総ての始まり
お待たせしました、予告通り年内最後の更新は、改訂版第一章です。改訂版は複数の話をまとめて投稿する予定なので、少し間は空きますが、できる限り間隔を詰めて更新していく予定です。
ようこそ、ヴェルト・クロニクル・オンラインの世界へ、私は案内を務めさせていただくサポート妖精のメアと申します。この度はユグドラシル・ゲームズのゲームを購入いただき、真にありがとうございます。
さて、事前にある程度情報を確認してから購入されているとは思いますが、改めてヴェルト・クロニクル・オンラインの説明をさせていただきます。
あなたはこのログイン認証が終了し次第、一人の冒険者として仮想世界に飛び込むことになるでしょう。……冒険者の説明がまだでしたね。冒険者とはこちら側における貴方の分身、プレイヤーキャラクターの総称です。この世界の住人……エルデ人とは異なる高い身体能力とスキルを駆使する、人の姿をしていながらも人を超越した能力を持つ存在です。先ずは冒険者訓練所で基礎的な知識と戦い方、採集のやり方など、冒険者として活動していく上で必要なことを学びます。訓練所で一定期間を過ごすと、貴方は自動的に冒険者連盟に登録され、一人の冒険者として広大な世界へ旅立つことになります。気の合う仲間と共に互いの絆を信じながら強大な敵に立ち向かうか、それとも一人で孤高の一匹狼として戦っていくか、プレイスタイルはそれこそ貴方の数だけあります。
訓練所では武器の種類やスキルの説明、自分の能力を伸ばしていくための説明もありますので聞き逃さないようにしてくださいね。
それでは今より網膜と顔のスキャンを始めます。画面上の緑の点を見てください。はい、確認しました。では基本的に男性は男性キャラクター。女性は女性キャラクターに固定されます。性別の変更は不可能ですので注意してくださいね。
冒険者である貴方は冒険者支援きこう。マリーゴールドにある掲示板に張り出されるから出される依頼をクリアすることで報酬や様々なアイテムを獲得することが出来ます。ゲーム内通貨であるゴールドを使用することで新たな武器の購入以外にも都市部に信頼できる仲間とギルドを作ることもできるようになりますよ。一等地に巨大なギルドの館を建てる……現実世界では夢のような話でも、こちら側では資金と付いて来てくれる仲間さえいれば実現可能です。
また、戦う以外にもヴェルト・クロニクル・オンラインには楽しみ方があります。街で貴重な鉱石や金属を使い、冒険者の武器を作成する鍛冶屋。未知のアイテムを生産するアイテム職人。錬金術を用いて道なるアイテムを作り出す錬金術師。楽器を使い、各地で歌を伝える吟遊詩人、国家への信頼を勝ち取れば、然るべき試験を受けて騎士として国家に取り立てられることもありますし、冒険者を管理する『マリーゴールド』の職員として働くこともできます。ただ只管に旅をしたり、一日中海辺で釣りをする……それも一つのプレイスタイルといえるでしょう。
また、特殊なアイテムを使うことでこの世界に生きる住人を自らの店舗に雇うことが出来るほか、『サポートキャラクタークリエイト』というシステムを使えば、自分好みの仲間と共に一緒に戦闘へ連れて行くことも可能になりますよ。
さて、顔のスキャンと網膜認証が完了しました。これから貴方には自分の分身となるキャラクターを作っていただきます。種族はヒューマン、エルフ、ドワーフ、竜人族、獣人族、妖精族、ミストレス人魔の中から選んでいただきます。また一部の種族には固有の能力や特殊な能力が発現することがあります。それらを活かしてこの世界を楽しんでください。またゲーム内システム『転生』をすることによって、一部種族は更なる上位の種族へ進化することがあります。
なるほど、ヒューマンですか。能力値はどちらかといえば平均的ですが、各種状態異常耐性が高いこと以外にも能力の割り振り次第では剣士系、魔法系、生産系、前衛後衛問わず、さまざまな事が出来るようになりますよ。
