第四章
第四章 ペテン師と悪魔
『カタカタカタッ、カタカタカタッ』
軽快なリズムでキーボードを弾いていく、パソコンのモニター画面ともう何時間向き合っているだろうか、流石に目が疲れてきた。
検索し始めたキーワードは『短期間で大金を稼ぐ方法』。ひよ子はそんな方法はないと言っていたが俺もそんなに世の中甘くないとは思っている。ただヒントでもあればと夜通しかけて調べていたとこだ。
最初のキーワードからいろんなブログやらサイトに行き着いた。序盤はシンプルに体一つで出来そうなことを調べていたのだがデマや詐欺っぽいのが多かった。
流石に世の中そう甘くはないと今度は今ある金を元手に増やせないかと調べてみた。これにはいくつか方法があった。
対象年齢外ではあるが、『FX、株、ギャンブル』、こちらの方がまだ現実的ではあったが如何せん俺には知識がない。なので投資系は省きギャンブル系に絞ったのだがとある電子掲示板で競馬ファンの連中に質問をしてみた。
『五十倍のオッズに百万入れて五千万にしたいのですが難しいですかね?』と。するとこういう返事が返ってきた。
『人生なめるな!』と。
確かに俺は常人では考えられない事をやろうとしているのかもしれない。短期間で五千万なんて大金を手にするなんて不可能であろう。しかし今はその不可能を可能にしないといけないのだ。
背中側の窓辺から朝日が差し込んできたのをモニター越しに確認したとこで俺は手を止めた。
「疲れた……」
座っていた椅子に背凭れをして眉間に右手を添える。このまま眠りに就こうかとも思ったがどうせ興奮して寝れないのだ。
ならばと立ち上がり箪笥から白いロングTシャツとジーパンを取り出す。着替えを済ませた俺は自室を出て階段を降りると居間を抜け店の売り場へと出た。
靴を履きながらふと、横を向くと母親がレジ台の椅子に座っていた。
「珍しいわねぇあんたが日曜以外で朝から起きているなんて、何処に行く気なの」
靴を履き店の入口に立つと俺は母親の方を振り向いた。
「ハローワーク」
「お母さん、嬉しい……」
母親が泣きそうなくらい嬉しそうな顔をするのを何年かぶりに見た気がする。すまないお母さん、嘘だ。良心を痛めながら俺は店を後にした。
何も考えはない、何処に行くかも決めていない。自分の足が向かっているのは海上橋でもなければ本屋でもなく病院でもない。俺が向かっているのは街方面とは逆車線のバス停で時刻表も見ずに偶然目の前に止まった行き先も良くわからないバスへと乗り込んだ。
バスの中は平日の通勤時間を過ぎていたおかげか意外と空いており、俺は適当に空いていた窓辺の座席に腰を下ろすと車窓の方へと視線を向けた。
バスは住宅街を抜け海辺の道を進んで行く、見慣れない景色、見慣れない町並み、二時間程バスに乗車した後、漁村のような風景が広がる場所で俺はバスを降りた。
小さな木造小屋の中に色落ちした青いベンチ、潮風で風化したのか錆ついた時刻表、古臭さを漂わせるバス停を出ると目の前には港が見えた。
港には数隻の船が停泊しており波止場の上には漁網が置いてある。見慣れない光景と潮の匂いに誘われて港の方に近寄ってみると港の隣は丘になっていて丘の上には公園のような施設が見えた。
(見晴らしが良さそうだな)
丘の上を見上げてそう思った俺は公園へと続く階段を上って行く、道中は傾斜が緩やかで然程疲れも感じず丘の上に着くことができた。
公園だと思っていた広場には遊戯施設など見当たらず、広場の真ん中に木造の屋根が設置されベンチがふたつ置かれているだけだった。
何気なしにそのベンチに座る。ここから見える景色は思っていた以上に良く、目の前には大海原が広がっていた。遠くの沖合には漁船が見え近くの岩磯には波が打ち寄せている。打ち上げられた白波をぼーっと見つめながら俺は深い溜息を吐いた。
「なにやってんだろう……」
自分でもこんなとこで海を眺めている場合ではないことは重々承知している。ただあのまま家にいたら気が狂いそうで飛び出してきたのだ。
