Story 1 -Part.4-
次の日、僕らはホテルからバスで南に移動し、ハリウッド映画の撮影にも使われた有名な遺跡を見物した。もっとも、それは生半可なものではなく、その遺跡に辿り着くまでには、峡谷のように両側が鋭く競りあがった中を通じる細い道を一時間歩き、それから緩やかにうねりを見せる荒野の真ん中を二時間歩き、さらには足が竦みそうに切り立った崖の上にへばりついた山道を一時間歩かなければならなかった。僕らは途中で休憩や昼食を挟みながら、刺すように照り付ける中近東の太陽を背にしてひたすらに歩いた。汗はとめどなく地面にしたたり落ち、ミネラルウォーターで取り込んだ水もすぐに体から蒸発していった。一体俺は何をしているのだろう。何故こんな所にいるのだろう……でも、僕らはそれでも歩き続け、やがて何とか目的地の遺跡に辿り着いた。
「いやあ、やっと着いたな」
「今までの人生の中で一番しんどかったぜ」
大袈裟に言い放つウチノの姿の向こうに、でも僕は見覚えのある何かが視界の中にあることに気づいた。朦朧とした意識のせいで、初めのうちは何なのかがよくわからなかったが、次第にそれは僕の記憶の底にあった何かと一致してきた。そう、それは幻ではなく現実だったのだ。僕が今ここにいることも、そして目の前に広がっている光景も。
ウチノの向こうにいたのはハセベ サトミだった。何日か前に見た免許証の写真とも、ましてアパートで見た姿とも違っていたが、それはまぎれもなく彼女だった。真っ白だったであろうTシャツは汗色に変化し、カーキ色のショートパンツと絶妙のコンビネーションだったが、迷彩色のキャップを被って真っ黒に日焼けした彼女は、一心不乱に絵を描いていた。目の前の切り立った崖に掘られた古の神殿の彫刻物を、脇目も振らずに真っ白なキャンバスに復元していた。僕は声をかけようかどうか躊躇したが、ストーカー呼ばわりされたことが頭をかすめ、結局はそのまま見過ごすことにした。
そして見物時間も終わり、僕らが来た道を引き返そうと彼女の真横を横切った瞬間、その気だるい声があからさまに僕を呼び止めた。
「シカトする気なの? ストーカーさん」
「えっ?」
「さっきから、私のことわかってるくせしてシカトしてたでしょ?」
そう言い放っていたずらっぽい笑みを浮かべる彼女を見て、僕は周りの反応を気にすることなく、抑えていた想いを解き放った。
「人をストーカー呼ばわりするな。せっかく人が親切で財布を届けてやったのに」
でも、彼女は聞いていなかった。その耳にはウォークマンのイヤホンがはめられていたからだ。僕は何だか急に馬鹿馬鹿しくなり、彼女の耳からそれを抜き取ると、怒鳴るのを諦めて静かに告げた。
「もういいよ。親切にしてやった俺が馬鹿だった。ストーカーにでも何にでも勝手にしてくれ。でも、俺にはもう構うな」
彼女はしばらくの間黙っていた。笑うでもなく怒るでもなく、ただ平板な眼差しで僕を見ていた。
「ちょっと、この歌聴いてみる?」
突然発せられたその一言に、僕は彼女の意図が全くわからなかったが、何もかもを考えるのをやめて差し出されたイヤホンを自分の耳にあてた。
「この曲は……」
「私、この曲大好きなの」
それは、デニス・デ・ヤングの「デザート・ムーン」だった。かなり昔の曲だったので、僕は二十歳の彼女がそれを知っていることに驚いたが、そんな想いを見透かしたのか、彼女は初めての優しい声を僕に投げかけた。
「姉さんがよく聴いてたのよ」
「俺もよく聞いたよ。確かにいい曲だよな」
「感謝してるのよ、財布のこと……。ありがとう」
彼女は、その不釣合いな言葉を僕に向けると、再びキャンバスのもとに戻っていった。僕は思いがけないその一言に面食らったが、悪い気がするわけもなくそのまま彼女の後ろ姿を見つめた。そこに何らかの感情があるわけではなかったが、僕は純粋にその一言を噛み締めていたのだ。
それからもツアーは続いたが、僕は彼女との偶然の再会にかすかに心が揺らいでいた。最後の日の夜に、シリアの荒野の真ん中でこぼれ落ちそうな星たちを目の当たりにした時も、僕は彼女のことを、その最後の一言を感じていた。そう、僕は彼女のことが気になっていたのだ。そして、彼女と一度ゆっくりと話がしたい僅かな欲求を胸に抱いていた。