次は貴方の職業です。メイン職業とサブ職業の二つが存在し、メイン職業は主に主体となる職業。サブ職業はメインの職業とは異なり、二つ設定することが出来ます。戦闘に役立つものから、生産や鍛冶といった生産系のものや、その他の活動を支援することが出来ます。全てを戦闘系で固めたり、もしくはその逆、生産系で固めたり、戦闘系と生産系どちらも習得することが可能です。こちらは任意で職業の変更が出来ます。
一定レベルに到達するとサブにもメインの職業を選択できるようになりますが、成長限界は八割です。それ以外のサブ限定職は100%まで上昇することが可能となっています。最初は【ノービス】と呼ばれる無色透明の職業になっております。どの道に進まれるかはすべてあなた次第です。
それと、こちらから初期武器をお選びください。武器は……大剣ですね。
それでは最後に名前を聞いておきましょう。……『レイジ・ミラー』ですか。少々お待ちください……確認します、意外と重なりそうな名前でしたが、名前の重複は確認できませんでした。ラッキーですね。黒髪に長身、中々にナイスな青年に見えますが、何を考えているか分からないような風貌をしています。
こちらの準備も整いました。無名のまま大衆の中に埋もれて終わるのか、それともこの世界に影響を残すような偉大な冒険者になるのか、その選択肢は貴方の目の前に無数に存在しています。それではサーバーに接続いたします。いってらっしゃいませ!!
【Game Start!Welcome to new world!】
気がつくと彼は戦場に一人で立っていた。向こう数年は草木が生えなさそうな茶色い大地と山々、曇った空に黄金色の太陽がどこか不気味な輝きを放っていた。茶色の大地には人こそ一人もいなかったが、彼らが使っていたと思しき得物が無数に突き刺さっていた。直剣、曲剣、大剣、槍、戦斧、斧槍、棍、戦鎚、大鎌、旗、杖、弓矢、銃火器……このままずっと続いているのではないかと錯覚しそうになる程の夥しい数の武器が地面に突き刺さっている。嘗てプレイしたことのあるギャルゲーのワンシーンでこんな場所があったような気がしたが、ここはまさにそれのファンタジー版だった。そして戦場に立つ彼もまたファンタジーらしい服装に身を包んでいた。手を伸ばせば届く場所にあるのは彼の身の丈を超す大きさの大剣。青年がいつも遊んでいるゲームの装備そのものだった。風にはためくロングコートも右手で持って担いでいる大剣も、今まで使ってきた物だった。
荒涼とした戦場で、彼は一人歩いて行く。所々では攻城戦に使う移動式の破城鎚や戦車、装甲車の残骸、機首から地面に激突したのか墓標のように立っているヘリコプターの尾部など、武器だけでは無く兵器の残骸までもが混じり始めた。
「ご主人様」
どこかから声が聞こえてくる。聞いたことのない声では無く、いつも聞いている声だ。清涼な声が耳朶を打つ。
「ご主人様」
一人目と同じように彼を呼ぶ声が聞こえる。この声もいつも聞いていた声だ。
「ご主人様」
一人目、二人目と同じように彼を呼ぶ声が聞こえる。全員の声には一定の特徴……性格が反映されていることもあってかすぐに誰が誰なのかを理解する。だが声は聞こえていてもその姿は一向に見えなかった。周囲には香料うとした古戦場が広がるだけで、声は何所から聞こえているのかは分らない。
周囲を見渡し、もう一度正面を向くと少し離れた場所に三つのシルエットがあった。顔は暗くて見えないが、髪型と装備から彼女達だと理解する。もう一度三人が彼を呼ぶ。そして……
青年こと加賀美玲慈の両目が開いた。いつの間にかベッドの上で眠ってしまっていたらしい。目元を抑えながら上半身を起こし、大きく伸びをする。身体のあちこちからぱきぱきばきばきと言う音が聞こえてきた。