今更だが俺にとって紅音は大事な存在だったことに気付かされた。しかしそんな紅音に俺は何もしてやれない。俺はなんてちっぽけな人間なんだ。
「ちくしょう!」
自分に対する怒りから大声で叫ぶと右の拳でベンチの上をおもいっきり叩いた。
「どうかされましたか」
「どうにもならないからイラついてるんですよ!」
「それはそれはカルシウム不足でしょうか」
「違うと思いますがね……」
って、俺は誰と話しているんだ……。
声のする方、後ろを恐る恐る振り返った。
「うわぁぁ!」
あまりにも突然のことに俺はベンチから転がり落ちるようにして地面に尻餅をついた。
「さっ、彩花さんこんなとこで何をしているんですか……」
俺の後ろに立っていたのはまさかのまさか黒いドレスを着て紅いレンズのサングラスをかけた彩花さんだった。
「人の顔を見てお化けが出たような悲鳴を上げないでくださらない」
「すっ、すいません……」
「この辺は私の故郷でしてね、今の長谷川さんの質問は私の質問ですよ」
俺はただ「はっ、はい」と首を縦に振る。驚いているせいかそれ以上言葉が出てこない。こんなとこで彩花さんと再び会えるとは思ってもいなかった。
「まあいいでしょう。貴方をお見かけしたので缶コーヒーを買っておきました。長谷川さんベンチにお掛けください」
彩花さんは両手に持っていた缶コーヒーを掲げてニコッと微笑む、俺はただ頷くだけで彼女の言う通りにベンチに腰を戻した。
「どうぞ長谷川さん」
「すいません」
彩花さんから受け取った缶コーヒーのタブを開け一口だけ口に含む、それから残った缶コーヒーをベンチの上に置き目先の景色を眺めると少しだけ落ち着くことができた。
「さっ、彩花さん、先日貰ったお金なんですが!」
視線は目の前の海、隣を向けば彩花さんの美貌に見蕩れてしまいそうだった。
「はい」
「本当に俺なんかが貰って良かったんですか」
「ええ、あれは長谷川さんに差し上げたお金ですよ」
良かった……あの金は少しでも紅音の手術費の足しになればと思っていたとこだ。
「……彩花さん!」
「はい」
「……………」
ダメだ。彩花さんに会えばいろいろと聞きたいことがあったはずなのに、頭の中がこんがらがって言葉が出てこない。
「長谷川さんもう少し落ち着かれませんか。私は逃げも隠れも致しませんのに」
チラッと横目で彩花さんを確認するとベンチの上に置いていた残りの缶コーヒーを一気に飲み干す。それからベンチを跨ぎ彩花さんと向かい合うようにして腰を下ろした。
「彩花さん、貴方にいくつか質問があります!」
彩花さんはこちらを向いてはいない。海の方を向いている。脚を組み両手はベンチの上、視線も先程まで俺が見ていた沖合の方を見ていた。
「お答えしたくはありませんね」
彩花さんは沖合を見つめたままぼそっと呟いた。
「どっ、どうしてですか」
「質問にもよりますが長谷川さんは私の好きな食べ物やスリーサイズを知りたい訳ではないでしょう」
「スリーサイズには少し興味はありますが……」
「ではお答えしましょうか」
「いえ、今はいいです」
「ふふふ」
彩花さんは不気味に微笑むと缶コーヒーを一口、口に運び俺の方を振り向く。
「長谷川さん貴方が何を質問したいのかだいたいの予想はついています。この前の件に関する事ですね。ですが私別れ際に言いましたよね、あの日の事は夢だと思ってくださいと」
「ええ、言ってました」
「本当は忘れてくださいと言うつもりだったのですがそう都合良く忘れることはできませんよね」
「はい、今でも鮮明に覚えていますよ」
「あはは……私は今、あの時長谷川さんに夢だと思えと言っておいて良かったと思っています。まさか長谷川さんと再びお会いするとは夢にも思っていませんでしたから」
「俺もです」
彩花さんは再び視線を沖合の方に戻すと「ふぅ」と軽い吐息を吐く。
「いいでしょう、夢の続きです。お答えできる範囲であればお答え致しましょう」
