謀略と最前線
2015年五月十九日改訂
「……以上、勇者達の成長は順調そのものだということです」
「ありがとう、下がってよろしい」
黒と白のシスター服身を包んだ女性が報告を終えると一礼し、聖光教会の枢機卿の一人であるナハトガルの部屋をきびきびとした動作で去っていく。今のシスターも本来の所属は重装騎士団だった筈だ。
そんな彼女が置いて行った報告書を彼はチェックする。彼はこのアルカディア大陸全土で一定の影響力を持つ聖光教会の中で枢機卿という非常に高いポジションにいる。表情こそ柔和だが、その裏では様々な敵を蹴落とし、闇に葬ってきた過去を持つ。今回の勇者召喚を指揮した人物でもあった。
そんな彼は召喚後の勇者に関しても逐一報告を受けている。勇者は基本的に様々な試練を乗り越えていくことで様々な能力に開眼し、やがてこの世界を救う勇者足りえる存在となる。身も心も鍛え上げた勇者は百の魔物を一太刀で屠り、百の敵を巨大な魔法で跡形もなく消し飛ばした。昔から伝わり、今も吟遊詩人などが各地で歌っている勇者の伝説ではそうなっている。
だが、今回は『扉』の開放が完全とは言えない状況下で勇者を二人も召喚したのには理由が在る。開戦の機運が高まりつつある大陸間戦争だが、聖王国側の予想では諸国連合軍は戦争開始後数ヶ月と持たずに瓦解する。その最大の理由とは国家同士の思惑や利害が複雑に絡み合っているためだった。表面上は仲良く、魔族に対して共同歩調を取っているように見えていたとしても、実際はそれぞれの都合を優先して作戦を展開するケースが後を絶たなかった。
それは勿論聖王国も例外ではない。王国の内部を防衛する内地軍と国境防衛軍、そして王都を守る首都防衛軍。国軍の中でもこれだけの派閥が水面下で鎬を削っている上に王宮の護衛や王位継承権を持つ王族の護衛を務めている近衛軍が入ってくると眼も当てられないような事態になってくる。それに王宮内にも幾つも派閥が存在し、国家の政策に教会関係者が口を出したり、果ては施行される予定の法に横槍を入れたり、法案そのものを握り潰したりといった事態が起きている。また、血腥い話だが傍流の王族や反主流派の教会関係者の謀殺も時々起っていたりする。
そしてナハトガル達は更なる一手のために必要となる旗印……勇者を召喚した。事実勇者召喚を境に国軍も足並みが揃いつつあるほか、各国も真面目に戦争のための準備を始めていた。それに勇者達を召喚したという情報は魔大陸側にも伝わる。召喚されたことで魔大陸側にもそう簡単に開戦させないよう牽制しておくという役割もあった。
先程のシスターが持ってきた報告書には召喚された勇者である内の一人、一橋智樹に関しての報告がなされている。彼は今、教会が保有する固有戦力である教会騎士団に加わって、近場のダンジョンである『大迷宮』に挑むべく出発していた。ここ数日の戦闘訓練で既に彼らのレベルは三十近くに到達している。
大迷宮自体は嘗て冒険者によって攻略された場所だが、冒険者レベルならばともかく、この世界の住人が冒険者を真似て作った職業である探索者が今の段階で到達した階層が第六十六層、当面の彼らの目標はこの六十六層を突破することが目的となる。
内心で今後の予定を決めながらナハトガルは自失にあるテラスに出る。テラスからは王宮とその向こうにある夜の街並みが見えていた。
「さあ、期待していますよ。勇者諸君……」
彼が眼下に広がる街並みを見て影のある笑みを浮かべる。この非常事態という状況下であるにも拘らず、彼はこの状況を最大限に利用しようと目論んでいた。今のところ全ては順調に進みつつある。冒険者というイレギュラーを計算に入れていないわけではないが、彼らの行動も想定の範囲内だ。先程のシスターの話によれば、大手戦闘系ギルドの取り込みが現在進行中だという。
「ナハトガル様」
「来ましたな、ブレイア。そろそろ来ると思っていた頃合です」
ノックと共に彼の意識は現実世界へ引き戻される。声を掛けてきたのは彼女の専任護衛騎士であるブレイア・ノースロック。扉の前に控えている侍女にドアを開けるよう伝えると、そこに立っていたのは王国軍の制式鎧を部分的に装着した青年だった。青と金糸で彩られたマントは激しい戦闘と長い移動のせいか、所々が焦げたり、一部に穴が開いている状態だった。ここに来るまで王宮つきの侍女にはさぞかし渋い顔をされたことは想像に難くない。
「ランクネンの戦闘に関して、我々が介入できる余地を見つけました」
