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龍蝨―りゅうのしらみ―  作者: 神光寺かをり
躑躅ヶ崎館・曲輪内
5/13

五、源五郎

 カラカラと笑い合った後、源次郎は小首をかしげて、


「それにしても、室賀(むろが)殿は、(しつ)(よう)というか、何というか……妙に源五兄上に(しゅう)(ちゃく)があるように見受けられましたが?」


「うむ……」


 雲母(きらら)の上で燃えることもせず、芳香を発している小さな黒い粒を、源五郎は愛おしげに見つめている。

 ややあって、唐突に、


「室賀の家の(はい)(こう)()(みょう)には、決まり事があるらしい」


 (つぶや)くがごとく言った。



 元来、輩行というのは「その一族のうちで同世代の者」といった意味であったそうな。つまり兄弟、範囲を広げて従兄弟(いとこ)あたりまでの親族のことをいう。

 その輩行のなかでの序列を表すのが(はい)(こうの)()(みょう)である。長男に太郎、次男に二郎あるいは次郎、三男に三郎……と名付けるそれだ。

 そしてこの(はい)(こう)(めい)は、功を立てて主君から()(りょう)(めい)――なんとかの(かみ)であるとか、なんの兵衛(ひょうえ)であるとか、なに右衛門(うえもん)であるとか――を授かるまで、本名を呼ぶのを忌避(きひ)する通称名として用いられた。

 これは、本名はその人間の霊そのものであり、その名を呼ぶことでその人物を支配することが出来る、という一種の信仰に基づいた風習だ。他人を本名で呼んで良いのは親や主君のみであり、そうでない者がむやみに本名で呼ぶことは無礼の極みである、と考えられていた。

 兎も角、輩行は本来順番を表すのが目的であるのだが、皆が皆が輩行の順に数字を振っただけの名付けをすれば、どうしても同名の者が増えてしまう。一族が増えれば、誰かの長男、誰かの次男は、それこそ(ねずみ)(ざん)に増えるのだ。

 時代が下がり、どこの長男・次男を区別する必要が生じると、輩行名に一文字二文字を足した命名が増えてゆく。



「例えれば……海野本家は輩行に『小』を付けるのが習わしだ。小太郎、小次郎、小三郎といった具合だ」


 源五郎は指を折りながら、誰のものでもない人の名を言い上げる。


「我らの父上は元々が海野の分家の真田の更に分家の出ゆえに、はじめは()(ろう)(さぶ)(ろう)を名乗った。

 長じて(げん)()()()(もん)を称したのは、このときは海野の本家も真田のそれも、武運拙く滅びたものと思ってのことで、ならば生き残ったおのれを(みなもと)として真田を復興させようと、おのれ自身に誓ったから、らしい」


「私も源太兄上より、そのように(うかが)っております」


 ここで源次郎が口にした「源太」は、無論父の前名では無く、長兄の源太郎、受領名・源太左衛門尉の方のことである。


「そして自分の(せがれ)の輩行には『源』や『徳』の文字を乗せた。長男は源太郎、次男は徳次郎」


「さようで」


 源五郎の言葉に、源次郎は一々(うなず)き、相槌を打って聞く。


「ところが、だ」


 大きく息を吐くと、源五郎は、


「俺とお前、我らが二人が生まれた時……順序で言えば俺が三郎でお前が四郎であるはずが、親父殿は

()()に繋がる』

 などと面倒なことを言い出した、と聞いた」


 呆れかえった口ぶりでいった。目は笑っている。


 この時、真田幸綱は、


()など真っ二つに断ち切ってしまえ』


 と言って、四男を源()郎にしてしまった。

 それだけで済ましてしまえばまだ解り良いものを、


『分けた()が余った。(もっ)(たい)ない故、この()はお前が背負え』


 とばかりに、


「順序立てれば(げん)(ざぶ)(ろう)であるはずの三男(おれ)の名前に、余った()を足し込んで、源()郎にしてしまった」


「兄上に余分を背負わせ、なにやら申し訳ない心持ちです」


 源五郎と源次郎は鼻面を合わせて、互いの苦笑いを見た。


「それでな……。兵部が下の弟とやらの名を源七郎と言っていたところから察するに、室賀家は輩行の頭に『源』を付けるらしい。これは俺の勝手な想像だが、(せい)()(げん)()の流れだから、かな」


 室賀家に限らぬ。真田家も清和源氏海野(うんの)氏を自称している。

 もっとも、由来のはっきりとしている室賀家はさておいて、そういったものが判然としない武家の者が氏素性を仮冒(かぼう)するときは、およそそう名乗るものだ。


「なるほど……それが、どういう?」


「だからな、兵部の二人下の弟は源()郎というそうな」


「はぁ……?」


「その二人上の兄であったなら――我が家の()()殿()のように曲がった気性を持たぬであろう一葉軒殿が、きちんと順序立てて、決まり通りに名付けられたならば、のことだが――兵部のそれは、七から二つ引いて源()郎というのが順当だということになるだろう?」


「……あっ。では、兄上と同じ……」


「まあ、あやつは最初に会った時……確か、俺たちよりも二、三年ほど後に証人として送られてきたと思ったが……まだ十歳(とお)ばかりの()(わっぱ)であるくせに、早々と親の()(りょう)(めい)を引き継いで兵部と名乗っていた。その前に(なん)と名乗っていたのかなど、聞きもしないし、聞く必要も無いことだ。だから俺は、あやつの前名がなんであったのか、本当のことは知りもしないし、知る必要も無い」


 源五郎はニタリと笑った。源次郎が色めきだって、


「いや、きっとそうです。間違いない。だから兄上を……」


「鏡に映った自分(おのれ)のように思っていたのかも知れない」


 親兄弟と引き離された源五郎。孤独に耐える源五郎。功を立てる源五郎。褒美を貰う源五郎。人の妬みを買う源五郎。主君に愛される源五郎。

 自分もかくありたい、いやありたくない。自分であれば良いのに、いや自分でなくて良かった。

 羨ましく、妬ましく、うれしく、悔しい。


「似ても似つかぬ鏡映しだ」


 源五郎は、立てきられた戸障子の、その向こう側に去って行った男の背中を幻視していた。

 やがて、


「ま、よくは解らぬが、な」


 ぽつりと言って、薄く笑った。


「……で、だ」


 一度、大きく息を着いた源五郎は、(おもて)から笑顔を全く消し去り、弟の顔をじっと見た。


「何事か、あったのか?」


 薄い笑みは、源次郎の顔に移行した。


「源太兄上の所から使いが来ました」


「ほう?」


 (きな)(くさ)気に首をかしげる源五郎に、源次郎は懐から取り出した紙切れを示した。


「外出のお許しは……先ほどお屋形様から頂戴して参りました」


 結び文にしてあったらしい小さな紙片一杯に、勢いよく、力強く、しかしおそろしく薄い墨で書かれいる文字が、ただ二つ。



 火急



 源五郎がその文字を見終えたとみるや、源次郎は火箸を取り、火桶の灰の上の雲母(きらら)の薄片を、乗せられている(たき)(もの)諸共持ち上げた。空いた灰の上に紙片を落とす。

 紙片は見る見る茶色く変じ、更に黒変し、崩れ、消えた。


「源太兄上も大概だが、源次よ、おまえも性急(せっかち)だな」


 言い終らぬうちに立ち上がる源五郎の、その言葉が終わるまえに源次郎も立ち上がっていた。


「源五兄上には及びもつかぬ事で」


 躑躅ヶ崎館内人質屋敷の、真田兄弟の居室には、もはや、甘く焦げ臭い香りだけが残されるのみであった。

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