窮地
藤堂家家臣は、上方旅行を終え、政治の職務を再び開始した。久々にみる領地は、妙に懐かしく思えたが、また忙しい日々を迎えるのかと思うと少し憂鬱な気分だった。それは、政信も同じである。
政務に専念し出して数週間が経った頃、幕府からの使者が宇和島を訪れた。
「征夷大将軍の命により、宇和島に参った!辻政信という家臣を江戸に連行する!連れて参れ!!」
天海が差し向けた使者である。幕府の世を乱す不穏分子だと認定された政信は、同日、藤堂家家臣に捕縛され、幕府の使者に引き渡されてしまった。
「理由を問う!なぜ私が!宇和島の領民のために務めておるのに!!」
政信は、命の危機を感じたこと、そして、現実に起きた不条理の前に理性を失っていた。
「話は、江戸にて伺う!その首を心配しておったほうがよいぞ。最後だけは、うまいもんを食わしてやるわ!ははははは!!」
政信は、強く舌打ちをした。無意識に。確かに政信は、未来を知る者の特権を利用して歴史の塗り替えを図ろうという思いを持っていた。しかし、主君高虎は、家康を第一に考える忠臣である。政信が何を考えようが、企てを実行することは、難しい。
不安な心が意識を支配し、体をも支配する。なんだか重い気分だ。そうこう考えるうちに江戸に到着した。江戸城内の牢獄に投獄された。
「まるで幕末の志士のようだな。自らに見覚えは、ない無実な身でありながら・・・。」
政信は、意気消沈し、食事もあまり喉が通らなかった。食事といっても少ない雑穀を粥にした、ほぼ湯の粗末なものであったが。
「わしが天海であーる。けけけ。みすぼらしいのう。」
「あ・・・あなたが。かの有名な・・・。一体、何の真似・・・か・・。」
政信は、声を振り絞り、自らを嵌めた憎き者を睨んだ。
「お主の素性を答えい!!!!!」
天海は、激しい口調で政信を詰問する。
「・・・・・宇和島の農民じゃぁ!武を殿に買ってもらって足軽にしてもらった!」
エネルギーを振り絞り、ウソの経歴を話した。ただ、本当のことのように振る舞うことを心掛けて。そういうペテンは、自信の得意とするところなのである。
「嘘臭いわ!関ヶ原、そして宇和島の乱にて使った兵器は、なんじゃ。言い訳は、許さんぞ!」
あっと思った。「そうか、あの手榴弾が疑惑になっていたのか。」と心の中で呟く。
「・・・・あれは、私が考案した代物でございます。火薬を中に包み、鉛で包んだもの。それが、なにか?」
神妙な顔をして、とぼけた表情で相手に訴えかけてみる。
「あれは、今の世には、存在せんカラクリじゃぁ!!」
「? 今の世とは・・・・??」
天海は、うっかり口走ってしまった。
「あ、いや。その、いや。なんでもない。」
「幕府が我が藤堂の新式手投げ弾が欲しいというなら・・・今度、我が主君に頼み、現物を供与しますが。」
ここで、軍人としての才が活かされ形勢が逆転された。天海は、薬剤師であり、交渉術には、あまり長けていない。その点が、政信との差として表れた。
「天海殿!!将軍から文にございます!!」
ここで、助け船がやってきた。
「なんと・・。うむ・・・・。将軍と大御所に接見せよ。連れてまいる。」
天海は、苦い顔をして上司である秀忠の指示に従い、政信を檻から出し会見の場を与えた。
「面をあげい! そちが、藤堂家臣、辻じゃな。」
「はい。辻政信にございます。無位無官の身のしがない貧乏武士でございます。」
「はははっ!!これは、これは。気に入った!」
飾り気のない言葉と態度が、将軍秀忠の心を刺激した。秀忠は、笑みを浮かべている。
「此度の件は、じゃ。天海の勝手な行動にて。すまぬことをしたのう。」
今、喋ったのは・・・見た目からして、家康だ。先に喋ったのが若い男であることから秀忠だ。伏見では、城外で待機させられていたことから徳川父子に会うことが出来なかったため、偉人に会い、気持ちが高ぶった。
「有り難き幸せにございます。幕府のため我が主君ともに政務に精進いたします。」
これにて、政信の疑惑は晴れ、三度、宇和島の地に向かうのである。
「ほれ、出てこい。」
「失礼いたします。」
家康に促され、出てきたのは、高吉だった。高吉は、高虎に政信の潔白を示すことを命令され、江戸に赴いたのである。将軍と大御所を説得し、なんとか政信を救出することが出来た。
「殿・・・!感無量です。」
政信は、涙を流して高吉に寄り添った。この男が、これほど涙を流したことは、今まで無かった。それほど辛く命を覚悟していたのだ。
されど、去り際に家康が政信に近づき、首を扇子で押さえつけた。
「・・・しかしのう。我が徳川を討ち果たそうと心に決めたとすればじゃ。」
場は、一瞬のうちに凍りつくした。気温が氷点下になったかのような肌寒さで身震いが止まらなくなる。
「ほほほ。その震えを忘れるな。高虎でさえ所詮は、我が天下の道具に過ぎぬわ!」
「しかと、しかと、心得申す・・・・!!」
高吉が頭を下げ、その場が収まりを見せた。高吉であってもその屈辱を痛感したようである。政信は、「天下人」の凄みを肌身で理解をした。
「己・・・!」
政信は、内心、こう呟いていた。繰り返し、繰り返し。