黒い箱
私の人生を狂わせた、あの黒い箱の話をしよう。
それは高校時代の話だ。
私は所属していた部活の合宿で、夏休みにG県のとあるオートキャンプ施設を訪れた。
部活の合宿、と言う建前ではあるが、まあ特に意味はない。
要はレクリエーション活動だ。
受験勉強やら就活やらの息抜き的なもの。
ついでに言えば、まあひと夏の思い出作り。具体的に言えば男女のなんやかんやである。
おそらく集まった男女は似た様な思惑だった筈だ。
そんな中でBBQもうまく終わり、夕日も差し込んだころに定番のイベントが提案された。
「肝試ししようぜ?」
誰かが。
もう思い出せないけれど。
確かに「誰か」がそう言ったのだ。
「ここから歩いて十分くらいの場所に、結構立派だけど無人の家があるんだ」
曰く、そこは元々集落があったが、不便極まりなくなり遂に捨てられて無人になってしまったのだと言う。
「男女二人でペアを作ってさ、そこに行って戻って来るんだよ。それだけ。簡単だろ?」
「でも、ちゃんと行ったって証拠はどうするんだよ?」
誰かは少し考えていたようだが、どこからかそれを取り出した。
箱だ。
白い合板で組んだような小さな箱。手のひらサイズの指輪ケースみたいな物だ。
何故そんな物があったのか、あとで考えても遂にわからなかった。
「そうだな、リレー方式にしようか。最初に行くペアがこの箱を無人の家のどこかに置いてくる。隠すのは駄目な。それで戻ってきたら二組目に置いた場所を教える。二組目はそれを持って帰る。三組目はそれを持って行って置いてくる。四組目はそれを持ち帰る」
ペアは五組できる。と言う事は、最後のペアは置いてくる訳だ。
その箱を。
くじ引きの結果、私は最後のペアになった。
相手は……もう思い出せないが、クラスの女子だった筈だ。
いや、転校してきたばかりの少女だっただろうか?
いずれにせよ、肝試しは順調に進んだ。
異変が起きたのは三組目が戻って来たあたりか。
陽は落ちて懐中電灯を頼りに往復する。
最初はわからなかったが、三組目の表情が明らかに憔悴した物に変わっていた。
とてもではないが、距離が縮まったようには見えない。
それどころか、奇妙な質問を繰り返す。
あの箱の色は、黒だったか?
黒だった、か?
四組目が戻って来た。
持っていた箱を私に投げるように渡した。
……黒い。まるで夜を吸い込んだかのように黒い。
「これ、どうするんだ? 置きっぱなしでいいのか?」
私はそう訊ねたが、誰かの「明日回収するよ」と言う言葉に納得して向かう事にした。
道は迷うような造りではないが、それでも無人集落への道は足場が良くない。
私たちは慎重に歩く。クラスメイトの「誰か」の気配は心臓をスピードアップさせる効果はあった。
だが、そこで彼女が小さな悲鳴を上げる。
私たちが持っていた箱が。
黒い箱が。
明らかに何か動くような感触を掌に伝える。
カタカタ
カタカタ
カタカタカタカタ
誰かが虫でも入れたんだよ。
震える声で私はそう言った。しかし彼女はもう箱に触りたくないとヒステリックに答えた。
辿り着いた無人の家、と言うのはかなり古い平屋造りの一軒家だった。
周辺に家らしきものがあったような残骸もある中で、そこは奇跡的にも比較的まだまともな形で建っていた。
いや、家、ではない。
おそらく公民館の様な、何らかの集会場だったのではないだろうか?
適度な広さと、何かが据えられていたような台座。
お寺のようにも見えないが。
崩れかけた縁側の板に箱を置く。
箱はすでに黒と言うよりも、どす黒い色合いに変わっていた。
夜の中で分かりにくいものの、それは単純な黒ではない。
絵具を無秩序に混ぜ合わせた様な。
赤が混じった、乾いた血の様な黒。
とにかくこれで終わった。
二人で帰ろうと思ったが、一緒に来たはずの彼女が姿を消していた。
先に帰ったのかと思って私も急いで戻った。
……だが。
肝試しの終了は思いがけない形で起きた。
スタート地点に戻っても誰も居ない。
今夜宿泊するコテージにも誰も居ない。
先に戻った彼女も姿も見えない。
探し始めてほどなく「何人か」は見つかった。
ベルトやシャツを輪にして、思い思いに首を吊っていた。
この時は見つからなかったが、ほとんどの女子は崖からの飛び降りを選んだらしい。
高校生八人による集団自殺。
それは大きな問題として社会を大いに賑わせた。
ただ一人残った私は錯乱し、明け方に警察のお世話になり、数日後には静養を目的とする病院に入院する事になった。
後で知った話を二つ挙げてこの話を終わりにしよう。
この「箱運び」と言う肝試しの手法は、とある呪術に元ネタがあるらしい。
ただし、途中で箱の中を覗くと覗いた者に呪いがかかる。自ら死を選んでしまうかのように。
そう言う類のものだそうだ。
もう一つ。
辛うじて私が錯乱している中で、あの場所に置いてきた箱について警察も調べたと言う。
しかし箱はどこにも無かった。
どこにも無かった。
置いた筈の場所から姿を消してしまったと言う。
単に、何かの動物が咥えて持って行ってしまったのか。
それとも。
そこに箱を置いてあると知る誰かが持ち出したのか。
いずれにせよ、人を狂気と死に追いやるこの黒い箱は、今もどこかに置かれ、よりどす黒い姿へと変わっていくのだ。
クトゥルフかどうかはあなた次第です。