夢だと言うのであれば躊躇はない、この人が一体何者なのかさえわかればネットの情報なんかよりもよっぽど有意義な情報のはずだ。俺には今、短期間で大金が必要なんだ。
「彩花さん率直に聞きますよ、この前の件ですが、あれは彩花さん恰も偶然のように装っていましたが実は全てが嘘で狙ってやっていたんじゃないんですか?」
俺は彩花さんの横顔をまじまじと見つめて言い切る。しかし彩花さんに動揺する様子はなく、視線は遠くの海を見つめたまま落ち着き払った声で呟いた。
「どうしてそう思われたのですか」
「先日は貴方の指示にだけ従い、自分で何かを考える暇もありませんでした。だけど後日冷静に考えるとやはりおかしいんですよ。仮に早乙女に言い寄られたとしても断って関わらなければいいじゃないですか。何度もわざわざ付き合った挙句に自分自身を賭けてゲームをするなんて普通じゃ考えられません」
「ですが長谷川さん、もし私自身、いえ私の家柄が経済面で早乙女財閥と関わっているのだとしたら? 彼の誘いは断れませんよね」
「それは早乙女が最後に言いましたよね、貴方が偽名を使って自分の正体を隠していたと。それでも何処か名家のお嬢様だって可能性は否定しません。否定はしませんが何となくわかるんですよ。貴方の常人じゃ考えらないような行動と細身の男を追い込んだ時のあの微笑み、彩花さんは品はありますがお嬢様なんかでは絶対ないはずだ」
「では長谷川さんは私が意図的に早乙女さんに近付き、意図的に好意を抱かせ、意図的にゲームを仕組み、賭けに勝つべきして勝ったとおっしゃりたいのですか」
「ええ、まったくその通りです」
「ふふふふふ」
彩花さんは薄気味悪い笑顔を浮かべるとサングラスを外し黒い髪を靡かせた。
「長谷川さん、そこまでわかっておられるのでしたら他に何を聞く必要があるのですか」
俺は動じない。彩花さんの目を真っ直ぐに見据え言い切った。
「彩花さん、貴方は一体何者なんですか」
彩花さんは俺の目を見てニヤリと微笑むとスーっと俺の耳元に口を近付けて呟く。
「私、ペテン師です」
「ぺっ、ぺっ、ペテン師?」
「はい、ペテン師です」
意外な答えに驚いた俺はベンチの隅まで後退る。そんな俺の反応を見て彩花さんは笑っていた。
「やっぱり彩花さんってそういう人だってんですね……」
「ええ、そういう人ですがおそらく貴方が思っているようなペテン師と、私は少々違うと思われますが」
「ペテン師はペテン師でしょう……」
「そうですね、ペテン師はペテン師ですが誰でもペテンに掛ける訳ではありません。私がペテンに掛けるのは財力者だけです」
「財力者?」
「はい。ですからその辺りのちんけな詐欺師と一緒にしてもらっては困ります」
「すると彩花さんは財力者だけを狙ってペテンに掛けてると」
「ええ。庶民の方を騙すことは致しません。それに私は詐欺のようであり詐欺を働いている訳ではありません。私がペテンに掛けるのは相手を勝負の舞台に引き出すまで。ゲームは真剣勝負でやっています」
「はっ、はあ……」
当初は驚いたものの彼女がペテン師だと言うのであればそれでいい。俺自身彩花さんはただ者ではないと思っていたのだ。
大金が手に入るのであれば手段は選ばないが一つだけ彩花さんの発言に疑問があった。
「あのぉ……彩花さん、ゲームは真剣勝負だと言ってますがゲームをやる前から俺に勝てると公言していましたよね、結果的には勝てましたが何故あの時勝てると言い切れたのですか」
「それは私だって勝つ算段ってのを考えてはいますからね」
「勝つ算段? そっ、そうだ彩花さん、何故あの日彩花さんはゲームに勝つことができたんですか。あの心理戦に置いて相手は人の心理を読むのに長けていましたよね、ならば相手の方が上手だったはず。彩花さんと別れてからずっと気になっていたんです、良ければ教えてくれませんか」
「その質問にはお答えしたくありません。自ら手の内を晒すペテン師なんていないでしょう……」
「彩花さん言ったじゃないですかこれは夢の続きだって、夢だと言うのであれば教えてください」
