外付け記憶装置……いえ、この場合は内部に記憶装置を増設したという事ね」
母は物事をよく機械に例える。
物として見られているようで嫌だと言った事があるが、母曰く物事を客観視する為らしい。
「いや、待った。大きな業だって?なんの事だよ、そんなもの知らないぞ!」
先程、自身が知らない事だと宣言はされてはいるが、それでも到底受け入れられる事ではなかった。
「……そうね。物心をつく前にわからない内にやらせた事だから」
「なん……だって?」
「アクト、今回の事はずっと前から計画されていた事なの」
「……」
「あなたが生まれてから、練りに練っていよいよ今日が大詰めよ」
「なんだ……それ、は」
「あなたの意思を無視した事は謝っても謝りきれる事じゃない。でも、この計画は完遂しなければいけない。だって……」
「なんだよ……?」
「だって…………もう既にあの人は、お父さんは死んでいるのだから」
「なにを……………………あ、ああっ!?」
「察したのね、遂に」
「いや、そんな…………どういう事だよ!?」
「どうもこうもないわ。お父さんはね。あなたが殺しているのよ、あなたが知らない内に」
「ま、待てよ、それは……」
「そう、その業の名は親殺し。でも、まだ不完全よ」
「待てって言ってるだろ!」
「わたしを殺しなさい。それで……完全なモノになる。あなたに刻み込まれた呪いは」
「聞いているのかっ!」
「悪いけど、もう、時間がない」
「っ!」
周りに意識を飛ばす火の勢いは遂に取り返しのつかないところにまでなっていた。
「だ、だが、それでも答えろよ!俺にはそんな記憶はないんだぞっ!」
「だから、あなたの知らない内に……いえ、そうね。あなたが聞いているのは方法か……なら簡単よ。お父さんは研究中に起こった爆発事故で死んだ。でも、それは事故ではなく仕組まれていた事なの」
「つまりは、俺がやったって?そんな事……」
「専門的な事を言っ場合でないでしょうから、簡単に説明するとね。その事故は後から調べても人為的には起こす事が出来ないの。……専門家であるお父さん以外は」
「……だから、誰も疑わなかった?それで死んだ張本人が仕掛けたとは考えられないから」
「ええ、だから、事はスムーズに行った。要はあなたがその仕掛けの起動スイッチを押させればいいだけだから」
「起動スイッチだって……?」
「それだけなら、簡単ね。当時は幼児だったあなたに無意識にスイッチを押させる事なんて簡単だった。覚えてないかしら?お父さんからあなたに玩具の贈り物があった事を」
「……変形ロボットだ。リモコンで動かせる」
「そうね。会社の新商品のサンプルを貰ったという名目であなたに渡した、ね」
「変形スイッチだ……あれだけやたらに硬かった覚えがある」
「そう、あれを渡した翌日、目が覚めた時お父さんが居なかったのは覚えてる?スイッチを押す前に研究室にいなければならないから、朝早くに出たのよ。あなたに殺される為だけに、ね」
「……」
思えば、渡された時に“もう夜だから明日遊びなさい”と言われた記憶がある。
悪らしく、そんな言いつけ守らなければ…………いや、同じ事だろう。
それが失敗していても他の方法で父を殺させていた。
「どう?わかったでしょう?あなたは無意識の内にお父さんを殺して……殺させられていた事に」
「……」
「あの時は無意識に、だった。でも、今度は自分の意思でわたしを殺しなさい、アクト」
「それで納得しろ、と?」
「……そうは言えない。でも、そうしなければ死ぬのはあなたよ?」
火の手はどんどん強くなり、背中を熱がじりじりと焼いていた。
熱ではなく火そのものが迫るのも時間の問題だった。
「そうかい。それは結構だけど……俺がその意思を継ぐかどうかなんてわからないぜ?」
「それこそどうかしら?あなたはわたし達の息子よ」
「大した自信だな」
「いい加減にしないと時間切れよ。……いい?お父さんが死んで、わたしが今まで残ったのはバックアップの為よ。あなたに何かあった場合――もしくはここでわたしを殺さなかった場合、あなたのバックアップとなる為……この意味、わかるわね?」
「……俺を殺すのか」
「ええ、でも、それでは完璧な計画にならない。だから、あなたが生き残らなければならない」
「一つ聞くが――そこに親としての情はあるのか?」
「――――それはあなたが自分で判断しなさい」
「そうかい、ところで――」
「――時間切れよ」
母は一息で目の前にまで迫った。
そして、手刀――いや、袖口から飛び出たナイフで此方の胸を貫こうとした――――寸前で停止した。
「そうか、情はあるみたいだな」
母は明らかに遅れて出していた此方の右手の掌に『悪』の波動があった事で止まっていた。
「……どうかしら?あなたにその意思があるならそちらが優先なのは計画上決まっていた事よ?」
「情がなければ気付かずに俺を殺していたさ。躊躇いがなければ掌に気付けない」
母が言葉をなくしている間にその胸を貫いた。
「……命と『悪』を奪うって言ってたよな?どうやるんだ?」
母は口許から血を流しながらこちらに体重を預けてきた。
「そのまま、喰らう事を念じなさい」
「……ああ」
言われた通りに念じると、『悪』の波動が母の命と『悪』を飲み込んでいく事がわかった。
「そう、よ。よく……やったわ、アク、ト」
母は、此方の左手に先程の転送装置を握らせた。
「行きた、い場所を、思って、真ん、中の水しょうをおし、なさい」
「……」
「もう、げんか、いよ、すぐに、にげ、て」
「……さようなら、母さん」
アクトが消えると同時に母はそのまま崩れ落ちた。
「ごめ、んねあ、くと。でもこ、れであの、ひとの、とこ、ろにいけ、る」
「ごめ、んねあ、くと、あの――」
その瞬間、崩れ落ちてきた天井が最期に母が見たものだった。