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龍蝨―りゅうのしらみ―  作者: 神光寺かをり
武藤喜兵屋衛敷
12/13

十二、龍蝨

 (えい)(ろく)七年(西暦一五六四年)の年が明けた。


 松が取れた頃、真田源五郎は名門・武藤家の若き当主となり、正式に()(とう)()()(えの)(じょう)と名乗りを変えた。

 城内の(しょう)(にん)屋敷の長屋の(いち)(ぐう)から、城下町の武藤屋敷に移った喜兵衛こと源五郎が、最初に成したことは、かねて婚約中であった武田信玄養女・()(ふじ)との婚礼である。

 列席する人数は絞り込んだが、(にい)婿(むこ)の義理の親戚であり、(にい)(づま)の養い親である主君・信玄には顔を出して貰わぬ訳には行かなかった。


 婚儀は賑々しく華やかであった。


 宴が終わり、客が去り、屋敷に静けさが戻ると、時はもう夜半を過ぎていた。

 強かに酒を呑み、呑まされた源五郎が、ようやっと屋敷の奥向きに戻り、しみじみと新妻の顔を眺める至福の時を迎えようとした時、


「お恐れながら」


 戸の陰から聞こえたのは、証人屋敷の頃より仕えてくれていたあの若党――つまり真田家家臣の末であったものを、長兄・源太郎に願って譲ってもらい、武藤家に連れてきた――(かけい)(じゅう)()()の声だ。

 心中の舌打ちをおくびにも出さずに、源五郎は低く、


「申せ」


 戸が音もなく開いた。廊下で十兵衛が頭を下げている。


殿()に、荷が届きましたので」


「この夜分にか?」


 声音の中の落胆の色は隠しようもなかった。


「申し訳ございませぬ」


 下げた頭を更に下げる十兵衛に、


「頭をお上げなさい。その方に落ち度はありませんよ」


 いたわりの声をかけたのは、於藤だった。言い終わってから、不機嫌な新婿に微笑を送る。

 源五郎は仕方なさげな息を吐いた。


「で、荷とは?」


 十兵衛は(こも)(づつみ)を掲げた。一辺が二尺の長さの、真四角の包みである。掲げたまま、そろそろと(しっ)(こう)する。

 十兵衛の掲げ方からして、さほど重い物ではないと見受けられる。

 取り上げてみると、思った通り軽い。空箱のような軽さであった。

 事実、開けてみれば、現れたのは箱の形をしたもの、であった。

 しかし、箱ではない。

 天板は目の粗い格子に組み合わされている。そこから四本の丸い材の脚が出てい、脚と脚とが細い丸材で四角く組み繋がれている。側板も底板もない。


 源五郎はかつてこの形の木組みを見たことがある。

 いや、この手で作ったことがある。


 (やぐら)だ。

 脚の間には、おそらく小ぶりな火桶がすっぽり入るだろう。

 (きゅう)(ろう)、源五郎が作った櫓との違いは、全体に(くろ)(うるし)が塗られていることだ。脚には(きん)(まき)()まで施されている。

 描かれているのは小虫と家紋の組み合わせだった。


 一本には【武田四つ割り菱】。言うまでもなく、源五郎の主家である武田家の家紋である。その上に勝虫(とんぼ)が飛んでいる。

 二本目は【下り藤に武文字】で、これは源五郎が継いだ武藤家の紋だ。家紋の藤の花の回りに(かはびらこ)が大小二頭、たゆたっている。

 三本目と四本目に描かれているのは同じ虫だ。

 丸々とした龍蝨(ゲンゴロウ)が一つの脚に一匹ずつ泳いでいる。

 違うのは家紋である。

 三本目には【(むつ)(れん)(せん)】が描かれている。

 そして四本目の龍蝨(ゲンゴロウ)潜水(もぐ)ってゆく先には、


「丸に右上げ上の字」


 村上一族である室賀氏の家紋の名称を呟きながら、(ゲン)()(ロウ)は、大雪で古い館に閉じ込められている室賀兵部の、すねた(・・・)顔を思い浮かべた。



「それは?」


 於藤が小首をかしげ、微笑した。

 源五郎は答えず、戸口へ顔を向け、まだ控えていた十兵衛に、


夜着(よぎ)と、火桶(ひおけ)を」


 手短に命じる。

 頭を下げた彼が、小走りに廊下を遠離(とおざか)る音を聞き終えてから、ようやく源五郎は於藤に笑顔を向けて、


「今日は来られなかった故郷の()からの……祝いの品だよ」


 うれしげに言った。


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