俺は真剣な表情で彩花さんに言い寄る。海を見つめていた彩花さんは「夢の続きですか……」そう呟くと軽い溜息を吐いた。
「いいでしょう、ただし話しをするかわりに一つだけ条件があります」
「条件?」
「はい、長谷川さんのことを信用していない訳ではありませんが職業柄個人の方と深い関わりを持つのはなるべく避けたいのです。ですので貴方との知人も今日までにしたいのですが、次もしお会いする事があっても互いに他人のふりをして相手には近寄らない。これを守ってくださるなら話してもいいのですが」
彩花さんの正体を知ったとこで素性を知らない俺が次に彩花さんと偶然会うことなんてあるのか疑問だが、用心深くなるのはペテン師故か、ただ一つ名残惜しいのは彩花さんの美貌だ。
財力者だけを狙っていると彩花さんは言うが、それが成り立っているのは彼女が女であり、美しいからではないのか?
目が肥えた財力者が魅せられる程の美女、こんな美しい女性と今後俺は出会えないだろうし、関わりも持てないであろう。
しかし俺は昨日から紅音のことで必死に悩んでいたんだ、この程度のことで有意義な情報が聞けるのなら安いもんだ。
「わかりました。次に会った時は互いに他人同士、彩花さんを見かけても声も掛けませんし近寄りもしません。だから教えてください、あの日何故彩花さんがゲームに勝てたのかを」
「いいでしょう。ではまず、憶測でもいいので長谷川さんはどうして私が勝てたと思いますか」
わからないとは言ったがあの日帰ってから自分なりにいろいろと考えた。何故俺が必要だったのか、いや途中で俺ではなかっと言われたが俺のプレイ中に対戦相手の細身の男に異変が起きたのは覚えている。彩花さんと交代する少し前、俺が投げやり気味にプレイをした時に男が初めてミスをした。
今思えばあれから細身の男の様子がかわった気がする。憶測でいいのなら自分の考えを言ってみるか。
「わっ、笑わないでくださいよ」
念の為に釘を刺す、彩花さんが「ええ」と頷いたのを見て俺は恥ずかしながらも自分の考えを口にした。
「しっ、心理の攪乱です! 彩花さんは相手の心理の攪乱を狙ってパートナーを必要とした。俺が投げやり気味にプレイをした時にあの細身の男がミスをしたんです。ひょっとして無気力な人の心理って読みにくいんじゃないんですか? あれから彩花さんに代わってあの細身の男の様子がおかしくなった気がするんです」
「無気力になると表情の変化が乏しくなりますからね、ですが長谷川さん何故あの細身の方の心理を攪乱するのにパートナーが必要だったのでしょうか」
「そっ、それは、出会ってすぐに彩花さんが言ったじゃないですか。途中で求めていたのは俺ではないと言われましたが……」
「ふふふ、私が言ったことを信じるのですか」
彩花さんは俺に視線を向け不気味に笑う。
「どういうことですか」
「長谷川さんの仰るとおりパートナーは必要でした。そのパートナーは別に貴方でも良かったのですよ」
「はっ、はい?」
「心理戦において相手の心理を攪乱させるのは上策でしょうが、別に私はそれを狙ってやっていた訳ではありません、そう見せるようにしていただけです。狙っていたのはまた別のこと、私の勝負はゲームの前から始まっていたのですよ」
「俺でも良かった? ゲームの前からって俺と出会う前からですか?」
「ええ、そうなりますね」
俺は彩花さんのつぶらな瞳を見つめたまま片唾をゴクリと飲み込んだ。
「さっ、彩花さんそろそろ真実を教えてください」
「いいでしょう」
そう言って彩花さんはまた沖合の方に視線を向ける。
「最初に言っておきますが貴方でも良かったのではなく、お金に困ってそうな方なら誰でも良かったのですよ。早乙女さんにゲームの内容とルールをお聞きしたのは一週間前と言いましたよね、私は一週間前から長谷川さんとお会いしたあの橋の上でずっと張り込みをしていたのです」
「はっ、張り込み? またどうしてあの橋の上なんかで……」
