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The Wilds Star  作者: hiro2001
8/22

Story 1 -Part.7-

 その週末、僕はチサトの住む部屋に招待された。午後二時過ぎに駅の改札口を通り抜けると、目の前には薄いピンクのTシャツにジーンズ姿の、ラフなスタイルのチサトが立っていた。僕らは互いの目で挨拶を交わすと、そのまま並んで駅前のロータリーを横切って通りを北に向かった。そこは東京の郊外にある小さな町で、僕の住む町からは電車で二十分程度だった。一日で最も太陽が激しく輝く時間だったが、それでも僕らは腕を絡ませて寄り添うように歩いた。十分ほど歩くと額や腋の下に汗が滲んできたが、その暑さに体が蝕まれる前に、駅前通りから狭い路地に入った所にそのアパートは見つかった。造りたてで真っ白なその建物は、僕にケーキの生クリームを連想させた。チサトの部屋は一階の角にあり、彼女がキーを取り出して扉を開けると、目の前にはワンルームの眩しい空間が広がった。部屋全体は淡色系の色でまとめられ、必要最低限の家具や電気製品が手際よく収まっていた。掃除の行き届いた空間を通ってベランダに出てみると、そこには麗かな郊外の風景と、彼方に山々の連なりが見渡せた。全体的に見て、すっきりとした気持ちのいい雰囲気だった。

「いい部屋だな。さすがはチサト、きちんと暮らしてる」

「あまりうるさいのって好きじゃないのよ。年を取ったせいかもしれないけど」

 チサトははにかんだ笑顔を浮かべてそう言うと、さっそくキッチンに立って昼食の用意を始めた。

「ちょっと遅くなっちゃったけど、もう準備はできてるから、そこに座って待ってて。あと、冷蔵庫にワインが冷えてるから先に飲んでて」

「一緒に飲もうよ。待ってるから」

 僕は冷蔵庫からワインを取り出すと、チサトにグラスの存在を確かめてからダイニングテーブルに持ってきた。そうして椅子に座って改めてチサトを見ていると、この状況が新婚家庭のように思えてきて、僕は何だか無性に可笑しくなった。のどかな週末の昼下がりに、雰囲気のいい部屋で二人でワイン……それはまさに、典型的なテレビコマーシャルのようだった。

「さあ、できたわよ」

 チサトの声に促されるかのように、僕はテーブルに示された鮭とイクラのスープパスタを眺めた。

「相変わらず料理うまいな」

「お世辞を言っても何も出ないわよ。さあ、乾杯しましょう」

 僕はワインボトルのコルク栓を勢いよく引き抜くと、二人のグラスに半分ずつ注いだ。

「じゃあ、乾杯だ」

「何に対して?」

「のどかな週末の昼下がりに」

「ふふ、相変わらずね」

 グラスの触れ合う澄んだ音が響き、僕らはそうして二人だけの時間を共有した。よく冷えた白ワインはすっきりとした味わいで、クリーム仕立てのパスタと見事にマッチしていた。

 でも、そんなドラマのワンシーンのような場面も長くは続かなかった。僕らがパスタを食ベ終えて、ワインを手にしながら取りとめのない話をしていると、突然降って湧いたかのように玄関のチャイムが鳴った。

「誰かしら?」

 不思議がるチサトが確かめようと席を外すと、しばらくしてから驚いた表情でこちらに戻ってきた。

「姉さんが……来たの」

 確かに、チサトの背後には人影が見えた。最初は影になって顔が見えなかったが、部屋に差し込まれた太陽の光が照らし出すに至って、僕は開いた口が塞がらずにその人物に釘づけになってしまった。そこに立っていたのは、まぎれもなくミサトだった。ミサトはこちらを見るやいなや血の気が引いたように真っ青になり、二人はそうして見つめ合ったまま無言の時間を過ごした。

「二人ともどうしたの?」

 チサトの声にようやく自分を取り戻した僕は、ミサトへの挨拶もそこそこに彼女を隣に座らせた。ミサトは会社で見るよりも幾分老けて見えたが、その理由はすぐにわかった。それは、普段僕が見ることのない週末の主婦の姿だったからだ。

「でも姉さん、急にどうしたの?」

「この近くに用があったから、ついでに来てみたのよ。ほら、最近会ってなかったから」

「じゃあ、そろそろ俺、帰ろうか?」

 どうにも居心地の悪くなった僕がそう切り出すと、チサトはそれを柔らかく静止し、ちょうどよかったと言ってミサトに僕のことを話し始めた。僕は生きた心地がせずに、目の前にあった空のワイングラスをじっと見ていた。そして、自分がこのグラスだったらどんなに気が楽だろうと思った。

「そう、偶然ってやっぱりあるのね。でもよかったじゃない。ホリベさんも、チサトをよろしくね。姉の私が言うのも変だけど、この子本当にいい子だから」

 よそ行きの笑顔を浮かべながらそう言うミサトに、僕はその本心を想像すると胸が痛んだ。でも、ミサトはそんな素振りを微塵も見せなかった。彼女は確かに、本当の大人の女だった。

「そうだ、せっかく気分のいい昼下がりなんだから、音楽でも聴かない?」

 複雑に交錯する僕の気持ちをよそに、チサトは近くにあったCDデッキのスイッチを入れた。

「これは……」

「デニス・デ・ヤングの『デザート・ムーン』よ。姉さん、好きだったわよね」

 チサトの言葉に、僕ははっきりと思い出していた。前にヨルダンでサトミが言っていたことを、そしてこの間喫茶店でミサトが言っていた一言を……。そう、全てはこの曲にあったのだ。この曲こそが、三人の姉妹を結ぶキーになっていたのだ。僕はその事実を必死に受け止めながら、でもこれからどうすればいいのかがわからずに途方に暮れた。遠くからかすかに聞こえる蝉の声すら、僕の救いにはならなかった。

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