手助け
ヒトラーさんが読書を一通り終え、十周走り終えたという報告が五回目を越えた頃、ついに報告に来る足が途絶えた。
「随分と遅いね」
「逃げたか、それとも疲れ果てたか。まぁいい。見れば分かる」
グラウンドの様子を見に行くと理由が一目でわかった。逃げた訳でじゃない。疲れ果てた訳でもない。
待っていたんだ。とある一人、息を切らし、全身から汗を吹き出しながら走り続ける肥満体型のオークを。
「あの男は今何周目だ?」
「やっと今九周目に入った所です」
周りからは蔑みとも、同情とも取れる視線を一身に受けて尚、走り続けている。中には指を指して笑う者もいた。
そんな男も四分の三周走りきった所で躓き、足を止めた。立ち上がる様子もない。
「ここまでか。まぁ、あの体型じゃあね。……ヒトラーさん?」
倒れ込んだ男に近づくヒトラーさんの姿を皆がただ黙って追従した。興味が湧いて止まらないんだ、これからヒトラーさんが何をするのか。
男の前に立つとヒトラーさんは静かに口を開いた。
「……どうした? まだゴールではないぞ?」
「……もぅッ走れま゛せんッ!」
「何故諦める? もう少しではないか」
「何をやっても、駄目で……。 ずっと笑われながら生きてきて……! 貴方のもとでなら変われると思ってッ! 頑張った!! でもッもう無理なんです!! もう立てないんです!!」
見れば左足首が赤く腫れ上がっている。どうやら転倒した際に捻挫したらしい。
「名はなんという?」
「……ウェルズ・ジョッド」
「ではウェルズ、肩を貸そう。手を私の首に回せ」
「しかし、汗が……」
「いいから、逃げるな」
半ば無理矢理腕を回すと、疲れていることも関係するのだろう。言葉の割にウェルズさんはあっさりと抵抗を辞めた。
「立つぞ。一、ニの三!」
「痛ッ……」
「痛むか? ゆっくりと左足を前に出せ。焦らなくていい」
「はいッ!」
今はまだ体重の殆どは彼の右足で支えられている。問題は次だ。果たしてヒトラーさんの力で支えられるかどうか。
「よし、次は右足を出せ。ただし前に出しすぎるな。左と並ぶ程度でいい」
「はいッ!」
返事と同時、一瞬だが優に百キロを超えるであろう体重がヒトラーさんに伸し掛かる。体感でいればそれ以上かも知れない。足を崩しそうになりながらもなんとか耐えた様子。
「――見た目通り重いな、君は。少し痩せた方がいい」
「……はい、そうします」
ジョークに笑みを作る余裕は生まれたようだ。しかしまだまだ距離がある。
「よし、一歩進めたな。後はこの繰り返しだ。行けるな?」
「はいッ!」
いつしか真上にあったはずの日は傾き始め、何度も地面に崩れつつも、その度に立ち上がり一歩ずつ着実に歩を進める。
二人の姿を見て、最早嘲笑うものは誰一人いなくなった。
そして世界が紅く染まった頃、ようやく足がゴールの線を跨いだ。
「……ハァ、ハァッ誰か、手当をしてやれ」
「あ、あのッ!」
地面に腰を下ろしても尚、声を荒らげる理由は一つ。脱落を恐れているんだろう。
「ぼ、僕は――」
「――人は皆限界まで走ることができる。当然だ。走れるからこそ限界なのだ。だが君はどうだ?」
ウェルズが頭を垂れる。正しく意気消沈。
「君は怪我を負い、体力も使い果たし、もう無理だと言ってから更に歩を進めた。君は限界を越えたのだ。限界を超えられる人間はそうはいない。故に私は君を敬服するッ!」
ウェルズさんは感極まり涙を目尻に貯める。その様をヒトラーさんは眺めること無く背を向け、歩を進めるが、直ぐ様足を止めた。そして口に出した言葉に――
「……次は自力で走りきるように」
――ウェルズさんはついに地に涙を零した。