「地元の人間ならば知っているでしょう、あの橋がちょっとした有名スポットであることを」
「しっ、知ってはいますが……まさか彩花さんそういった人達に声を掛ける為にわざわざあの橋の上で張り込みをしていたんですか」
「ええ、どうせお金を差し上げるなら困っている方に差し上げたいと思いましてね」
「困ってるったってお金に困ってるとは限らないでしょう」
「長谷川さん、困り事の根本的な原因ってのはお金に直結することが多いのですよ」
そうなのか? 良くわからないがとりあえず俺は軽く三度程頷いた。
「でも彩花さんそれだけの為にわざわざあの橋の上に? 金に困ってる人なら何処にでもいそうですが」
「ここが重要でして、ただ困ってるだけではダメなのですよ。思い込む程困っている人でないと、何故ならただお困りなさってる方と比べ私に対する忠誠心が違いますからね」
さっきから彩花さんの発言に自論が含まれている気もするが本人がそうだと言うのであればそうなのであろう。しかし一つだけ引っ掛かる点がある。
「彩花さん、俺ってそんなに思い込んでいるように見えましたか?」
「ええ、それはもう。あれを迫真の演技と言うのでしょうか、鬼気迫るものを感じましたよ。あの日のことで唯一の誤算があるとすれば長谷川さんがあの橋の上でただ魚を見ようとしていただけだと知った事でしょうか」
「俺としては複雑な気分です……」
「お気になさらずに、そしてあの日私は長谷川さんと出会った訳です。その後は長谷川さんも知ってのとおりですね、切っ掛けは私の勘違いからでしたが今となってはいい思い出です」
そう言って彩花さんは脇に置いていた缶コーヒを手に持つと口元まで運んで行く。ちょうどその時、沖合の方から「ポンポンポンポン」とエンジン音を響かせた年期の入った古い漁船が俺達の視界を横切っていく。その漁船に彩花さんは見とれているのかしばらく沈黙が続き漁船が見えなくなったとこで痺れを切らした俺の方から口を開いた。
「まさか彩花さん今ので終わりですか?」
彩花さんは船が進んでいった航路をじっと見つめていた。
「長谷川さん船が走っている光景ってなんだか癒されません?」
わからくもない、さっきの光景はちょっと昔の人情映画を思い出す。耳を澄ませば空を舞う海鳥の鳴き声にさざ波の音、悩み事でもなければ一日中ここに座っていたい気もするが今はゆっくりしている暇などない。
「わからなくもないですが話しを戻してもらってもいいですか」
「そうですね、何処までお話ししましたっけ」
「ゲームを開始する前です、俺と彩花さんが出会ったとこ。ここからが一番疑問で何故俺なんかにプレイさせたんですか? 心理を攪乱する狙いでもなかったら俺がプレイしたことにより何もメリットはなかったはず。むしろ負け越してましたから彩花さんと代わったあの時点では不利でしかない、俺に先にプレイさせたことによりデメリットしかなかったはずですよ」
「ええまあ、普通に考えればそうですよね」
「あの時何故勝てたのか俺にはさっぱりわかりません、貴方は一体何をやったんですか?」
「私が何をやったのか。それを知っていただければ長谷川さんに何故最初にプレイさせたのかお分かりいただけるでしょうね」
そう言うと彩花さんは細身の男を追い込んだ時のあの悪魔のような微笑みを浮かべ俺に視線を向けてきた。
「イカサマです」
「えっ……ええぇっ!」
驚いた、一番ないと思っていたからイカサマの可能性なんて考えもしなかった。しかしそうなるといつの間に……。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、イカサマはゲーム開始前に早乙女から釘を刺されていましたよね」
「長谷川さん……イカサマを企んでいる者が事前にイカサマをしますとは公言しませんし、はいそうですかと引き下がる訳もないでしょう」
「でっ、でも早乙女は言った以上イカサマの警戒はしていたはずですよ」