今年で大学三回生になる彼は今、大学の近くにある大型マンションで独り暮らしをしている。部屋の壁一面の本棚と、その中央に設置された机と大小二つのモニターと電子機器に恐ろしく詳しい友人の助けを借りて作成したパソコンがあり、その近くには彼がいつもゲームで使用するヘッドギアが置かれていた。ペットボトルに入った緑茶を飲み干すと、机の傍らに置いていた時計を見る。針は長い方の針が四、短い方の針が十の位置を差していた。窓から差し込む光は燦々と降り注ぐ陽光ではなく、煌々と照らす月の光……夜の十時二十分を指していた。
学校から帰って来たのが六時前の四時台、それ以降は林檎入りヨーグルト一つと緑茶しか食べていなかったため、当然のことながら空腹だった。それなりに整理されている机の上にいつか使おうと置いてあった宅配ピザのクーポン券を手に取り、今では絶滅危惧種の折り畳み式携帯電話で電話をかける。十数分で届くということを確認し、ついでに財布の中も確かめると、彼は携帯を机の上に置く。流行りのスマートフォンやタブレット等に憧れたことはあるが、以前バスや電車の中で使っている友人の隣で酔った段階でその手の機器は自分に向いていないことを瞬時に察した。
机の反対側にあるゲーム雑誌を手に取りデスクライトを点けて記事を読む。そこには今彼がプレイしているゲームのアップデートに関する記事があった。
『ヴェルト・クロニクル・オンライン』……十数年前に発表されたゲームのタイトルであり、ネットを通じて多人数で楽しむRPG。所謂MMORPGと呼ばれるゲームがさっきまでプレイしていたゲームのカテゴリーだ。
『あなたが紡ぎ出す、あなただけの物語』というキャッチコピーの下に何年も続いている老舗のタイトルのゲームでオンラインゲームの中でも人気作品のランキングには必ず上位に入る作品の一つだ。このゲームの特徴は容姿を細かく設定できるキャラクターメイキングや様々な条件でなることが出来る職業のほか、ファンタジー系のゲームで基盤となる『剣と魔法のファンタジー』にモダンやSFチックな要素を含んだ要素を合わせたことだろう。
彼が持っているパッケージもそうだが、ファンタジックな鎧に身を包んだ青年と女魔法使いに銃火器を持った現代の兵士が共にドラゴンに立ち向かうという構図で、今はもう少しデザインが変わっているがファンタジーとリアル、その二つがうまく融合したパッケージだ。
玲慈自身が使用する『レイジ・ミラー』もそうだが、定番の剣と魔法のRPGで登場する武器以外に、様々なカテゴリーの銃火器も戦闘要素に組み込まれている。ゲームの世界観と武器に関しては突飛だが、ゲームのシステム自体はオーソドックスで奇を衒わず、しっかりと丁寧に世界が作り込まれている。開発元であるユグドラシル・ゲームズはバグや不具合、改善すべき箇所を報告するユーザーの声も積極的に受け付けており、月々の小規模なメンテナンスで不満点を可能な限りなくし、大型アップデートで様々な追加要素を加えられながら今もこのゲームは進化し続けていた。
彼がこのゲームを始めてからもう五年近くになる。レベルの高い私立の進学校に入学が決定したときに購入したVR機器一式と共に購入したこのゲームのことは忘れようがない。
始めたばかりの頃は右も左も分からなかった、そこから戦い方、効率のいい以来の攻略を覚え、攻略サイトを見ながら小さな成功を積み重ね、不遇と言われながらも複数の職業に転職しながらゲームの世界を渡り歩き、多くのことを学んだ。
勿論ゲームの世界でもいいことばかりではなく、勝利の美酒を味わった日があれば、敗北の苦汁を味わった事もあった。現実世界の様な人間関係もあったし、今でこそ笑い話のような小さなことに一喜一憂し、様々な仲間と共に戦うことの楽しさを、広大な世界を旅する面白さを彼はゲームの中で知った。いつもならば帰ってきてすぐにゲームにログインし、数時間ほど狩りを楽しんでから遅い夕食の後にもう数時間ほど遊ぶのだが、この日は以前から告知されていた大規模アップデートに伴うメンテナンスのために丸一日ログインが出来ない状態になっている。
