レビューを読もう。
どうも、檸檬 絵……じゃなかった、レモネード・イエローです(エッセイは大抵、ペンネーム変えているんでした)。まじめな話をまじめにするんじゃ華がないので、いつものごとく、ゆるーく記していこうと思います。
今日は、「小説家になろう」「小説を読もう!」におけるお薦めレビューをお勧めする文章を書こうと思います。
といっても、「レビューを書こう。」ではなく、「レビューを読もう。」です。なぜかって、私の書いたお薦めレビューが多くのかたの目に触れて、"私の推薦した"小説作品が多くのかたに読まれることを目論んで……みてもいいじゃないですか別に、たまには。
私はこれまでに何回か、マイページの「書いたレビュー」一覧へのリンクを活動報告に貼ったことがあります。おもにお気に入りユーザさんにご紹介するためです。そして、何度かこんなコメントをいただいています。
「レビュー自体が作品になってますね」
ふふふ、えっへん(ごめんなさい、調子に乗りました)。
いや、でもこれって、当たり前なんじゃないんですかね。手紙やメールなど、用件を伝えるためのものであれば「著作物」にはなりませんけど、レビューはれっきとした表現であって、「著作物」つまり、ひとつの作品なわけでしょう(いや、私にはかつて遠い昔に、メールの文章に凝りすぎてやがて返信が来なくなってしまったなんて失敗もありますけどね、はい。ただ、ここではこういう要らぬネタも楽しんで読んでいただけるものと高をくくって……じゃなくて、ええと……、そういう認識で小ネタを入れてますけれど……閑話休題)。
とすればですよ、「レビューを読むためにレビュー欄を見てもいいじゃないか」ということになるわけなんです。わかりやすくいうと、単に小説作品を探すための手段として読み捨てにするのではなく、レビュー自体を「いい紹介文だな」とか、「端的に表されている」とか、あるいは「詩的な紹介文だな」とか、そういうふうに楽しむのもありなんじゃないかと。
じっさいに「レビュー」という単語は、「批評」という意味をも持つ単語です。批評って別に、これから読む作品のものだけを読むわけじゃないですよね。文庫本の巻末にある「解説」だって作品の楽しみ方やとらえ方が書かれている場合があるけれど、そもそも巻末にあるのだし、本文を読み終えてから開きますよね(私みたいなひねくれ者でなければ、の話ですが)。あくまで本文を楽しむための補助的なものなのかもしれませんが、それでもその解説文そのものを楽しむ、という側面もあると思うのですよ。
なので、なろうにおけるお薦めレビューなるものも、そういった楽しみ方をしてもいいのではないかと思うのです。もちろん、お薦めする作品よりも目立ってしまうようなレビューでは本末転倒ですが、そもそもそうなってしまうような作品にレビューを書かれるかたというのはいらっしゃるのかな、とも思います。難しいところですけどね。
このサイトでのレビューは、新着欄と個々の作品ページ、レビューを書いたユーザのマイページなどから飛ぶしかなく、新着欄にしてもジャンルや分量表示などがないため、そういった読み方、楽しみ方は想定されていないんじゃないかなと思います。
でもそれだと、せっかく書いたレビューがどんぶらこっこと流されていき、読まれる機会が減ってしまう。ついでにいうと、せっかくお薦めしたいと思った作品も、レビューが読まれなければそこから誘うことはできない……(「ついでに」というと違和感がありますが、このエッセイの趣旨が「レビューを読もう。」なので、そこをはっきりとさせるためにあえて「ついでに」と記しました。「レビューを書く」側としては作品のお薦めが第一義的な目的になると思うので、そこは勘違いなされまするな)。そんなことじゃあ、もったいないですよね。
ただ、以前サイト運営の公式アンケートの自由記述欄に、新着レビュー欄の見やすさ(ジャンルや分量で分けるなど)などの要望を書いた気がしないでもないのですが(記憶が曖昧です)、こういうのってそもそも、読者の側がレビューを重視する風潮を広めて需要を高めないと実現できなそうな気がするのですよ。というわけで、レビュー文化推進のためにも、私はレビューそれ自体をもっと大切に読もうよ、という主張を書いたわけですね(もちろん最終的には、冒頭に示した野望「"私の推薦した"作品を読んでもらう」へと行き着くわけですが)。
さてと。
そんなわけで、そろそろこの文章を締めたいと思います。
最後に愚痴ろうかな……、やっぱりね、自分のお薦めした作品への反応が少なかったり、感想やポイントが増えなかったりするともどかしいのですよ。