「ええ、ですから長谷川さんに先にプレイしてもらったのですよ」
「イカサマの為に俺に先にプレイをさせた?」
彩花さんはコクりと頷く。
「言わば布石ですね、ひとつはゲームの流れを見たかった。どう進んでいくのか特にカードの動きを見たかった。もうひとつは相手側の心理の攪乱を狙ってみました。ですがそれは見せかけでして本質的には狙っていませんでした。悪いですが長谷川さんを少々利用させてもらいました」
「俺を利用した?」
「ええ、貴方が細身の彼の異変に気付いたのは私が貴方のやる気を削いだから」
「俺のやる気を……」
「私は演じていたのですよ、恰も勝つ気がないように諦め、貴方をイラつかせやる気を削いだ。それで長谷川さんは投げやり気味にプレイをし彼に異変が起きた。勝つ気がない人間の心理を読むなんて難しいものです」
「ですが彩花さん、狙いは心理の攪乱ではなかったんじゃ」
「はい、私の本当の狙いは早乙女さんの意識を逸らすことでしたから。細身の彼の異変に気付いた時に私は長谷川さんとプレイを交代しました」
「その時にイカサマを? 一体どんなイカサマをしたんですか」
「大変シンプルですよカードのすり替えです」
「はっ、はい?」
「ですからあの場にあった自分のカード三枚を一枚だけすり替えたんですよ」
「どうやって……」
「仕込んだのは最後に地下室を退室した時、長谷川さんに背を向けしゃがみ込んだ時にドレスの袖にカードを仕込みました。席に着いた後は簡単なカードマジックです、少々練習が必要ですが慣れれば貴方でもできます。腕の死角を利用して場にあるカードを回収し袖のカードと入れ替えたのですよ」
一瞬、彩花さんの発言を信じ込みそうになったが、ふと思う。そんなの無理だ、不可能だ!
「むっ、無理ですよ。だって余分なカードはあの場にありませんでしたし、事前に偽装カードを作るったってカードのデザインがわからないでしょう」
「わかっていたのですよ」
彩花さんは平然とした表情で呟く、聞いた俺は驚いて思わず声を張り上げた。
「なっ、なんですって!」
「いえね、これは賭けだったのですが早乙女さんって詰めが甘いとこありましてね。長谷川さんに言いましたよね、一週間前に早乙女さんからお電話でゲームの内容とルールをお聞きしたと。あれは嘘で一週間前に早乙女さんとは直接お会いしていたのですよ。その時にゲームの説明をするのなら詳しく知りたいのでカードも持ってきてくださいと頼んだらあの時ゲームに使ったカードを早乙女さんがお持ちになさったのです。後はメールするふりをして携帯のカメラ機能でカードの写真を撮って後日カードのサイズとデザインを分析して偽装したのですよ」
「あの日彩花さんが俺に言ったことってほとんどデタラメだったんですね……」
「敵を騙すならまず味方からと言うでしょう。長谷川さんに事前に知られては早乙女さんに勘付かれてしまう恐れがありましたので」
「だけどもし当日違うカードを使っていたらどうしていたのですか」
「その時はその時ですよ。長谷川さん、結果論なんて語っても同じこと。結果はひとつだけで十分でしょう。事前にあれこれ考え恐れていたらイカサマなんてやろうとは思いませんよ」
「まっ、まあ……そうですが。彩花さんが偽装したカードってのは?」
「『○』と記載されたカードですね」
「そうなると彩花さんは『〇』の記号が記載されたカードを二枚持ちプレイしていたんですね」
「ええ、細身の彼も大したものでしたよ。長谷川さんとプレイを代わってからも彼は本物の『〇』のカードを言い当ててましたからね。ですが私がオープンするカードは偽装カードである『〇』のカード。後は早乙女さんの意識を細身の彼に向けるように心理を読もうと演技をするだけ、ここまで上手く事が運べばもう私の勝ちです、相手は疑心暗鬼に陥り自ら自滅していくだけなんですから」
「自身を持って選択したカードが尽く外れるんですからね……俺、今彩花さんが正直怖いですがそれと同時に感心もしています。そこまで並の人間じゃやろうとする度胸もない……」