ある時期までは彼も現実と仮想現実の世界を交互に、バランスよく保つようにしていたのだが、あることを切っ掛けに彼は現実世界よりも仮想世界の関係に重きを置くようになった。結果として現実世界、高校時代の人間関係は最低限になり、青春を謳歌するどころか青春そのものに背を向けて彼は生活するようになっていた。その後は他府県にある大学に推薦で入学し今に至る。過去の記憶を遡って物思いに耽ること数分。インターホンが鳴る。料金とクーポン券を持って受け取りに行き、冷蔵庫の中で冷やしていた緑茶のボトルを手に取ると遅い夕食を食べた。
濃厚なチーズの味を楽しみながら彼は思う。憎悪と心の器に満たし、復讐心を燃料に高校時代を駆け抜けた。だが、次第にガス欠になり、今ではこの通りだ。元クラスメイトに対する復讐心も憎しみも未だに消えてはいない。だが、それ以上に虚しさと疲れが彼を蝕んでいた。高校当時には恐れられた悪人面に加えて最近自身を蝕んでいる荒んだ雰囲気のせいか、最近では宗教勧誘すらお目にかかっていない。
「……なら、何が正しい選択だったんだろうな」
部屋の中に独り言が木霊し、消えていく。後悔は散々した、涙も枯れ果てるまで泣いた、それでも答えは未だに見つかっていない。あれ以来彼は誰に対しても信用も信頼もしなくなっていた。クラスメイト、教師、その他の他人、ここ数年で改善されたものもあるが、それでも一度死んでしまった感情は二度と元には戻らない。改善されたといっても『多少』の領域だ。
「……ああ、駄目だ駄目だ。飯が不味くなる」
緑茶を飲みながら彼は自分の考えを振り払うと、机の上に置かれている往復はがきを手に取った。送り主は彼がトラウマを植え付けられた一人で、クラスのムードメーカーだった少年から。内容は同窓会をするから必ず来るように、とのことだった。
「誰が行くものか」
参加しないと書かれた部分に乱暴に丸をつけるとピザを口に入れる。全てのピザを食べきって最後に緑茶で喉を潤すと彼ははがきを持って近くのポストに投函した。春が終わり、初夏が近付いていることもあって街は過ごしやすい気温で、冬物の上着を着なくとも過ごせるような温度だった。ふと頭上を見上げると青白く輝く月がある。煌々と輝く満月を見ながら彼はアパートの部屋に戻り、ヘッドギアを手に取って時計を確認する。後二分で新しい一日が始まると同時に新たなアップデートが行われたゲームに飛び込む準備をする。最終的に彼がヘッドギアを机の上に置き、ベッドへ潜り込んだのは時計の針が三時を差した頃だった。
窓の外から聞こえてくる鳥の囀りが耳に入り、吸い込んだのは埃っぽい部屋と木と何かの料理の香りだった。もう朝かと思いつつ目を開けるとそこで飛び込んできたのはいつも見慣れている一人部屋の白い天井ではなく、木目の天井だった。あまりにも有名なあるアニメのセリフを呟くかどうか一瞬だけ逡巡するが、これが現実であるというのならば、非常に不味い事態だ。襲ってくる混乱と困惑を無理矢理鎮めると、彼は改めて部屋の中を見渡す。知らない部屋に見慣れない間取り、それに加えてシックな色合いでまとめていた家具類や寝具などはなく、机、椅子、ベッドに至るまで全てが木製だった。部屋の片隅には洋服掛けがあり、その近くには大型のチェストがある。勿論チェストも木製で、どこかの狩りゲーで見たことのあるファンタジックなデザインをしていた。
彼は身体を起こした。身体を起こし、自分が今まで寝ていたものを見る。彼が寝ていたのは家具専門店でそれなりにいいお値段で購入したベッドではなく、明らかに簡素な……昔、母親によく読んでもらったお伽話に出てくるようなベッドを少しだけグレードアップさせたかのような代物だった。
(……ここは、何処だ?)