その言葉にナハトガルの眉がぴくりと反応する。彼の反応を確かめるとブレイアは地図を取り出すと机の上に広げる。地図にはランクネンを中心とした一帯が詳細に描かれていた。冒険者ギルドの一つ、『世界図絵』が作り上げた詳細な地図は詳細且つ丁寧なことから各国で高く評価されている。ランクネンは三方を切り立った山に囲まれ、残る一方は海という恵まれた地形の中にある。
「ふむ、そろそろ勇者様の戦績に箔でもつけるとしましょうか」
ナハトガルが、ランクネン周辺に展開する帝国軍を見ながら唇の端を吊り上げた。誂えたかのように帝国軍は『ある船』をランクネンの近海に展開している。勇者の箔付けにはもってこいの状況かもしれない。そう判断すると彼は教会のシンボルマークが刷られた高級紙を取り出すと万年筆を使ってさらさらと言葉を書いていく。最後に凝ったデザインの判子で赤い紋章を押せば完成だ。
それに今まで彼らの法のせいで手出しが出来なかった自由都市であっても、この名目なら大手を振って兵員を派遣することが可能になる。
真夜中に近い時間、普段の王宮ならば既に明かりが点いている場所は極僅かだったが、この日に限ってはまるで舞踏会が開催されているかのように王宮から明かりが絶える事はなかった。
鈴宮楓と多田崎桜は暴徒化した冒険者や傭兵が闊歩する自由都市、ランクネンの中で必死に逃げ惑っていた。
中学校のころに知り合い、趣味や学校生活を通じて親友と呼べる間柄になった。そのまま同じ高校に進学し、やがで友情だけ、友達だけでは満足できなくなり、結果として一歩踏み込んだ関係になった。
このVCOを勧めてきたのは桜の方で、そう言ったゲームに興味を少しだけ持っていた楓はあれよあれよという内にこのゲームを始めることになっていた。それからはいろんなことがあった。様々な武器や防具、自分の能力構成や定期的に更新されるガチャの出現物で一喜一憂したこともあった。
そして数日前、気がつくと彼女達はゲームに酷似した異世界にいた。幸運だったのは彼女達の能力はゲームの中と同じだったこと。つまり、時間を掛けて鍛え上げたキャラクターの身体になっているのだ。アイテムや武器などもゲーム時代と変わっていない。だが不運だったのは彼女達が放り出されたのは二人が所属するギルドのギルドハウスではなく、戦闘があちこちで発生している街、ランクネンだったということ。そして生き残った冒険者が集まっているとされていた議事堂へ向かう途中で悪質な冒険者に遭遇してしまったことだ。
「へへへぇ、二人とも獣耳かあ」
「マシューの野郎も捕まえた奴は好きにしていいつってたし、この娘らは俺達でヤッちゃおうぜ」
「おれ右の巫女さんね、狐耳なのがもうたまらんわー」
「言ってろオタク野郎」
下卑た笑みと野卑な声を上げながら目の前にいる男たちは嗤う。廃墟に連れ込まれ抵抗虚しく、武器を取り上げられ、手を縛られた状態で二人は倉庫のような場所にいる。外では爆発音を始めとした戦闘音が響いているが、ここにいる男たちはお構いなしに相談を行っている。この前菜じみた会議が終われば二人は為す術なく、男たちの欲望の捌け口にされる。いつも二人でしている時のように互いの身体をいたわるようなことを目の前の男達はしないだろう。二人の精神を、身体を労わることなく、己の欲望を満たすためだけに使われるということは自ずと悟ってしまう。
恐怖と諦観がないまぜになり、絶望と諦めが精神を覆い尽くそうとしたとき、男たちの背後に一人の女性が音もなく現れた。黒いリボンで束ねられた銀髪は月光を反射して輝きを放っている。服は冒険者が使用するそれではなく、どちらかと言えば戦場に置いて不向きと言われるようなメイド服の女性。だが、会話に夢中なのかそれともそれ以外の要因なのかは分らないが男達は後ろから近づく存在に全くと言っていいほど感付かれていない。そして……音もなく現れたメイド服の女性は武器を抜くことなく一人の男の首に細い手を回すと、一気に首の骨を圧し折る動作を取った。華奢に見える腕で何をどうすれば太い男の首をいとも容易く圧し折ることが出来るのかと二人は思うが、彼女の使用したあのスキルは楓と桜の所属するギルドのメンバーが使うのを見たことがある。
発動させるために必要な装備がない……強いて言うならば、両手に何も装備していない、素手の状態で使用できるスキル【軍隊格闘】の一つで、おまけに成功率が低いことで有名な首の骨を折るスキルなのだが、彼女はそれを失敗することなく一撃で決めている。バキリ、という人の身体から余り発生してはいけない類の音が響く。あまりにも華麗に命を刈り取ったことに対し、下卑た笑みを浮かべていた男達はそれに対応することが出来なかった。だが、次第に状況を飲み込むと全員が身構えた。
