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・其之陸・

「お話とは何でしょう、智成殿。」


智成は昼過ぎに稲女を呼び出した。場所は今朝の清流である。

智成は頼長と話してからずっと一人部屋にこもって考えていた。

その結果がとうとう出たのだ。


 相変わらず空は青く、水はとめどなく流れる。しばらくの沈黙の後、智成は意を決して口を開いた。


「今日中に山を下りることになりました。頼長様が呼び出されましたゆえ…」


「そうですか…もう少しいてくださると思っていたのに……名残惜しゅうございます。」


稲女は寂しげに言った。智成は梢の紅葉を見ていたが、やがて稲女に向き直る。


「稲女殿、いきなり本題に入るが…もし宜しければ、稲女殿がもし宜しければ……」


「私がよければ・・・何でしょう?」


智成は感極まって稲女の手を取った。稲女はそんな智成の切羽詰った様子に少々引き気味である。


「稲女殿が宜しければ、私とともに都に参っては下さらぬか。」


「え、都へ?」


突然の申し出に驚いたのは稲女である。彼女は全く予想だにしていなかった。


「そうです。都です。私と一緒に来ては下さらぬか。」


「駄目です。私は都には参れません。」


即答した稲女に智成は食い下がる。


「どうしてですか?智成と都に参っては下さらぬか。私は貴女を好いております。貴女を…」


「駄目なものは駄目なのです。私は…都へは参れませぬ。」


稲女は俯いた。


「どうしてっ!」


智成の悲痛な声が静かな木立の間をこだまする。


「人と契らば 濃く契れ 薄き紅葉も 散れば散るもの…かつて私にそう申した人がおりました。」


「今朝もそのようなこと、申しておりましたね。その方が都に居られるから…」


智成は手を離さない。稲女の眼に涙が浮かぶ。


その時だ。草むらがガサゴソなって、二人の前に一人の男が現れた。


「おや?声がすると思ったら智成ではないか。」


「…四宮様?何故ここに?」


現れたのはかの人、四宮 雅仁親王である。彼はまだ麓にいたはずだったのだが・・・


「ん?暇つぶしだ。使者が右大将たちが随分楽しんでいると報告してきたから私も出迎え隊に混ざることにした。」


「親王が出迎えなんて聞いたことございませんよっ!」


「…堅いコト言うな。そんなに融通が利かないと、頼長みたく言われるぞ。ん?智成、そっちの娘は?」


四宮に視線を向けられた稲女はなぜか着物の袖で顔を隠し、智成の後ろに隠れるようにする。

しかし智成はここで公然と親王に認めてもらう魂胆か、ここぞとばかりに稲女を前に押し出した。


「私の妻としたい人です。名を稲女と申しまして…」


「智成殿!」


稲女が彼を止めようとした拍子に顔が見えた。四宮がその顔に反応した。


「ふむ、智成の…ねぇ。おや?それに見えるは…菊若ではないか。どうしてお前がここにいる?」


「っ……四宮殿、また貴方にお会いするとは……」


稲女は四宮を睨みつける。


「菊若、お前は…父上の所にいたのではなかったのか…」


「……貴方には関係ない。」


稲女は今までには無い冷たい視線で四宮を見据える。

しかし、握り締めた手が小刻みに震えているのを智成は見つけてしまった。


「四宮様、稲女殿…一体どういう事ですか?菊若って…」


稲女は唇を噛んで顔を背ける。


「智成はお前を嫁に迎えるつもりだったのか…ならば、真実を伝えねばなるまい。いいな、菊若。」


四宮に促され、稲女は頷く。それを確認してから四宮は従者たちに先に行くように指示した。




「さて…智成。そなたが求婚したこの者は、私の知る限り私の父 鳥羽上皇の稚児 菊若。

生まれつきともいえる舞の天才で、齢三つの時に稚児に上がった。

その時よりわが国随一の舞人となるべく昼夜を問わず父のそばに置かれ、齢十一で奥義までも皆伝したと…」


「で…では…稲女殿…いや、菊若殿は…」


智成は泣きそうな顔で四宮と稲女見比べた。見つめられた稲女はとうとう重い口を開く。


「そうです。稲女は仮の名…左大臣源有仁が庶子、菊若。鳥羽上皇の稚児にございました。

私は(おのこ)…それ故智成殿の申し出、受けるわけには参りません。」


「そんな…では…先ほどの言葉は…」


「人と契らば 濃く契れ 薄き紅葉も 散れば散るもの…そう私に申したのは上皇でございました。

あのお方は、私が奥義を皆伝するとしばらくして私に飽いたのです。

主に捨てられた稚児ほど惨めなものはございません。私は、誰も知らない所で死のうと思い早々に都を去りました。しかし…」


「結局死にきれず、怪我をして行き倒れ、阿部文麻呂の元に素性を隠し、娘として住み着いたのか。」


従者の消えた先から現れたのは頼長その人。もちろんいつものように公春を従えている。


「…右大将殿……」


菊若は振り返った。


「葉月の初め、元服を控えた上皇の稚児が姿を消した。

その稚児の着物が我が父、知足院の宇治の領地で見つかり、上皇は我が父にその稚児を骸でも良いから見つけろと仰った……

まさか、その稚児が稲女だったとはな……四宮殿の従者に聞いてここに参った。私が鳥羽院別当とはいえ面識が無い故、分からなかったぞ、菊若。」


「……」


菊若は俯く。


「菊若、父上はお前を探している。都に戻ろう。」


四宮が、菊若の肩に手を置いて、覗きこむと菊若は邪険に振り払った。


「嘘だ、もう遅い。菊若は死んだのだっ!ここにいるのは稲女、阿部文麻呂の娘で…」


叫ぶ菊若に、見かねた頼長は公春に合図する。公春はなぜか智成を捕まえて刀を抜き、その首筋に刀身を当てた。


「……!」


「ど…どうされましたか、右大将殿!」


慌てたのは菊若と四宮である。刃を当てる公春もこの時ばかりは笑顔を引っ込めた。

頼長は菊若に近付き、彼の胸倉を掴んで聞いた。


「選べ、菊若。お前と智成は背格好も同じ。お前が菊若を殺し、稲女として生きるのならば、私はこの場で智成を殺し、その骸を骨にしてお前の代わりに上皇に献上しなければならない。

都に帰るか、帰らないか、どっちだ!」


「……」


菊若はチラリと智成を見た。恐怖に慄いているかと思われた智成の表情は、意外にも穏やかなものである。


「智成殿…どうして、そんなに落ち着いているのです…」


思わず聞くと、智成は真剣な顔で答えた。


「私は、己が主 頼長様を信じておりますゆえ、主の処遇ならば、死すら怖くありません。」


「主の処遇ならば…では例えそれが追放や死であっても…ですか?」


菊若は何か答えを探るように聞いた。


「はい。それが主の御心ならば…」


智成ははっきりと答えた。

菊若は眼を伏せる。そしてしばらく黙った後、頼長を真正面から見据えた。

「帰りましょう、都へ。」



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