12,知らない感情、幼い感情
ウィル達が大公家の邸を出て王宮についたのはもう日付が変わりそうな時だった。
ウィルは自室のベッドに寝そべり大きく安堵の溜め息をつく。
「……何とかウィリアム大公家とは仲直り出来たな」
今回の目的は先代国王が拗らせたウィリアム大公家との“仲直り”。
それを成し遂げたウィルの胸中は誇らしさで一杯だった。
同時に脳内を閉めるのは大公家で会った可愛らしい少女の笑顔だ。
まだあどけなさが残るカグヤ=ウィリアムのこと。
曲者揃いのウィリアム大公家の中ではウィルが見る限り純粋無垢な少女。
「確かまだ14歳だったか?
とすれば社交界デビューは来年か……」
この国での社交界デビューは成人といわれる15歳で女性の結婚できる年でもある。
いくら“魔女”と呼ばれる少女でも国内唯一初代国王の血筋を受け継ぐ直系の姫ならば貴族からの婚約は沢山くる。
そこまで考えウィルは胸がムカムカするのに気づく。
大公家では油っこいものを食べていないのにだ。
原因を考えるがその手の話に疎いウィルには分かる筈もなく、
「……寝るか」
寝てなおすのが一番と即座に考えてからウィルは目を瞑る。
「カグヤ、お前も来年で成人
これを機に……おい、サクヤ」
「何でしょうか?父上」
「……何故ルリが私にむけて短刀を投げる動作に入っている?」
「ルリ」
「はい、旦那様がその先を言っても短刀が旦那様の喉に突き刺さることはありませんのでどうぞ続けて下さい」
「殺気を放ちながら言うことじゃないな」
物騒な息子と使用人を穏やかな口調でツッコんでから二人を部屋から追い出す。
そうしないと話が進まないし自分の命が危ないと判断したからだ。
ちなみに追い出された二人は不機嫌さを隠そうともせずにアルを睨んでいる。
どこで育てかたを間違えたのかと真剣に考えそうになるが不安げな娘の眼差しにより考えることを阻止できた。
ソファーに腰をかけカグヤと向かい合わせになる。
「カグヤ、お前はこのウィリアム大公家の唯一の直系の姫だ
分かるな?」
少し重々しく尋ねればカグヤは不安げに眉を寄せて頷く。
「……我ら大公家は女だろうが結婚もしくは婚約をしていなければ15の成人を機に働かなければいけない
それがこの家のルールだ」
「……存じております」
「お前も15の成人を来年に迎える
このまま婚約もしないのなら来年からは大公となるサクヤの補佐に入ることになる
もし、お前が望むなら婚約者ぐらい直ぐに見つけれるが……」
あえてその先を言わずにアルは娘に全ての決定を委ねる。
大公家は貴族の中では珍しく自由婚を推奨し政略結婚は一切しない。
立場上、表向きは政略結婚と扱われていても実態は恋愛結婚だということが多い。
アル自身、大公家の中でも珍しく異国の少女を妻として迎え入れ彼女が亡くなって4年は経つのに再婚する気はなく一途に妻だけを思っている。
他にも歴代大公の番には敵国の王女や庶民などがいる。
自由婚を推奨するのには理由があるがそれはおいおい話そう。
兎も角、アルは娘に委ね、考えさせる。
するとカグヤは父親を真っ直ぐに見つめて答える。
「婚約者は必要ありません
来年の15の成人の夜会に参加しお兄様の補佐に専念します」
「いいんだな?」
「はい、政略結婚ではウィリアム大公家の人間は“幸せになれません”から……」
そう言ってカグヤは哀しげに微笑む。
アルも意味を分かっているだけに同じように哀しげに微笑むことしかできない。
書斎から自室に帰ったカグヤは部屋にあるベッドの上に座り込む。
あたりは暗いのにカグヤは灯りをつけようともせずに静かに真っ直ぐ窓の外に存在する広大な森を見続ける。
カグヤが産まれる前よりはるか昔から存在する森は大公家にとっては自身の命よりも大事だ。
勿論カグヤの命よりも。
「……リィ、居るのですね?」
『分かっていたか』
声が聞こえたので口元を弛めながら振り返ると扉の前で寝そべる白銀の狼がいる。
いつの間に部屋に入ったのかカグヤには分からないが何となく感じ彼女はリィに微笑む。
その微笑みには少しだけ陰りがありリィは暗い中だと言うのに深紅の瞳はカグヤを労るような眼差しを向ける。
『……どうした』
「……」
『何か不安なのか?』
「不安……確かに不安ですね」
カグヤは少しため息をついてからベッドから立ち上がりリィにあわせて床に座る。
そしてリィの横で同じように横になり仰向けのまま瞳を閉じる。
「……私は結婚などは望みません
ですが私がお兄様の補佐になればお兄様の名誉が傷つくのではないかと不安なのです……」
そう言ってカグヤは目をあけ自室の天井を見る。
どこか怖がっている彼女にリィは少しため息をつく。
『サクヤがそんなことを気にするか?
むしろお前を侮蔑する奴には絶対零度の視線を向けて凍りつかせてトラウマの一つや二つ作らせる奴だ』
「……」
『……自分で言っててなんだが多分相手が悲惨な目に合うのがよくわかるぞ』
「私もそう思いました」
不安がましになったのかカグヤは苦笑すると横にいるリィに身体ごと向ける。
美しい白銀の毛並みを持つ彼はカグヤと同色の深紅の瞳で少女を見ている。
その瞳はまるでカグヤを心配しているかのようだ。
カグヤも気がついたのか小さく微笑んでから片手でリィの頭を撫でる。
とてもではないが撫でられるリィは捕食者とは思えないぐらい穏やかで落ち着いている。
「……(私はカグヤ=ウィリアム
近い将来大公となるお兄様を支える存在であらなければなりません)」
だが決意するカグヤの頭に過るのはこの国の若き国王の優しい眼差しと微笑み。
そして兄ではなく彼の為に動きたいと願う自分に対する困惑。
「……(普段の私ならあのような事は言わないのに……)」
まだ感じたことのない彼は知らない。
純粋な少女に対する暖かな感情を。
まだ幼い彼女は知らない。
全てを背負う男に対する可愛らしい感情を。
彼らは知らない。
もう後には引けないことを。