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「なぜ動物は殺して良くて、人は殺してはいけないのか」という疑問について考える 〜サイコパス的思考を添えて〜

作者: 宇奈月 凪留

私が、「論理的だと思い、満足できる解」を得られていない疑問の一つに、「なぜ動物を殺しても許されるのに人を殺してはいけないのか」というものがある。


なぜ唐突にこんな話をするのかというと、偶然ネットで見つけた密猟問題のニュースが原因だ。

それを読んで、「動植物を殺めても良いのに人間を殺してはいけないのは何故か」という疑問が蘇ってきて、しかも私はその疑問に答えることができなかった。

ネットでも調べたが、私と同じ考えに陥ってる人の話以外に、納得できるものは何もなかった。




全ての答えは破綻している。

少し考えれば、「人間以外は殺しても良いが人間を殺してはいけない」という考え方がおかしいことは明白だ。


先の疑問のありがちな答えと、そのおかしい点を私なりに述べてみようと思う。



「人が殺されると悲しむ人がいるから」


確かにそうだ。家族や友人が殺されれば悲しい。

しかし、人間でなくたって家族はいるし、家族を失って悲しむような行動を見せる動物もいる。

そもそも、残された家族が可哀想だと言うなら、家族も一緒に殺してあげれば良いのだ。

家族や友人がいない人なら何も考えずに一人殺すだけで良い。

というより、天涯孤独で仲のいい人は殺していいと言っているようなものだ。

この答えは全く答えになっていないし、ただ「人を殺してはいけない理由」としても不成立だ。



「自分だって殺されたくないから」


なるほどその通りだ。

私も殺されたくはない。

しかしこれもおかしな話だ。

殺されたいと思う動物がいるだろうか?

死にたくないと思うのが大半、いや殆ど、若しくは全てであろう。

しかし人は日課のように動物を殺す。

人間はダメなのに動物は良いのか?

……殺されたい人間ならいるだろう。

だが、殺されたいことを理由に人を殺されたらたまったものではない、と人は考えるだろう。

これもまた答えたり得ないし、上と同じく「動物を殺してもいい」という部分を除いても成り立たない。



「相手の未来を奪うから」


こんな理由で人を殺してはいけないと言っている人が動物を殺したら、動物愛護団体が騒ぎそうだ。

動物にも未来はある!

動物に未来という概念があるかは私には甚だ謎だが、人間特権という謎理論を用いなければ理由として不成立だ。

そしてこれもまた動物の件を除いても成り立たない。

そいつの未来は本当に必要か?

正直、他人の未来なんてどうでも良くないだろうか。

それが例えば自分の子供、教え子、或いは友人、エトセトラであれば確かにその人の未来は大切かもしれない。

しかし、全く興味の無い人、周りに迷惑をかける人、或いは大嫌いな人。

私ならそんな人たちの未来まで気にかけたりはしない。

あなただってそうだろう?

他人のことなどどうでもいいし、ましてや嫌いな奴の未来なんて知ったことか。



「法律で禁止されているから」


素晴らしい!

なんで合理的で現実的な答えなんだ!!

というのは冗談だ。

法律で禁止されているということは、即ちやってはいけないことである、というのは一見理にかなって見える。

ところがこれは本末転倒なのだ。

法律で禁止するということはそれだけの理由があるはずである。

ここで私が求めているのは「法律で禁じなければならないような理由」であって、「法律で禁止されているという結果」ではないのだ。

余談だが、知人に「人を殺してはいけない理由をどう思うか」と聞かれた時に法律と答えるのはお勧めできない。

というのも、私はそう答えたら他人の気持ちを考えられないサイコパス野郎だと言われた。

なんて理不尽な。



「人類が滅びるから」


滅びてしまえこんな害悪な生物。

とは人間以外の多くの動植物の意見であろう。

環境を破壊し、生態系を乱し、挙げ句の果てには他の種族を自らの欲望のためにいたずらに殺戮する。

私が神ならこんな種族は即・殲滅である。

そもそも、殺人から人類の滅亡が始まるという考え方自体おかしいだろう。

何万人単位で亡くなっても、大戦争が起こっても、人類は滅びていないのだ。



「社会の機能を損なうから」


確かに、殺されるとなればわざわざ外出はしないし、人に殺される可能性の中で暮らしていくのは大きなストレスだ。

紛争地帯に行けばわかるだろう。

日々死ぬことに怯えて過ごすなど、並の人間が正気を保てるとは思えない。

尤も、その戦争の原因は人間だが。

そもそも、独裁国家や、他の国に害を及ぼす国家、地域、団体。

そういった社会の機能は、寧ろ停止すべきだろう。


しかし「善良な社会」であれば?

おそらくは「善良な社会」であろう国に住んでいる私としては、隣人がいきなり人を殺し始めたらたまったものではない。

自衛のためにその隣人を殺すことも吝かではない。

となれば社会性は損なわれる。

よってこの解は「人間を殺してはいけない理由」としては悪くないだろう。


だがしかし、数多の種を絶滅に追いやってきた人間がどの口でそんなことを言うのか。

決して少なくはない、否、非常に多い生物の社会を破壊してきて、自らの社会の崩壊だけは防ごうなど、傲慢も甚だしい。

「動物は殺しても良いが人間は殺してはいけない理由」としては不成立だ。

食べて命を繋ぐために殺す?

ならばお隣さんでも食べておけばいいだろう?




大分私が正気でないかのような文章になってしまった気もするが、皆さんお分かりの通り、

「動植物は殺して良いけど人間は殺してはいけない」理由なんてどこにもないのだ。


つまり、「動物は殺して良いが人間は殺してはいけない」理由など無く。

「動物を殺す理由」と「人間を殺してはいけない理由」が別々にであるだけなのだ。




異論は当然認める、と言うより寧ろ、異なる意見はどんどん欲しいくらいだ。

私は私の出した答えが絶対だとは思っていない。


尤もその主な理由は、眠れなくてふと書いてみることにしたから熟考したわけではない、ということであるが。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 良い点なし、詭弁に騙されないように注意しましょうね皆さん、 [気になる点] 人間を殺してはいけない理由は人間社会の平和を守るためです、はい終了。
[一言] 個人的意見ね。 まず、元々は禁止事項など何も存在しなかったんだよ。盗む犯す殺すとやりたい放題。 そんな世の中では安心して暮らせないでしょう? だから、宗教や法律によって罪を決め、罰則を与え…
[一言] なんか突き詰めてたら人間も殺してもいいって結末になりました(え) 人間が容易に動物を殺せるのは人間という種が知的でずる賢いという意味で他の種より優れてるからですよね。いうなれば弱肉強食という…
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