「そうですか? 私の立場になればわかりませんよ。それに私だって恐れていたことはありました。それは互いにカードを選択した後のフルオープンです。勿論それをやればすり替えも可能ですが私の手元に周りの視線が集まりますからね。ですがゲームの流れ上そういった義務付けがなかった。勿論途中で早乙女さんの提案でどうにでもなりますがやはり彼は甘かった。思っていたより早乙女さんが踊ってくれた、私の手の平の上でね。ふふふ、あれ程、細身の彼が取り乱してくれればもう意識はゲーム所じゃない。イカサマなんて考えは蚊帳の外、細身の彼しか見えない、負けを意識すると急に周りが見えなくなる。いくら余裕がありそうな人間でも窮地に立つと脆いものです」
無理だ……この人の話しを聞いて大金を得るヒントになればと思っていたが規格外、彩花さんは普通ではない。良く言えば異端児なのかもしれないがこの人は完全に頭がイカれている。今も俺の目に映っている彩花さんの姿はまるで悪魔、西洋の魔女をも思わせるその微笑みは見ているだけで背筋がぞっとした。
「やはり彩花さんって根っからのペテン師なんですね、真剣勝負なんて言うから……」
肩を落としつい口からポロっと出てきた言葉、後悔して顔を上げると彩花さんの表情から笑みが消えていた。
「長谷川さん真剣勝負の本来の意味合いをご存知でしょうか? 真剣で勝負をするのですよ、つまり生死を賭けて戦うのです。私が相手をペテンに掛けるのは勝負の舞台に引き出すまで。勝負は常に真剣勝負でやっています。当然の話しですが財力者の方達ってのはお金を持っている。ですのでお金だけでは動かないこともあるのですよ、時には自分自身を賭けなければいけない。私が女だから賭けが成立するってのもありますが私自身負ければ本望ではない上に何をされるかもわからない、負ければ死と同じようなものです。だから勝たないといけない、例えどんな手段を使っても私は常勝するしか生きる道がないのです。長谷川さんの先程の発言は不快ですわ」
「すっ、すいません……」
(機嫌を損ねたか?)
言わなければ良かった余計な一言……今ふと思いつい事がある。なにも大金を稼ぐ必要はない、持っている人から借りればいいのだ。
当然五千万なんて大金、借りれば死ぬまで返済することになるであろう。でも今は紅音の命の方が大事だ。おそらく彩花さんなら持っている、問題は彼女の機嫌なのだが今の所表情からは怒っている様子は見受けられなかった。
「あのぉ……彩花さん」と俺は猫撫で声で話し掛ける。
「なんでしょうか」
彩花さんは気の強そうな瞳で沖合の方を見つめていた。
「実は今、困ってまして……」
「そのようですね、お見掛けした時から察しておりました」
ならば話しは早いか、こういうのは勢いってのが大事だ。俺は靴も脱がずにベンチの上に正座をし彩花さんの方に頭を深々と下げた。
「彩花さんお願いがあります、俺に五千万貸してください!」
「えっ」
一瞬、戸惑うような声が聞こえしばらく沈黙が続く、それから徐々に聞こえてくる笑い声。
「はっ、はは……あはははははは」
顔を上げて見てみると彩花さんは前屈みになり笑っていた。
「長谷川さん貴方正気ですか? 一時間もまだ経っていないと思いますがわたくし先程、貴方との知人も今日までと言いましたし約束もしましたよね」
「はい、しました」
「長谷川さん、貴方約束も守れないのですか」
彩花さんはまじまじと俺の顔を見つめてくる。が、ここで引く訳にはいかない。
「ペテン師とした約束なんて守れるはずないじゃないですか……」
怒ったか? いや、彩花さんは口元に右手を添え目を細めていた。
「ふふふふふ、長谷川さんも仰る時はおっしゃるのですね、これは私が一杯食わされましたわ。ですが私も若いですが貴方もまだお若い。先日お渡ししたお金があれば十分でしょう。そんな大金が必要な事情があるなんて信じられませんわ」
「事情は話します!」
俺は彩花さんに紅音のことを話した。
