・其之零・
平安末期に実在した藤原頼長の半生を、オリジナルキャラクターの検非違使 宇津智成(14)の視点で描くことを目的としています。
ちなみに、頼長さまが両刀使いなのは史実です。なので、少しBL風味です。
本作は史実を基にしたフィクションです。なので、史実と異なる部分もあるかと思いますが、多めに見てやってください。
「ちょっと大尉殿、それは一体どういうことですか!」
時は平安末期保延年間、崇徳帝の御世の頃、終業間際の検非違使所に少年の怒号が響いた。
今日の分の書類をまとめていた案主たちが一斉に手を止め、声の方に振り向く。
「どうもこうも、上からのお達しなのだ。君は明日より出仕を止められた。」
大尉は少し困ったように眉をひそめる。少年はすっかり興奮してしまって、顔を真っ赤にして言った。
「上からの?それは一体誰ですか。」
「…藤原頼長様……宇治の右大将殿だ。『小鹿殿に休暇を取らせ、右大将殿の休暇に付き合え』と。小鹿殿、これは名誉なことですぞ。」
大尉殿の言葉に少年は握り締めていた拳を緩める。
知らぬ間に寄っていた眉間の小じわもいつしか消えて、最後に彼はうつむいた。
「はぁ・・・右大将殿のお達しですか…承知いたしました。」
彼の返答を聞くと、大尉は立ち上がり、いつもの自室に戻っていった。まだ仕事があるのだ。
大尉がいなくなってしまうと、案主たちはひそひそと噂話を始める。ここの者たちは噂が好きなのであった。
少年の名は宇津智成と言った。
先年急逝した左兵衛尉宇津智晴の嫡男で、天治元年(1124)生まれ。今年で十四になる。
この春より検非違使所(現代でいう警察のような機関)に府生として出仕し始めたばかりである。
人付き合いの嫌いな父に箱入りとして育てられたため非常に世間に疎く、色は白く整った顔立ちをして手足も細かったため、いつしか同僚たちからは『奥山の小鹿殿』というあだ名で呼ばれていた。
検非違使所で『小鹿殿』といえば智成の事を指し、それを知らないものはいなかったほど、検非違使所では異色の存在であった。
時は後に『院政期』と呼ばれる古代から中世への過渡期。
都は荒れ、寺社の強訴が相次ぎ、検非違使の仕事は多かった。
そんな中、ひょんなことから智成は今を時めく右近衛府大将 藤原頼長、通称『宇治の右大将殿』に見初められ、その舞人となるべく遅蒔きながらも舞の稽古を始め、その屋敷に通うようになったのであった。
さて今回のことであるが、つまり智成は右大将より直々に、強引な休暇のお誘いを頂いたということなのである。
「小鹿殿、また宇治の右大将殿からお誘いか?先月もそうだったような気がするが…」
府生仲間の春日利親が、自分の席に戻った智成に近付いてきた。
「ああ、廿条殿。」
智成はふと我に返って利親を見る。
利親も先輩から若輩者扱いされ、『廿条殿』という不名誉な通称を頂いている。智成とは同期である上、そんな共通点もあり比較的親しかった。
「なあ小鹿殿、いっそのこと宇治の右大将殿の家司でもやった方がいいんじゃないか?それとも、稚児とか…」
利親が意地の悪い顔をして智成を笑うと、智成は感情を隠さず明らさまにムッとしてみせる。
「廿条殿!それは侮辱ですぞ…家司はともかく、稚児などとはっ!私はもう元服も済ませて…」
「冗談だ。真に受けるなよ。」
苦笑した利親に、智成はふくれたままで、吐き捨てるように言った。
「廿条殿の冗談はいつも性質が悪すぎるのです。」
「で、今回も行くのか?」
利親は苦笑したまま智成を伺った。
「もちろんですよ。“今を時めく”右大将殿のお誘いを断ったら、私の首が危ういですから。」
「そりゃそうだな。まあがんばれや。」
利親はポンポン智成の肩を叩くのであった。