Story 1 -Part.3-
週が改まった月曜日、僕は朝一番で会社の上司に二週間の休暇を申し出た。普段からきちんとした仕事はしていたし、現実問題としてほとんど休暇を使っていなかったこともあって、係長は快く承諾してくれた。僕は軽く礼をした後自分の席に戻り、周りの同僚たちにその旨を告げた。案の定、普段は休まない僕が長期の休暇を取ることに皆驚き、どこに行って何をするのかをしきりに聞きたがったが、僕はしばらく旅行に行くこと以外、誰とどこに行くのかは言わなかった。突然に、しかも中近東に行くなどと言えば、皆何を言うかわからないし、何より変な噂を立てられるのが嫌だったからだ。
その夜、僕はあらかじめ週末に用意しておいたスーツケースを横に置き、ウチノから貰ったツアーのガイドブックを眺めた。イスラエルを除く中近東三ヶ国の遺跡を巡るその内容は、必ずしも僕の興味をそそるものではなかったが、テレビのニュースでしか耳にしたことのない地名の数々を見ると、改めて自分がとんでもない場所に行くことがわかり一抹の不安が過ぎった。海外旅行には何度か行ったが、日本の裏側に位置するようなイスラム世界は到底思いの外であり、僕はウチノの誘いを受け入れたことを少し後悔した。でも、いずれにしても明日はやってくる。明日になれば、僕は遠きアラビアの地へと旅立つことになるのだ。
次の日の早朝、駅前で待ち合わせた僕とウチノは、成田空港へ向かうシャトルバスに乗り込んだ。車内はほぼ満席で、僕はここに至って今が夏休み真只中であることを思い出したが、同時にこの中で中近東に向かうのは自分たちだけだろうとも思っていた。仕事で否応なく行くしかない商社勤めのサラリーマン以外に、進んで行くような人がいるとはとても思えなかったからだ。
でも、成田空港のツアーの集合場所で、実際に十人程度の人たちが皆思い思いに佇んでいるのを目の当たりにして、僕は現実的に少なからず驚いた。それは二十代のカップル風であり、あるいは年配の男女の集団だった。
「へえ、こんなツアーに参加する人もいるんだな」
「そうそう、世の中にはいろいろな人たちがいるんだぜ。アフリカやアマゾンの密林を探検するツアーだってあるんだから。結構評判がいいらしいぜ」
そう言ってにやけた笑みを浮かべるウチノの横顔を見ながら、僕は人の好みの多様性を改めて感じ、日本が平和であることをつくづく思い知った。
やがて集合の合図がかかり、僕らを含めた十数名の一行は日本を後にした。でも、当然のことながら現地への直行便はなく、クアラルンプールとバンコクで飛行機を乗り継ぎ、実に二十時間以上をかけてヨルダンの首都アンマンの国際空港に降り立った。
「……すげえな」
搭乗口を出てタラップを降りようとした僕は、そのあたり一面に広がるくすんだ茶色の世界に無意味なほどの感動を覚えていた。テレビ番組では見ていたが、実際に目の当たりにするとそれは明らかに空想的だった。自分が本当に中近東に来ている実感がいまひとつ湧かなかった。どこかの映画のセットのようでもあったが、それにしては空気の質が違っていた。
僕らはひとまず入国審査を済ませると、そのままバスに乗り込んで繁華街にあるホテルにチェックインした。
「ああ、疲れたな」
「ほとんど丸一日飛行機に乗っていたようなものだからな」
「でも驚いたぜ。これが中近東、イスラムの国なんだな。まだ実感が湧かないけど」
「俺もだよ。まあ、明日からいろいろと見て回ればわかるんだろうけどな」
疲労の色を隠さずに眠そうに言うウチノに笑顔で頷いた僕は、明日から目にするであろう異世界の光景に奇妙なほどの胸の高鳴りを覚えていた。