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幕府

 慶長八年(1603年)、ときの後陽成天皇の使者が伏見城に参り、家康の征夷大将軍就任の宣旨が言い渡された。そして、御所に参内した家康は、将軍拝賀の礼とともに天皇に対する年頭の祝賀を述べた。


家康は、これ以前に徳川派の九条兼考を関白職に就任させ、豊臣氏の同職世襲化を阻むことに成功していた。すでに詰め将棋は始まっていたのである。

「将軍様ともども、この関白兼考、天下のため帝のため善政を尽くしてまいりまひょ。むおっほほほほほ。」

「関白様、左様ですな。帝のためならば私財を投げ打ち貢献してまいる所存にて。」

言葉を交わし終り、無言で目と目が通じ合わせる。両者は、各々の利益が合致し協力関係を築くに至っていた。将軍就任後も、家康と兼考は、協力を続け豊臣家を追い詰めていくのである。


「関白様、この隣におる者が、わしの倅にござります。今後、将軍職を継がせるつもりにて今後とも良いお付き合いをお願いいたしとうござります。」

「私が徳川秀忠にございます。将軍を支え天下のために働く所存でござります。」

「これは、これは。大層立派な。お顔が似ておりますぞー。むおっほほほほ。」

徳川秀忠は、家康の三男であり二代将軍に就任し、江戸幕府の基盤を形成した人物である。秀忠は、関ヶ原の戦いにおける失策を咎められ家康から謹慎を命じられていたが、家康の将軍職就任が噂された頃から謹慎を解除され、諸大名や摂家、公家への挨拶回りに汗を流していた。


「最後になりますが、倅が後を継ぐというのは、どうか御内密にお願いし申す。」

「わかっておりますがな。むおっほほっほ。これが漏れたら大阪がうるそうて敵いませんよってのう。ほんに。むおっほほほほ。」

「察してくださったようで。何より。今後ともよろしゅうお願いし申す。」

会談が終わると、付き人を務めていた本多正信から関白に桐の箱が手渡された。

「まぁ。これは、これは。助かりますぞー。さすが家康殿は、違いますな。むおっほほほほ。」

この中には、金子が入っている。関白は、大層、ご満悦なご様子だ。そして、大坂方は、言うまでもなく将軍職就任に不快感を滲ませていた。


一方、その頃、毛利家は・・・・。

物騒な騒動を起こす計画を立てていた。瀬戸内や四国山間部に集まる浪人を結集させて藤堂家が収める今治宇和島を攻撃するというもので、五千を超える兵を召集することに成功していた。

「この計略によって藤堂を混乱に陥れ、大坂か江戸を頼れば我ら毛利にも召集がかかるだろう。それによって、功を立てれば僅かながらも石高が増やされるかもしれぬ。」

こう申すのは、吉川広家である。先の戦の挽回を図ろうとしたのだ。

「あい、わかった。この策、広家に預ける。」

「ははっ。」

「あわよくば、先の大戦のごとく戦が東西に分かれる激しいものとなれば、そのときは、我らの旧領をすべて取り戻すのじゃ!」

輝元は、鼻息を荒くし野望を語っていた。


博打に打って出ようとした毛利の計画が実行に移されるときが来ようとしていた。海から船が、山間部からは不満を抱いていた農民を巻き込み扇動部隊が決起しようとしていた。

「我ら髑髏軍、一心同体にて!敵、藤堂を討ち果たさんとす!!」

「高虎よ、年貢の納め時じゃぁ!!!死ねい!!」

闇夜の中、髑髏軍総勢三千が宇和島の海岸に上陸、山からも二千の兵が電光石火のごとく雪崩を打って宇和島城目指し進軍を開始した!!

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