頭の中に過ぎったのはこの疑問だった。部屋の中を見ると陽光が差し込んでいる窓を見付け、駆け寄って窓の鍵を開ける。
(あれは……鎧、か。それに……人間以外の種族もいるのか)
目の前にあるのは彼が何時も見ている大型トラックが高速で行き交う幹線道路……ではなく、ファンタジックな装備品に身を包んだ人々が朝の買出しや仕事に向かって通りを歩いている姿だった。人間以外にも長く尖った耳が特徴のエルフや、低身長が特徴のドワーフ、その他頭から耳を生やした獣人など、今まで小説やアニメの中でしか見たことのないような光景が目の前で展開されていた。
見慣れた光景どころか、こんな場所は今まで旅行などで行ったことのある場所にもこんな所はない。だが、何処か既視感のある光景。これと同じ光景を彼は何時も見ていた。
そこで彼は気付く。窓から見える看板、木造の家屋が広場を中心に放射状に広がり、広場に面した店は武器屋、アイテム屋、鍛冶屋といった見慣れた建物があった。この場所を自分は知っている。何故ならばここは
彼が今まで遊んでいた世界、ヴェルト・クロニクル・オンラインの世界そのものだったのだから。
余りにも現実離れした光景が目の前には広がっていた。現実逃避したくなる心を抑えながら、彼は周囲を確かめる。眼が覚めて気が付くと違う世界に放り出されていたら誰だって混乱するのは当たり前だ。彼自身混乱で頭の処理が追いついていないものの、立て続けに起きた『朝起きると見知らぬ部屋』『窓を開けて広がる見知らぬ光景』というコンボで既に眠気は吹き飛ばされている。そんな中で玲慈の頭は少しずつ、正常に現実を受け入れるべく回転を始めていた。
(もう否定は出来ないだろうな。ここはVCOの世界で確定か……。待てよ、この装備どこかで…………)
変わっていたのは彼のいる部屋だけでなく彼自身の服装も変わっていた。向こうの世界で寝間着にしているTシャツと短パンから黒地に銀色の縁取りのされたカッターシャツに少し余裕のあるゆったりとしたスラックス。ベッドの脇にはミリタリー系の雑誌でよく見かける、黒の機能性を重視したコンバットブーツがきちんと揃えられている。慣れた手つきで靴紐を縛ると彼は機能の記憶を思い出す。特に変わったことはない筈だった。ベッドに倒れ込むようにして眠ったのは午前三時。そこから先は一切の記憶がない。だが、その間の記憶らしきものがスライドショーのように脳裏に浮かんできた。
ゲームの新しいロゴマークとムービー
勇者らしき鎧に身を包んだ少年少女
それと対峙する集団
墨を流したような夜空
それとは対照的に輝く蒼月
まるで何かの未来を暗示しているかのような光景でもある。それに事前公開されていたゲーム内のプロモーションムービーにはあんな組織と組織の対立構造を匂わせるようなシーンはなかった筈だ。
玲慈自身は成人しているものの煙草は吸わないし酒もチューハイ一口で顔が青くなってエチケット袋のお世話になるほどの下戸体質だから絶対に飲まない。勿論白くて怪しげな粉状の薬を吸うなりお注射してハイになっている訳がない。いたって普通の、それこそ何処にでもいる『没個性的な大学生A』だ。だからこそ彼がこの世界に召喚された理由がまったくと言っていいほど思いつかない。
「……で、寝て起きたらこうなってました……と。いやいや、訳が分からないだろ」
リアルな夢も幻覚を見ているわけでもないということになると、答えは自ずと絞られてくる。それは此処が、この世界が紛れもなく現実世界だということだろう。寝て起きたら別の場所にいましたなどというのはライトノベルにある転生ものか異世界トリップもののような展開だ。彼もそういった手合いの小説は読むことがあるし、どちらかといえば好きな部類ではあるのだが、実際に体験したいかどうかと聞かれれば半々の部類に入るだろう。体験したいが半分、体験したくないが半分だ。
改めて大きな溜息を吐く。内心で逸る心を抑えつつ自分が置かれている現状を把握するために振り返って自分のいる部屋を見た。全ての家具が木製で出来ているものの、部屋はそれなりに大きさがあったし、内装も整えられている。