「……あくまでこれは我が主の命令には有りませんが……不届き者を始末し損ねてはご主人様に仕えるメイドの名折れ、ここで掃除しておきましょうか……それに、掃除はメイドの基本ですからね」
清涼な声で物騒なことを言い放つメイド。そこで男達は異常に気付くが時既に遅し。いつの間にか彼女の手に現れたナイフが二人の男の喉を掻き切った。しかも、通常の盗賊系職業が使用するようなものではなく、鎌のようなブレードが特徴的なカランピットと呼ばれる特殊な形状のナイフを持っていた。一切の反撃を許さない、圧倒的な速度による一瞬の殺害。どこをどう斬れば人が死に至るのかを熟知しているかのような一閃。更に二人の男が倒れると残る二人は逃げ出そうとするが、絶対的な強者の前で背中を向けたのは最悪以外の何物でもなかった。音もなく迫った濃紺と白の死神が残る二人のHPを完全に削り取り、乱暴を働こうとしていた男達を冥土に送るとメイドは二人の方へ視線を移した。今まで生命の主導権を握っていた男達が一瞬にして『狩る側』から『狩られる側』へ役割が切り替わり、明確な力の差と共に。その一部始終を見ていた楓と桜は文字通り言葉を発することが出来なかった。
圧倒的な意思の下に振るわれる圧倒的な力。目の前にいるメイドからはそれがひしひしと伝わってきた。
「お怪我は御座いませんか?」
「あ、はい。大丈夫です」
魂が抜けだしそうになるのを必死に押さえつつ、楓はメイドに応答する。男四人を瞬く間に始末したカランピットを鞘に戻しながらメイドはにこやかに微笑んだ。敵対する者に対しては容赦をせず、それに対して虐げられている側に対しては礼節を持った対応をしている。さぞかし有名な冒険者だろうと思って二人が彼女の頭上に表示されているカーソルを見るが、そこで二人は更に驚かされることとなった。彼女の頭上に表示されているカーソルの色はアイスブルー、それは彼女が冒険者ではなくそのサポートを目的に作成されることが多いサポートキャラクターであるということを示していた。二人共VCOを長いことプレイしているためにサポートキャラクター自体は今まで何度か見てきたことがある。だが、そのどれもが低レベル且つ複数個必要な素材の採取作業や鉱石類の採掘など単なる作業ゲームを肩代わりさせている便利な労働者として使役されていた。
だが、目の前にいるメイドはそんな『労働者』として酷使されている通常のサポートキャラクターとは異なり、洗練された装備と武装、そして主の忠実なる従者としての誇りをその立ち姿から感じた。
冒険者の中には彼らサポートキャラクターの能力を強化したりすることの出来る職業があることは知っていたし、サポートキャラクター育成に心血を注ぐ奇特な者達がいるとネット上の噂で知っていたがまさかその心血を注いで育てられた存在、主の情熱と寵愛を受けて育てられた従者の実力の片鱗を彼女達は見た。
ハイレベル冒険者と並ぶ武器防具だけでなく、その道具の性能に溺れることなく使いこなす腕前。そして以前はステータスのみでしか確認できなかったが現実となったこの世界ではその出で立ちから感じる従者としての自負と矜持。意志を持たず、単なる作業を延々と行う『労働者』ではなく、『従者』としての使命と誇りと喜びに満ちあふれた存在に楓と桜は純粋に圧倒されていた。
「これから嫌がらせがてらにサウザント・ファングスの拠点の一つを襲撃しようと思ったのですが……少し想定外ですね。どうしたものですか……」
二人を前にしてメイドは考え込む。それから数十秒後、結論が出たのか、メイドは二人に視線を合わせるとこれからどうするのかを訪ねてきた。その前に説明されたのは街で問題を起こしている冒険者のグループと傭兵、盗賊が集まって大きくなった武装集団のグループ、その二つに所属しない巻き込まれた冒険者達は議事堂に集まって抵抗しているということだった。
「……議事堂に行けば、連絡手段もあるの?」
「ええ、通信結晶はこちらである程度確保しましたし、議事堂でも長距離用の結晶があるそうです」
考えること暫し、二人が出した答えはメイド……リーラの案内で議事堂へ向かうことだった。その前にメイドが振り返ると彼女達に尋ねた。
「それでは……お二人のことをどうお呼びすればいいでしょうか?」
思いがけない言葉に二人はキョトンとした表情で顔を見合わせると可笑しそうに噴き出しながら自らの名を名乗る。
「私はスズカで」
「私はベルよ」
二人が名乗るとリーラ・ハーケンサイトと名乗ったメイドもスカートの裾を摘んで一礼した。
次は金曜か土曜あたりに投稿する予定です。それでは皆様の感想、批評等をお待ちしております。