二手
伊賀上野城占拠を果たした高吉は、次の一手をどうすべきか悩んでいた。徳川の軍勢八万が既に尾張に向かっているらしい。しかも、江戸には、後詰めとして将軍秀忠麾下三万の兵が控えているという情報も入手していた。
「うーむ。悩んでも悩んでも答えが見つからん。真田殿、何か秘策は、あらぬか?」
「山城、近江に徳川の部隊と井伊がおります。東には、徳川本隊が続々と終結しつつあります。この戦、大変難しうございます。」
「降参か。首をはねられるのは、嫌じゃぞ。」
「それがしも同じにございます。徳川本隊が出揃わぬうちに津城を攻略するが吉にございます。」
信繁は、従前の作戦通り、このまま藤堂氏の本拠地、津城を攻略することを進言した。
「津へ赴けば、京・彦根の敵軍が伊賀へ強襲するのではないか!?」
高吉が恐れていたのは、東西から挟まれることであった。
「京・彦根は、動きません。彼らは、大坂の抑えに過ぎません。これより、津城を攻め、伊賀、伊勢を抑えることを進言します。手は、既に打っております。」
「手とは、なんじゃ。申せ。」
「はっ。津城に居る三島殿。辻殿の友でございます。三島殿も作戦に密かに参加しており、我らの行動とともに津城に火を付けることを命じております。」
この戦争には、政信の部下、三島も参加していた。政信による作戦を信繁が受け、それを実施する手筈となっている。
「あい、わかった。これより、我が勢は、津城を落とし、藤堂高次を捕虜とする!」
作戦が家臣に伝達され、高吉勢は、伊勢に進出し、敵の本拠地を叩くための軍事行動に打って出た。
「申し上げます!津城より火が出ております!城兵は、恐れおののき逃げ惑っている由!!」
「ふはははは!でかした、三島!この高吉、次会うたら三島に褒美を渡す。」
高吉勢は、津城に近い野山に陣を張った。藤堂家の旗を使わず、丹羽家の旗を先の戦いと同様、使用していた。津城武器庫、食糧庫より火が上がり、それを合図として高吉勢は、本丸への大砲による砲撃を開始した。
三島の攪乱の他に、信繁は、豊臣家に浅野、池田、福島、毛利、島津、黒田が付き、徳川討伐の機運が一気に爆発したとする内容の書状や噂話を垂れ流した。
「豊臣に浅野、池田、福島が付いたとは!!」
「大御所様率いる徳川本隊に加賀前田が襲いかかったらしいぞ!!」
「御屋形様が打ち首になったと聞く!誠かぁ!!もう終いじゃぁ!!」
信繁による偽情報に翻弄された津城兵の中には、城から逃げる者も続出し出した。嘘臭いはったりなのだが、このとき城内に高虎も渡辺勘兵衛、葛原半太夫といった家老格も居らず、そのため城兵の統制が効かなかった。伊賀上野城から津城へ逃げたと見られた藤堂高清は、家康の決起を聞き及び、尾張へ逃げていったという情報が高吉に入ってきた。
伊賀上野城攻略から四日後、津城は、高吉勢の総攻撃と内部離反から脆くも崩れ去り、天守閣が炎に包まれ落城した。高虎の後継者、高次は、城内の井戸の下から無傷の状態で見つかり、高吉に保護された。
「津城兵の者ども!我らの兵ども!この高吉は、実父の家、丹羽家を相続する!これより、伊勢丹羽家を興す!!」
この宣言に家臣が、どっと沸いた。
「高次は、藤堂家を正式に継ぐ!皆、心配すな!」
高吉は、家臣を敵に回すことは、しなかった。高次が藤堂家を継ぎ、伊勢の地を治めることを確約した。高次が元服するまで高吉が後見人となり、藩政を代理することとした。藤堂家に奉公する大方の家臣が高吉に下った。一部の兵は、津城を脱出し、尾張へ向かったようだ。何はともあれ、第二戦も制し、伊賀、伊勢を領し、家康と相対する構えとなった。
一方、大坂でも二手が打たれていた。外交交渉の開始である。しかし、豊臣方に付くと宣言する大名は、毛利以外、現れていなかった。
「うむぅ・・・・。福島も浅野も池田も駄目か・・・。」
「安房の守!やはり駄目ではないか!!切腹しろ!」
講和論を展開していた且元が昌幸に詰め寄った。
「まぁ、待て。早まるな。もそっとじっくり構えよ。」
主君、秀頼に諭され、且元も引き下がる他なかった。
外交を続ける中、福島正則から返答が来た。
「早く大御所様と将軍に謝罪されよ。福島家が両家の橋渡し役となる。」
手紙の内容は、こうだった。
「やはり福島は、小物よ!頼りにならん!」
昌幸は、イライラを募らせていった。
津攻略の報せが舞い込んできたと同時に、萩から政信が帰参した。
「毛利は、戦の支度を整えております。しかし、上方が豊臣優位とならないと動かないと私は、予測しています。」
「やはり、日和見か。皆、そうなのだろうな。」
昌幸は、落胆の表情を隠せず、弱音を政信に吐露した。
「ご心配無用です。治長様に命じて頂いた火縄銃の改良版が続々製造出来てきておると聞きます。」
「それじゃ!その包が使い物になるという、それが本当なら命中精度が何倍にも、射程距離も何倍にもなると。政信、そう申したな?」
政信と治長は、強力して政信発案の火縄銃改良を行っていた。火縄銃のライフル銃化で、銃口内部に螺旋状の溝を作ることや細かい改良をしてライフル銃に近い銃を生み出したのだ。
「誠にございます。これより、都を占拠すべきと進言します!ライフル銃を担ぎ、目の上のたんこぶを取り除きましょう!」
政信が檄を交えて次の作戦を進言した。
「あい、わかった。」
秀頼が作戦を承認した。豊臣勢は、外戦用の五万の兵を京に差し向けるべく軍事行動を公然と開始した!!