視線を巡らせていると部屋の入り口に近い場所にあるコートハンガーには彼の装備がぶら下がっていた。ゲーム中では着の身着のままといった状態でベッドへ倒れこむという演出が成されているのだが、実際にはこうなっているのだなと感心してしまう。
コートハンガーに掛かっていたのはトレンチコートとマントの中間のような形状で、前をジッパーでとめることができるようになっている軍服とも制服ともとれるようなお堅い印象を抱かせる漆黒のロングコート。これが玲慈の装備だ。一見すると防御力など皆無のように思えるがこれでもゲーム中では高い防御力を誇っている。金属製防具には及ばないものの、それでも高い防御力と付与されている様々なアビリティを持っていた。
コートに袖を通すとサイドデスクに置いてある大小様様なポーチが取り付けられたベルトを腰に巻く。取り付けられたポーチ類の中では様々な物品を収納することの出来るアイテムバッグが最も存在感を放っていた。
高位の飛竜の革と特殊な結晶を使用して作られたオーダーメイドアイテムで、ある程度デザインを変更したりすることができる。上位のプレイヤーには必須とさえ言われるアイテムで基本的には揚力が無制限だったりする。アイテムバッグの中身を確認するとミニチュアサイズのアイテムがこれでもかというほど詰まっていた。通常のHPを回復するポーションに始まり、各種状態異常を対策に瓶詰され、下位から上位まで分類された薬、様々な付与効果を与える水薬の類、それにモンスターを殲滅した際に手に入れた各種素材やドロップした武器が大量に収められている。宿屋の明かりはLEDや蛍光灯といった現代的な照明器具などは勿論ない、どうもこの世界は科学よりも魔法が発展しているためか、科学的な白い光ではなく、オレンジ色の照明用の魔法が廊下を照らしていた。物珍しげに眺めながら階段を下りる。
(賑やかだな……)
ぎしぎしと軋む階段を降りた先には大食堂のような場所に出た。カウンター席と幾つも並んだテーブルに座るのは鎧を着込んだ男から絵本に登場するローブを着て曲がりくねった木の杖を持つ魔法使い、別の席には露出の高いひらひらした生地の服を着た猫耳の女性もいる。
ゲーム中では街の盛り上げ役や雰囲気を演出する存在としてNPCがこういった規定の動作を行っていることが多かったが、此処にあるのはプログラミングされた動きをする存在ではなく、それぞれが個々の意思を持つ存在だからこその活気があった。手早く長期宿泊解除の手続きを終えると玲慈は客が捌けて行く流れに乗る形で外に出た。道も店内と同様か、もしくはそれ以上に活気があった。ゲームだった頃にはなかった物を見付けながら舗装された道路ではなく、石畳の道を歩いていく。
普段は日常の喧騒が響き渡っているのだが、この日はあちこちで呻き声や誰かに掴みかかる者の姿があった。頭上に浮かぶキャラクター名は冒険者らしい独特のセンスで付けられた名前になっているか、恐らくはリアルネームなのか漢字になっている者もいる。荒れる冒険者を横目で見ながら彼は待ちの状況を確かめる。今のところ問題は起きていないがいつどこで火が着くかは分からない。
この世界は銃や戦車といった科学の代物……世界観的には『非魔法武器』の類がなくなり、新たに発見された魔法と呼ばれる概念を使った新たな世界だということだ。
剣と魔法のファンタジーゲームに於いては定番である中世ヨーロッパを思わせる建物や街並みだが、文化、技術レベルに関しては中世とは思えないほどに進んでいる。遠距離攻撃武器として駆動方式を魔法に変えた銃火器が存在するほどだ。登場する銃火器は鉄と木で出来たオーソドックスなライフル銃に始まり、古めかしいものから最新鋭のものまで、種類も拳銃、自動小銃、短機関銃に現実では携行不可能なミニガンやRPGのようなロケットランチャー。銃火器以外にも時限起爆装置と爆弾を束ねたC4やクレイモア地雷、固定自動機銃やUCAVやUGVといったSFに片足を突っ込んだ領域の兵器まで揃っている。
