神埼美桜
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
国内有数の食品会社、そこの総務部の一角から昼休みだと言うのに規則正しいタイピング音が響いてくる。
しかも異常に速い。
早すぎて残像さえも見える。
「……」
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
打っている本人は無表情だがどこかやる気の無さを感じさせる。
表情とは真逆の速すぎるタイピングはミスマッチ過ぎて怖い。
だが幸いな事に彼女以外は昼休みをとっているため誰もいないのでドン引きする人間はいなかった。
カタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタカタ
「……」
カタカタカタカタカタカタ……
不意にタイピングが止まる。
同時に視線は扉の方へ。
そこにいたのは茶髪のどこかひょろひょろしたチャラい男がコンビニの袋を片手にへらりと笑っている。
10人が10人見とれるであろう男を瞳に写しても彼女の表情は変わることはない。
むしろより無表情になっている。
「え?そんな嫌そうにしないでよ~」
「……“嫌そう”ではなく“嫌”が正しいですよ、椎名人事部長」
抑揚なく淡々と事実を言ってしまうと彼女の視線はまたパソコン画面に向けられる。
そして速すぎるタイピングが始まる。
無駄のない行動に男 椎名弥生は苦笑いを浮かべてから彼女の隣の席に行き、遠慮なく座る。
男が至近距離にいると言うのに彼女はパソコン以外何も見ない。
「……ねえねえ、美桜ちゃん」
「……」
「君、またお昼抜くきかな?」
カタ……
たった一言。
それだけで彼女の動きは止まった。
弥生は悲しげに眉を寄せ彼女を見つめる。
「……興味ありません」
一言。
そういってから彼女の手はまた動き出す。
総務部にいる彼女、神埼美桜は昼休憩だろうが定刻だろうがひたすら仕事に打ち込む仕事人間。
そんな彼女は定刻から一時間過ぎるとさっさと仕事を切り上げ足を家路へと向ける。
特に急いでいるわけではないが速すぎる彼女の動きに最初のころ同僚達は驚いていたが二年も見ればなれたのか「お疲れ~」と気楽に言う。
ただし、彼女は会釈をするだけでさっさと帰って行く。
美桜の家は築30年のボロアパート。
その二階の一番階段が遠い部屋が彼女が住んでいるところだ。
いつも通り鍵を開けドアを開け玄関で靴を脱いで中に入る。
部屋は人が住んでいることを疑うぐらい殺風景だ。
いや、殺風景というよりは物がまったくない。
かろうじてキッチンには調理器具があるが二つしかないもうひとつの寝室には人の痕跡すらなかった。
「……」
美桜はゆったりとした動作でスーツを脱ぎ、スエットに着替える。
そしてそのまま寝室に行き……寝た。
風呂に入るおろか夕飯すら食べずに。
「……」
黒い瞳は何の光も放たずただ暗い天井を写すだけ。
「…………今日も寝れないか」
小さく呟いてから少しでも休む為に視界だけ閉じた。
その瞬間、瞼の裏に写ったのは彼女の失った家族。
その死の様子だった。
「……逝きたいな」
神埼美桜、20才。
自殺志願者ではなくただ死を待つ女。