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・其之壱・






 あれから数日後の昼前のことである。


 もちろん智成の姿は検非違使所にはない。彼は、宇治の知足院の館にいた。


 知足院とは、かの藤原頼長の父君にあらせられる。落飾して知足院殿と呼ばれていたが元の名を忠実といった。






「頼長様…私はこのようなこと聞いてはおりませぬ。」


頼長の隣で控えていた智成は少々青ざめて、自分の主を見上げる。そんな智成を見て、頼長は評判の美しい顔に薄っすらと笑みを浮かべた。


「小鹿、私はそなたには十分教えることは教えたはずだぞ。大丈夫、そなたならできる。」


「しかし…どなたかは存じませぬが、私のような者にそのような高貴な方のお相手…務まるわけがございませぬ。」


智成は頑なに首を激しく横に振る。


そんな智成を見やった頼長は彼に向き直り、頬を挟んで首を振るのをやめさせた。

智成の目には薄っすら涙がにじんでいた。それを見つけた頼長はまた笑う。


「大丈夫だ。公春も参る。奴ならば、狩りには慣れているから、そなたも学ぶ所が多かろう。」


「しかし…頼長様。頼長様は何故参られませぬのか。」


「…私は、狩りは好かぬのだよ。齢八つの時に落馬して、死にかけたのでね。だから私は行かぬのだ。

私と共に歩むのならば、官位がどうであろうと、どのような者とでも付き合えるようにならねばならぬ。

今回はそのよい機会だとは思わぬか?」


「うぅ…」


智成は恨めしげに唸る。


何しろまだ公春のことはよく知らない。

せめて頼長が一緒に行ってくれたら、と彼は思っていたが、どうしようもないことだった。



昼過ぎ、智成と公春、そして一人の少年と数名の従者を伴って狩りに出た。


この共に狩りに出た男、公春は名を“秦 公春”といい、智成と同じような武官である。

彼もまた、頼長の寵臣の一人であった。趣味は頼長の従者ごっこであり、屋敷の中では本当に従者のように振舞っていた。





 「あの…公春殿、よろしくお願いします。」


出掛けに智成がそっと囁くと、公春はニッコリ微笑んで頷く。


 「ええ、こちらこそよろしくお願いします。私も結構、君の事は気に入っていますからね。」


 「そ…それはどうも…、ところで、今日ご同行される方は?」


勇ましく、まさしく狩衣で馬にまたがっている少年を見て智成が囁くと、公春は表情も変えずに言った。


 「おや、頼長様より覗いませんでしたか?四宮(しのみや)様ですよ。まあ、お召し物などはあえて御身分にそぐわない物を召されておりますが…」


 「って…まさか…四宮様ってあの…四宮様ですか?」


『四宮』という単語に智成は青ざめた。が、公春は平気な顔で言った。


 「ええ、四宮様は四宮様です。雅仁親王様ですよ。お忍びで来られているんです。なんでも、自由に狩りを楽しみたいと頼長様にお願いされたとか…」


 「はぁ……」


情報に疎い智成も雅仁親王のことは知っていた。

今上帝の弟君だが、なんでも今様に明け暮れるあまり東宮候補から外されたとか、つい先日元服したが、母君の御所に入り浸りだとか…

あまり良い噂は聞かなかった。



「おい、早く参ろう。ところでそちは?見ない顔だが…」


四宮が智成に気がついた。突然視線を向けられた智成はとっさに言葉が出ない。そんな彼を公春はチラッと見やって、また笑顔のまま言った。


「ああ、この者は検非違使府生で宇津智成と申します。左兵衛尉智晴殿の嫡男ですよ。」


「左兵衛尉智晴?知らんな。」


「その方面では有名なお方だったのですが……そうですか、まだ四宮殿はお若いから、興味はございませんか。」


公春が意味深な笑みを浮かべると四宮は眉をしかめた。


「ふん、まあよい。早く狩りに参ろうぞ。」


「はい、承知いたしました。」




四宮は狩りが好きらしい。

最初は公春や智成と行動していたが、始めて一刻ほどたつと二人の従者を従えて、智成たちを置いて山に分け入っていった。