世界観にマッチしそうな木と鉄の銃だけではなくポリマーやプラスチックで出来た向こうの世界では御馴染みになった銃火器も登場しているほか、このゲームオリジナルの銃火器も多数存在し、玲慈のアイテムバッグ内にはそういったゲームオリジナルの銃火器や新世代の銃火器や兵器が複数収められている。基本的には過去の戦争で使用された武器や兵器がある日突然発掘されるという設定だったはずだ。
改めて確認するとここはVCOの世界に存在する街の一つ、フィフニスの近くにある小さな村だった。村はそれこそ規模の大小こそあるが、この世界に無数に存在しているし、小規模な街や領主がいないという小規模な町や村など一つの大陸に最低百以上は存在する。
セーブポイントである宿屋。NPCからお使いクエストを受けたり、特殊なクエストが発生することもある酒場。マリーゴールドと呼ばれる機関が運営する施設。耐久度回復や武器防具の購入が可能な武器屋。HP、MPポーションなどの消耗品を扱うアイテム屋など、冒険に必要な店や施設は一通り揃っている。
ここが遊び慣れたVCOの世界ならば、自分のステータスを確認する方法は一つ。玲慈は人差し指を立てて軽く振ると、涼やかな電子音と共に仮想ウィンドウが自分の目の前に展開した。縦に並んだアイコンは上から『人』『手紙』『フレンドリスト』『ホーム』『円錐形のポインター』『歯車』と並んでいる。
【歯車】のアイコン……システムの項目にログアウトはボタンこそあったものの暗くなっており、押しても一切反応はなかった。周囲に気を配りながらぶつからない様に歩くと彼は街の中央部にあるベンチに座ると、上にある【人】のアイコンに触れる。同時に横へ複数の項目が展開。流れるような手つきで彼は【Status】の項目をタッチする。コンマゼロ秒後に自分のステータスが表示。レベルに始まりHP、MPといった数値から自身の攻撃力、防御力といったステータスが一斉に表示された。
Name:Reiji Mirror
Level:250
Main Job:パルフェエグゼクター
Sub Job.1: ハイランダー
Sub Job.2: 裁縫師
HP:20500
MP:18500
武器1:――未装備――
武器2:特殊部隊用M1911/海軍用ナイフ
頭:雪結晶のイヤリング
胴:執行者の外套
腕:執行者のオープンフィンガーグローブ(黒)
足:執行者の黒靴
アクセサリ1:燻銀のドッグタグリング
アクセサリ2:生命躍動のネックレス
装備も最高位である幻想級と古代級で固められていた。愛用している武器に始まり防具やアイテム類もゲームのままで、それらを見ているとここまで来るのに色々あったことを思い出し、少し感傷に浸りかける。ステータスの確認を終えると彼は手紙のアイコンをタッチした。手紙の横に『2』という数字が表示されているがこれは未読のメッセージが二件あることを意味している。この項目はメール以外にも『フレンドコール』と呼ばれるフレンドリストに登録したプレイヤーからの通信も行うことが出来る。だが、二件のメッセージはフレンドコールではなく、メールの方だった。
いくつか表示された項目をタッチし、未開封の手紙の部分に触れるとメニュー画面の中央に便箋が出てきた。勿論本物の紙ではなく、それらしいテキストになっている。書かれている内容は至極簡潔、フィフニスにある店で待っているからさっさと来いと言うものだった。簡潔に書かれた店の地図を確かめると彼は歩き始めた。長い付き合いだからこそ相手の思考もある程度理解できるようになる。
「はいはい、了解っと……」
メールの端に浮かぶ『×』印を慣れた仕草で押してメールを消すと彼は村を後にした。
第二章、第三章も今後は第一章と同じキャラクター名で進めていく予定です。また今までの第一章は一時削除の後に新規で上げるかもしれません。
それでは大変ご迷惑をおかけすると思いますが。よろしくお願いいたします。
では皆様、よい新年を!