話しを聞き終えた彩花さんは沖合を見つめたまま「そうでしたか」と一言だけ呟いた。
「長谷川さんの大切な人を助けたいって気持ちは良くわかります、私も五年前に母親を病気で亡くしましてね、うちは母子家庭で生活も苦しかったですから母親に満足な治療もさせてやれず今となってはそれが唯一の心残りでしてね」
「五年前? それじゃあ彩花さんが今の道に進んだのは」
「いえ、私は自分の意志で今の生き方を選びました。母の死は関係ありません」
「そうですか。彩花さん図々しいお願いだってのは重々承知しています。ですがわかってもらえるのなら俺に五千万貸してもらえないでしょうか……」
彩花さんは俺の方に視線を向けニコッと微笑む。その表情に安堵し肩の力を抜こうかとした時だった。
「それとこれとはまた別の話しです」
「えっ……」
「長谷川さん考えてくださいよ、貴方が五千万なんて大金返せる見込みなんてあるんですか? 返ってこないとわかりきっているお金を貸す程私は寛大ではありません」
「そっ、そこをどうにか……」
「どうにかって、失礼ですが長谷川さん今お仕事は何をされているのですか」
「自営業手伝いです……」
「財産は何かお持ちで?」
「ありません……」
「あのですね……長谷川さん、世の中には貧困が原因で飢餓や病気でお亡くなりになられる方はいくらでもいます。特にこの国は先進国ですからお金が生きる力、生命線と言っても過言ではないでしょう。お金がないのであればその現実を受け入れなければいけない。これは当然の事です」
「それはわかってます。わかってるから頼み込んでるんです! 彩花さんだって情くらいあるでしょう、悪魔じゃないんだから」
「ふふふ悪魔? そうですね私は悪魔かもしれません。少なくとも聖者ではありませんね。それに何故、私なのでしょうか」
彩花さんが悪い訳ではない、これを逆ギレと言うのかもしれないがさっきから彼女の発言を聞いてる内に頭に血が上っていた。
「彩花さんなら五千万円くらい持っているでしょう。あんな短時間で大金を稼ぐ人だ、ケチケチせず五千万くらい貸してくれてもいいじゃないですか!」
(しまった……)
逆上しているせいか思わず口から出てしまった言葉。彩花さんがどういう反応をしているのか恐る恐る視線を向けるや彩花さんは俺の顔を見て何かを思いついたかのようにニヤリと微笑んでいた。
「ほほぉ、私が意図も簡単にお金を稼いでいたように見えましたか?」
「いえ、そんな意味では……」
「いいでしょう、わたくし気が変わりました」
「えっ……」
「気が変わったと言っているのです。いいでしょう、三千万までならお貸ししましょう。ただし条件があります」
「条件?」
「ええ、今から私のビジネスに付き合ってもらいます」
「ビジネス……」
「もう私が何者であるかご存知でしょう。次のターゲットですよ、今からその方との勝負の予定がありましてね、貴方には私の代わりにプレイをしてもらいます。今回の条件は楽ですよ、私の指示には従ってもらわなくても結構です。ただゲームが終わるまで貴方が正気でいられたら三千万、お貸ししましょう」
「三千万ですか……」
「長谷川さん言っておきますが貴方個人に三千万もお貸しする程寛大な人間はいませんよ」
「…………」
確かに彩花さんの言う通りだ。何も保証がない俺に三千万、これはチャンスだ。それに条件も楽そうだし断る理由もない。
「わりました。俺も連れて行ってください」
いつぞや見た光景、彩花さんは不気味に微笑むと「いいでしょう」と承諾してくれた。
その後は彩花さんが携帯でタクシーを呼び、それに俺も乗車する。行き先は聞いたことのないとこだったがそれについては大して気にもしなかった。
前回、彩花さんに同行してみてわかったことがある。それは俺自身がいくら慎重になっても一緒だってこった。彩花さん本人が何を考えているのかわからないのだから。そんな人間の考えを読み解いて慎重になっても結局は無意味だ。






