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老獪

 1611年五月末。豊臣方の京制圧により、天下が再び揺れ動きつつあった。徳川氏の征夷大将軍位剥奪と同時に、豊臣秀頼への関白職就任を取りつけたからである。しかし、朝廷内部も豊臣方に脅迫されたことへの恨みや不信感が渦巻いており、一部の公家が東国に逃亡したことが露見していくこととなる。


 将軍職剥奪、関白奪還は、「豊臣政変」と人々に呼称された。政変を受け、素早く動いたのは、老獪な家康であった。包囲していた津城近辺を離れると翌日には彦根城に大軍を率いて入城した。徳川を支える名門、井伊家の居城に篭り情勢を分析しつつ京奪還を目指す算段である。


「城の普請、あまり行き届いてないのう、直継よ。」

「すすす、すみませぬ!このような乱があるとは思わず。お詫び申し上げ申しまする・・・。」

「言い訳は、よい!戦を常に想定せい。秀頼を駆除するまでは、安眠できんことよう考えい!!」

彦根城の防御が甘いことを家康に悟られ、城主、井伊直継は皆の前で叱責されてしまったのだ。井伊直政の嫡男として後を継いだものの病弱であったことも災いし、統治が上手く行っていなかったのであった。井伊家家中および幕府内では、直継の弟、直孝を大名に推す声もあるほどである。


 家康による直継への直接な説教がありつつも彦根城に大軍を集めたことを豊臣方含め全国に号令を発して知らしめた。これは、徳川家の参謀役、本多正信の発案であった。津城攻略に手間取るであろうことを計算する豊臣家の戦略を狂わし、圧力をかけることが最大の狙いであろうか。


 幕府軍(徳川方は、以前として幕府軍、官軍としての立場を取る)の彦根入城の報告を受け、大坂城では、直ちに作戦会議が開かれた。

「家中の者ども、皆仰天しております。兵の士気、すこぶる悪化。」

「片桐殿、そうでござるか。ほれ!天候が変わってきたぞ。その責、どうするのじゃ、安房守!!」

大野治長は、気が動転し、真田昌幸を責めたてた。


「う~む・・・。弱りましたな。しかし、伊勢、伊賀は、以前として丹羽高吉とそれがしの子が手にしていますな。」

「だからなんじゃ!」

治長は、またしても昌幸に歯向かおうとする。そこに関白秀頼が割って入った。

「治長。落ち着け。そちが我らを思う気持ちは、わかる。じゃが、もう降伏は、できん。」

「はっ・・・。」

「では、安房守。続けよ。」


 昌幸が作戦を話す場が秀頼にとって整えられると、昌幸は、即座に話を続ける。

「ははっー!関白殿下自ら仲裁に入り、それがしを助けていただきかたじけのうございます。」

昌幸は、津、伊賀上野の兵が敵包囲軍に勝てば、彦根に篭る幕府本軍を叩けることを指摘した。豊臣本軍と丹羽高吉軍が家康を挟み撃ちにすることで勝機が見えるという。秀頼は、その説明に納得し、ひとまず家中の混乱を収めることを下命した。


 幕府軍の彦根入城と同日に紀伊熊野にて農民や豪族が蜂起する事件が勃発した。昌幸が放った忍び、佐助が農民らを扇動し、乱が起こされたのである。乱の勃発に動揺したのは、紀伊国を統治する浅野氏である。浅野は、軍を紀伊熊野に差し向けてきた。これは、豊臣家の思惑通りである。


 京の喉元、彦根に大軍を回してきた家康。それに怖気づかず、紀伊浅野家を混乱に陥れた昌幸。第一次上田合戦以来、激しい死闘を繰り広げてきた両者が再び老獪さを武器に合戦を繰り広げるに至った!!



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