Story 1 -Part.8-
やがてミサトが家に帰ると言ったので、僕もそれに呼応するように席を立った。チサトは僕が帰ることに残念そうな表情を浮かべたが、僕は何よりも今日明らかになった事実についてミサトと話したかったので、彼女を追うようにチサトの住むアパートを後にした。
「驚いたよ。まさか、ミサトとチサトが姉妹だったなんて。まあ、言われてみれば名前もよく似てるけど」
「私もよ。偶然と言ってしまえばそれまでだけど、未だに信じられない」
二人は西の空がほのかにオレンジ色に染まる中を、駅に向かって並んで舗道を踏みしめていた。夕方とはいえ未だ暑さは衰えていなかったが、それでも駅前通りは買い物客で賑わっていた。僕らが並んで歩く間にはほんの僅かな隙間があったが、今の僕にはとてつもなく険しくて深い谷が横たわっているように思え、偶然と運命のいたずらに弄ばれている自分を痛切に感じていた。
「やっぱり、やめたほうがいいよな」
「えっ?」
「俺たち二人のこと」
ミサトは、僕の言葉にも全く反応しなかった。ただ、その眼差しを真正面に据えて歩いていた。彼女が自分の頭の中で真実に思いを巡らせながら、必死にそれと格闘しているのだろうと思った僕は、もうそれ以上の言葉を出さなかった。僕自身も、これからの二人をどうすればいいのかわからなかった。ミサトとチサトが姉妹であるとわかった以上、いやミサトとの関係それ自体も含めて、道徳的に間違っていることは十分にわかっていた。だから、少なくともその真実を踏まえてミサトと別れることは当然だった。でも、僕はミサトを愛していた。チサトも愛していたが、それとはまた違う意味でミサトを求めていた。
《でも、あなたに会いたいからこうしてここにいるの。私たちはお互いに会いたいから会ってるんじゃないの? そこに常識や理屈なんてないのよ》
ベッドの中でのミサトの声が、僕の頭の中を駆け巡った。そう、理不尽ではあったが、僕は自分の気持ちに嘘はつけないのだ。
それからすぐに火曜日がやってきたが、いつもの喫茶店にミサトは現れなかった。デニス・デ・ヤングの「デザート・ムーン」が流れたが、それでも彼女は目の前の椅子に座ってはくれなかった。それを予期していた僕は別段驚かなかったが、次第にその現実に押しつぶされそうになり、一時間待ったところで思い切って彼女の携帯に電話をかけた。案の定電話が繋がることはなかったが、僕が待つのを諦めて店を出たところで、一通のメールが携帯の中に運ばれてきた。
『ごめんなさい。やっぱりあなたとはもう会えません。会いたいけど……別れましょう』
それだけの文章を僕は何度も繰り返し読んだ。全ては予期していたことだったが、それでも僕は虚しさに打ちひしがれ、突きつけられた事実に涙を抑えることができなかった。そう、僕とミサトは一年以上も時の流れを彷徨い続け、その立場は違ってもお互いの想いのままに求め合ってきたのだ。そして、事情はどうあれ僕らは、いや少なくとも僕はそれを唐突に終わらせたくなかったのだ。咽ぶような夜の繁華街の暑さは堪えたが、でも頭上に佇む月だけは、そんな僕の気持ちを察して温かい眼差しを投げかけてくれた。
それから週末までの何日かを、僕はミサトとの思い出とともに過ごした。金曜日の夜にはチサトと会ったが、僕は自分の気持ちの混乱を整理することができなかった。いや、そもそもの最初から混乱などしていなかった。ミサトとチサトとでは、僕自身の愛し方の方向性が違っていたのだ。だから、僕の中で二人への想いは共存できた。でも、ミサトと会えなくなってしまったことで、僕は自分の根本的な部分を損なってしまったような気がしていた。そしてそれは、チサトをもってしても決して埋められない種類のものだった。