はじまりの前
「……はい、もしもし」
電話の発信者は母からだった。
「ああ、うん。上手くやってるよ、多分」
昼の陽気に当てられ、眠気を誘発しながらもそれに抗いながら、応える。
「というか、毎日毎日やめてくれよ、こういうの」
場所は校庭の端のベンチ。
学校内は携帯電話の使用が禁止されているので見つかると少々不味い。
「……モンスターだな、いやそういう事だけじゃなくて」
教師に見つかる事もそうだが、生徒に見つかるのも嫌だ、マザコン的な意味で。
「はいはい、わかったわかった。いい加減切るよ、じゃあ」
通話を切った後は、眠気に抗わずにベンチにもたれ掛り、そのまま目を閉じた。
「兄様!」
と、いう訳にはいかなかった。
「……ん。ああ、これはこれは」
後輩かつ長い付き合いのある若月聖。整った顔に長くツヤのある髪と華奢な分凹凸が少ない身体のせいで人形のような印象をいつも受ける。ちなみに血縁関係はない。
「これはこれはじゃないです!」
「どうかされたんですか、聖お嬢様」
「……そのお嬢様って言うのもやめてください」
「一応、この時間も業務中のはずですが」
「その喋り方もやめて下さいって、以前から言ってますよね?」
「はは」
思わず、口から笑い声が零れた。
「な、なんですか?」
「いえ、そんな風に喋るお嬢様が言う事なのかと」
聖の顔は途端に赤くなった。
「いや、失言でした」
「か、構いません。わたしと兄様は対等な関係だと思っていますから」
色々突っ込みどころが多い事だと思った。
「雇用関係で対等なのは問題かと」
「それはお父様との話です!」
「だが、君は……おっと、ですが、お嬢様は護衛対象のはずです」
「……毎回、毎回同じ手順を踏まないといけないんですか?」
「さぁ?なんの事か、私にはわかりかねますので」
「……わかりました」
そう言うと、聖は懐から裁縫針が入ったケースを取り出すとその中から一本を自分の指に突き立てた。
「お嬢様、なにをするつもりですか?」
「わたしの言う事を聞いていただけないのなら、このまま刺します」
「それは……参りました。いや、参った。聖に従わない訳にはいかないらしい」
「では?」
「ああ、今は対等に喋らせてもらう。そうしないと指を傷つけてしまうようだからな」
「……今は、ですか?」
「慣れは怖いものだからな」
「はぁ……」
聖がため息を吐いた。
今の茶番の意味を説明しよう。
まず、自身、二神アクトは若月聖の父である若月光治郎に娘の護衛として雇われている。
光治郎氏はとても過保護だった。
最初はSPの集団に学園生活中の聖を護衛させていた。
しかし、徒歩で十五分程の距離を護衛車付きで送り迎え、黒服の集団に常に監視される学園生活に聖が拒否反応を示した為、此方に白羽の矢が立った。
光治郎氏の依頼内容としては娘の通学中、そして学園生活中にかすり傷一つつけるな、というとんでもなく過保護なものだった。
通常、そんなものは学生として過ごす以上、不可能に近いが私にはそれを可能にする方法があった。
加えて、自身と聖は幼少からの知り合いである事から、登下校に同行するのもさほど不自然でない為、都合がよかった。
つまりは、此方にとって聖は護衛対象、雇用主の娘なので敬語で話さなければならない。
しかし、幼少の頃からの付き合いだという事から、聖は普通に喋るべきだと主張するのだが、此方は公私混同出来ないと、やんわりと突っぱねていた訳だ。
しかし、優先順位として聖を傷つける事は絶対的に回避しないといけない為、自身の身体を傷つけると脅されれば、そう言ってはいられないという訳だ。