マニフェスト
「あ、お帰り」
「ずっと待っていたのか?」
「許可がないと僕はこの中に入れないからね」
「それは悪い事をしたな」
目尻が微かに濡れている。行動をやめ、興奮が落ち着き途端に睡魔が現れたか。
この状態ならば丁度いい。
「レイモンド、一つ頼みがあるのだが」
「奇遇だね。僕もだ」
「では交換条件といこう。そちら望みは?」
「後でインタビューさせて欲しい。いくつか聞きたいことがあるんだ」
聞きたいことか。レイモンドの所属している報道機関は新聞を読む限り私に肯定的だ。余程口を滑らさない限りは問題ないか。
「そっちの条件は?」
「君の新聞に広告を載せてもらいたい。私が親衛隊を募集するとな」
「へぇ、またいきなり。これも何か意味があるのかい?」
「有名になれば私の存在を疎ましく思う輩も増えるからな。念の為の護衛だ。あぁ、それと人族以外と付け足しておけ」
「何で? 確かに獣人族とかオーク族は体力に優れてるけどエルフ族とは対して変わらないよ?」
「私は人族の政権を否定することで支持を獲得しているからな。身内に人族がいれば支持率の低下を招く恐れがある。念のため程度だがな」
「随分と集まったな」
「下は十八。上は四十二までの一四七名だね」
精々が五十程度だと思っていたが、ここまでとは予想外だったな。こうなるとスパイを見つけ出すのも一苦労だ。
「動機はお金目当てからヒトラーさんについていけば間違いないという信望者まで色々」
「動機はさほど重要ではないからな。不自然な点が無ければ問題ない」
志望者達は整列という体をなしてはいるものの、一つ一つの列は世辞にも直線とはいえない程にバラバラだ。また殆どの者が直立せず、隣の者達と雑談をしている。
「これは時間がかかりそうだ」
私が前に立つと私に注目し、喋る口は止まりはするが、体に力は入らないようだ。
「……まずは私のために集ってくれたことに礼を言う。時間は有限であるため率直に語らせてもらう。人間は皆違う思想を持っている。故に志望動機にどうこう言うつもりもない。私が求めるのはただ一つ。実力だ。そこでだ、諸君らにはまず実力を示してもらいたい」
「実力を示すとは?」
最前列にいながらいきなり手を上げ、質問をするか。中々に神経が図太い男だ。それとも恐れを知らないのか。
「簡単なことだ。まずはグラウンド十周走ってこい。時間は問わない。全員終わったら報告に来るように」
十周ならば殆ど脱落者もいまい。精々が最高齢のやつか、肥満体の奴らぐらいか。
「……どうした? 何を突っ立っている。さっさと走ってこい」
ドタバタと走り去る姿は無様としか形容しようがないな。しかし人間は成長する生き物だ。訓練が終わる頃にはマシになっているだろう。
「レイモンド、頼んでいたものは?」
「ああ、はいこれ。歴史書なんて珍しい物を読むね」
「歴史を学べば、その国の文化、思想等様々な部分が見えてくる。それらを理解すれば、一人一人の思考回路も見えてくるというものだ」
言葉が通じるお陰で、数日間である程度の文字は読めるようになった。後は調べながらで十分だろう。
「そうだ、その前に取材いいかな?」
「そういえばそうだったな。何を聞きたい?」
「じゃあまずはマニフェストを」
そういえばまだこれといって明言はしていなかったな。さて、どう答えたものか。
「……そうだな、全ての人々に笑顔を。これでどうだ?」
こういうものは政策を並べ立てた所で人々は目を通さない。一目で想像できる程度のものが望ましい。
「では具体的な政策は?」
「大規模な公共事業の展開。街から街を結ぶ道を整備し、物流をスムーズにする。そうすれば自ずと雇用率も上がる」
「しかし財源もなく、国民全員となるととても足りないんじゃ」
「現状は二束三文の賃金を得るため、朝から晩まで男女共働き。そして家では疲れ果てた体を休ませるだけ。それでは当然出生率も上がらない。故に働くのは独り身か、各家庭の男だけ。それも実働時間を統制した上でな」
「……それでは生産効率が下がるんじゃ? それに失業者も減らないし、所得の低迷の打開策にはならないと思うけど?」
少し語弊があったか。となると例え話の方がいいな。
「賃金が安いのは求職者に対し、雇用先が圧倒的に足りないからだ。しかし人々は生活の為仕事を求める。するとどうなるか。企業が本来一人に払う賃金を二人に分配するのだ。一人分の金で二人雇えるからな。故に賃金が安くなる」
「そこで求職者を減らして、その代わりに一人当たりの手当を多くするんだね?」
「その通り。そして生産効率だが、疲れ果てた身体に鞭を打ったところで、得られる生産量はさほど多くはならない。それこそしっかりと休息を取り万全の状態で仕事に望むのとそう変わらないほどに」
私が話終えるとレイモンドは紙が破けんばかりの勢いでメモを取り出した。
ドイツで行ったことの反覆をすればいいのだ。一から考えるより随分と楽だ。
「それで財源は?」
「一定の利益を挙げている企業に公債を買わせる。金は使わねば無価値だ。しかし企業が金を溜め込むせいで使う金がない。となれば簡単だ。公債を買わせ国に金を入れる。その金で雇用し、市民に還付する。そうすれば使う金が手に入った市民が経済を潤す」
今や一部の富裕層を除いたほぼ全ての国民が貧乏人。そして貧乏人が大金を手に入れたら今までを補うかのように使い出す。
敢えて懸念するとすれば――
「その金を市民が貯蓄した場合は?」
一度失敗をすれば人は慎重になる。一度不況を味わえば人は不安を補うために金を溜め込む。
ではどうすればいいのか。
「不思議なことに不況であればある程市民は貯金をする。その金を使わねば不況を脱却出来ないと分かっているのにだ」
「使わせる方法があると?」
「ここからは秘密の話だ。君と、私だけの」
口に指を当てて静かに離すと、レイモンドは私に感化され、小さく頷いた。
「金を使わないのは使えば無くなってしまうという固定観念があるからだ。ならば使ってもまた入ってくると思わせればいい。そしてそのような状況を何という?」
「……好況?」
「そう、好況だ。金を使わせて好況にするのではない、好況を見せて金を使わせるのだ。だからこその大規模な公共事業の着手だ」
「確かに次から次へ公共事業を展開し、国民に金が行き渡れば誰もが経済が回復し始めていると思う」
尤も大切なのはその後だがな。まぁ今説明せずともいいか。
「全員十周終わりました」
背後を見ると汗だくなものの、息が若干上がっている程度に疲れた志願者達が立っていた。熱くないとは言え、寒いともいえないこの気温の中走れば汗だくにはなるか。
「次は何をすれば?」
「もう十周だ」
「……はい?」
「聞こえなかったか? もう一度十周走ってこいと言ったのだ」