四宮はいつまでたっても狩りの要領を得ない智成と、遠慮をして本気を出さない公春とに業を煮やしたのである。



「いいのですか公春殿、親王様を一人で行かせてしまって。」


木々の中に消える四宮の背中を見送って、智成が公春を見上げる。だが公春はいつもの笑顔を崩さないまま、さらりと言った。


「別にいいのですよ。四宮様は『自由に狩りを楽しみたい』ということですからね。お一人で行きたいならば、私たちにそれを止めることは出来ません。

それに、落ち合う時刻と場所は決めているわけですし、従者も連れているのですから大丈夫ですよ。

だからまあ、狩りを好かぬものは好かぬものなりに、楽しみましょうぞ。ね、智成殿?」


「は…はぁ……」


 公春はいつもの食えない笑みで若輩の智成を丸め込む。

智成もなんとなく良いような気がして丸め込まれたのであった。



「では智成殿、私は親王の御伴とは別に頼長様よりご命令を頂いております。」


「……な…何ですか、ご命令って……」


やはり読めない公春の笑顔の無表情に智成の背筋には悪寒が走る。


「それは智成殿、私がご多忙の頼長様に代わり展上人とお付き合いして行く方法を、伝授して差し上げよとのことです。

私たちは例え官職は低くとも、頼長様の御側にいる限り四宮様のような皇族の方や、摂関家の方々と嫌でも関わって行かねばならないのです。

生憎貴方は父君よりその術を授かっていないと頼長様より伺っております。」


「え…でもいいですよ。私だって検非違使の仕事が…」


「ならばなお更です。今ならば昼夜問わず教えて差し上げられる良い機会ではないですか。さあ、智成殿 始めましょうぞ。」


公春はニッコリと笑って馬を下り懐を探る。


「えーっっっ、今すぐですか?何でそうなるんですかぁっ」


悲痛な叫びが森にこだました。






++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++






夕刻も迫る頃、ようやく公春は木の根元から立ち上がった。ぐっすり眠り込んでいる智成の肩を叩く。


「智晴殿、お起きください。そろそろ四宮様とお約束の時間ですよ。」


「ん…え…あ…もうそんな時間ですか?」


智成は眠い目をこすって公春を見上げる。


「はい、もうです。まったく、まさか智成殿も和歌が苦手とは思いませんでしたよ。和歌集を開くだけで深い眠りに落ちてゆくなんて…頼長様にそっくりですね。」


「は…あ…ははは。あ、そういえば四宮様は、いかがされたでしょう…、そろそろお待ちの時間ではないでしょうか?」


「おや、すっかり忘れていました。臣下が主君を待たせてはなりませんね。行きましょう。」


公春は智成の手を引いて立ち上がるのを助けてやり、二人は再び馬に乗った。





しかし・・・・・所定の場所で待ったのだが、四宮は全く現れる気配を見せなかった。




「親王様…来ませんね。」


智成は左右を見回して言った。

あたりは静まり返り、風が木々の葉を揺らすばかり…公春も頷いた。


「お迷いになっているのやも知れません。」


「では、私が辺りを探してまいりましょう。」


智成が申し出る。公春は頷いた。

それを見届けると、彼は馬に鞭打って木立の中へ駆け出すのであった。




「四宮様、親王様」


あちらこちらに呼ばわってまわったが、一向に返事は無い。


「全く、どこに行ってしまわれたのだ?このままでは日が暮れてしまう。」


ぼそぼそと口の中で呟いていると、ヒョウと風を切って何かが飛ぶ音がする。



智成は反射的に振り向いた。




バシュッ




肩にめり込む一本の矢。智成はその反動と衝撃で後ろ様に落馬する。



「射止めたぞ!今日一番の大物だ!」



遠くで勝ち鬨を聞きながら、智成は気を失っていった。



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