船出
摂津に入り、疲労から倒れこんだ政信は、豊臣方に助けられ、大坂城に入場し、秀頼、治長と会談を行っていた。
「率直に伝えたい。辻殿、我ら豊臣の家臣になってもらいたい。どうじゃ。」
大野治長は、政信を勧誘した。秀頼は、にこりと微笑み、政信を見ていた。
「そ、そのような・・・。もったいなきお言葉にございます。」
政信は、高虎への想いもあり、勧誘を素直に喜べる心境ではなかった。
「暫し城内に残り、休息を取られよ。じっくりと考えてから返答すればよい。」
片桐且元は、政信に優しく語りかける。ことが急すぎるだけに回答を焦らせる必要は、無いと考えた。
秀頼、治長らとの会談から数日経ち、再び秀頼に呼び出された。
「答えは、出たか。政信。」
秀頼が静かに政信に問いかける。政信は、暫く黙り考え込み、そして、恐る恐る口を開いた。
「はい。出ました。高虎公に身を絶縁された身である私は、行くところもありません。是非とも、秀頼君に仕えたいと思っております。」
その答えに秀頼はじめ大阪方の家臣が湧きかえり、歓迎された。そして、治長から具体的な雇用条件が示されていった。
「決まりでござるな。辻殿には、朝廷より官位を授けたいと思っておる。一団を率いる将としても期待しておる。」
大坂方は、政信を高く評価しているようだ。政信もまんざらでもないと思った。
これより、辻政信は、新たな船出を迎えた。大坂城内の警備役を与えられ、その任に当たる毎日が始まった。
「政信殿ー!!拙者でござるー!!!」
「お!?八兵衛かぁ!!暫くだなー!!」
大坂城の正門前に見覚えのある男が居た。宇和島の乱において藤堂軍を苦しめ、戦後に藤堂家に出仕した八兵衛だった。彼は、政信が追放された後、高虎の不興を買ったために追放処分に処されたのだという。
「何奴!!捕らえーい!!」
「待ってください。これは、八兵衛と申して、藤堂家に仕えていた者です。有能な男ゆえ、話をまず聞いてやってください。」
怪しまれた八兵衛に政信が救いの手を差し伸べた。同じ釜の飯を食った者が近くに来てくれたらそれは、幸いなことである。
八兵衛は、尋問を受けるが、政信の計らいもあり、大坂方に仕えることが決まった。このように大阪方は、全国の浪人を駆り集め、その兵数は、膨らむ一方であった。ただし、そんな状況を面白く思わない者が居た。それが、大御所、徳川家康、その人である。
「秀頼君、大御所様から近々、会いたいとのお申し出にございます。」
「うむ。そうか。治長、且元、わしは、どうすればよいのじゃ。」
「・・・・会わないほうが身のためかと思います。」
「いや、修理殿。江戸からは、もう十回近く催促の手紙が来ておる。伏見周辺に二万近い兵を集めているとも聞く。」
「片桐殿!何を狸に怯えておるのじゃ!!」
治長は、家康に配慮を見せる且元に激昂し、罵声を浴びせると、且元も怒りを爆発させ、会議が平行線を辿ってしまった。
「うるさいわ!大御所様は、わしの妻のおじじ上でもある。わしは、会うてもよいと思うておる。」
「しかし、危なくは、ないでしょうか。」
「修理殿、それでは、加藤清正殿と福島正則殿を頼っては、どうかとわしは、思うのじゃが。」
片桐且元が案を提案した。清正ら豊臣恩顧の大名を仲介役兼護衛役と出来れば家康と会見が安全に行えるだろうという読みであった。
「それでよい。わしは、おじじ上に会うぞ。」
「はっ・・・・。」
秀頼の一決によって、家康と会見を行うこととなった。史実の二条城会見よりも二年早い会見の実現となる。
東西両雄会見の噂が政信の耳にも入ることになった。
「会ってよいのか・・・・。家康は、秀頼君の聡明さと将来性を見越して大阪城攻めを決めたという・・・。」
政信は、思案を巡らせるが、解決策が見つからないし、策を上奏できる立場にもない。
「やはり、歴史の収束に・・・。歴史は、変えることが出来ないのか」
政信の苦悩が続く中、駿府に居る家康は、高笑いをしていた。
「そうか、そうか。秀頼がわしに会う決心をしたか。どんな男になっておるか見ものよのう。」
「豊臣は、捨て置けませぬぞ。大御所様。必ず、我が徳川家に害を及ぼします。」
「わかっておるわ、天海。そう焦るな。」
「はっ・・・」
徳川、豊臣、政信、諸大名、それぞれの思惑が絡みながら歴史は、着実に動き出していた。